2000年度臨床倫理討論


症例4)患者の注射希望についての対応について

 今回は事例と言うよりも自分の診療をふりかえって皆さんの意見を聞きたいと言うつもりで提示します。
 私は6年前それまでの佐賀医大の総合診療部から現在の人口1800人の村の診療所に赴任しました。
確かに病院のような大きな医療機械がないことは違いますが、大学にいた時も総合外来での診療は根本的に問診と診察が一番の道具でしたから、そんなに戸惑うことはありませんでした。
 ただひとつ患者さんからの注射の希望が多かったのにはびっくりしました。かぜといえば「一発注射お願いします」、体がきついと言っては「注射お願いします」なのです。
 最初はあまり効果は証明されていないから、それよりはゆっくり休養をとってくださいと言っていたのですが、そうしている時に受付の方(診療所の顔として30年働いてきた方)から、「患者さんが注射のためにわざわざバスで市中の病院までいっているので、先生堅いこと言わずに注射してくれませんか」とからいうことを聞いて、「注射ははするけれどきちんと休養もとってね」ということを話して、注射もしてきました。
 中身は20%ぶどう糖にビタミンC500mgを入れたもので、その量はみかん5個くらいの量です。ところが昨年健康保険の査定でこのビタミン剤の注射が削られることがおきました。確かにビタミンCには急性上気道炎、全身倦怠などという適応症はありません。ただ1本150円くらいの値段で査定の対象からははずれていると考えていました。医療費の削減の必要から、どんどん査定が厳しくなってきたからでしょう。
 いわゆるEvidence-Based-Medicine(EBM)根拠にもとづいた医療というのが、すべての医療を左右する時代になってくるでしょう。残念ながら500mg程度のビタミンCの注射が、急性上気道炎や全身倦怠感に対して効果があることは証明されていません。
 ただし、診療所実習できていた学生さんに協力してもらって患者さんに聞き取り調査したところ、9割以上の人はビタミンCの注射は効いた、できればまたして欲しいと言う希望が強かったのです。特に医師からではなく自分から注射を希望した人にその傾向が強かったようです。もし保険が効かなくなっても、自費でもいいからしたいと言う方も8割くらいいました。
 さて今後このような注射希望の患者さんにどのような対応をするのがいいと思われますか。

 私はこの冬から、患者さんに、「ごめんなさい、ビタミン剤の注射の効果が医学的に証明されていないこと、保険が効かなくなっていること、また注射には神経を傷つけたりするような副作用もあることから積極的にはしないようにしようと思っているんですが。どうしてもよくなければ次ぎには注射も考えるから」と説明をして、まずは注射をせずに様子を見てもらって何います。すでに患者さんとの6年間の信頼関係があるので、今のところすぐよそに注射しに行くと言うかたはおられないようです。ただ、説明には5分はかかります。「看護婦さん注射」と言うだけなら10秒ですみます。
 一方、今年の冬場のインフルエンザの予防接種は、国内外の文献やガイドライン、自分自身の村での経験から、効果があると判断して、積極的に行い(このことについては朝日新聞の1999.12.14付けの論壇にも書きました)、確かに今年は一人の肺炎の入院患者も出なくてすみました。昨年のような流行があったら、いちいち注射を積極的にはすすめないことを説明する時間もなかったでしょう。
 皆さん方は、このような日本で結構行われているが、医学的な根拠の少ないビタミン剤の注射のような治療を行うことについて、どのように思われますか。ある村では、注射をやめたために、あの医者はヤブ医者だということが村議会で問題になり、診療所の医師をやめさせられたとかいうことも聞きました。(幸い私の村ではそういうことにはなっていませんが)
 また、注射の痛みが針の効果を持つとか、潜在的なビタミンC欠乏症があるのではというような意見もあるようですが。少なくとも新鮮な野菜を多く食べるこの村の人がビタミンC欠乏の状態にあるとは思えません。



<コメント集>以下のようナコメントを色々な立場の方から頂きました。ありがとうございました。


広島市田坂内科 田坂 佳千さんのコメント


白浜先生、現実的な問題ですね。!!!

患者さんの中には、ビタミン剤の注射やスルピリンの注射等に
強い信仰をもたれ、
「注射をしてもらわないと、私の風邪はなかなか治らない。!」
と妄想的にもなられている方に遭遇することも、現実として
有りますよね。
(ある意味、医者がそのように洗脳したと言われているところです
が・・・。必ずしもそうで無く、体験的に(体験させた医師が悪いとも
言われそう?!)強く信じておられる方も多いと思われます。
また、その程度も様々(神経症の患者さんのように?!)です。)
同じように、かなりていねいに説明しても、最後に御本人から、
「気のせいで効いているのかもしれないけれと、・・・・。打って欲しい。」
と言われることも、有りますよね。患者さんが、かわいそうになる
くらい〜・・・。小生も「いじめ」ているのではないのですが〜・・。

いかにわかりやすく説明しても「満足度は様々」と思っています・・。
それが「解釈モデル」と言うもののような気がしています・・・・。
(強い思いこみ〜信念を持っているのが、患者さん!)

小生の個人的希望としては
(以下の記述は現行制度では、ルール違反です。!!)、
このエビデンスのない注射の部分は、
自由診療として、この部分のコストのみは全額自己負担。
その他の診察+処方等は、保険でカバー。
と言う「混合診療」が許されるようになると、
良いと思っていますが・・・・。ダメですか〜?

追伸:「解釈モデル」を患者さんに尋ねると、面白い話が
     色々と聞けますよね。!!



東京医科歯科大学 人間科学 中村千賀子さんのコメント


いつも興味深い症例をありがとうございます。さて、標記の患者さんへの対処につ
いて感じたことを以下に書かせていただきます。
医学的に考えて根拠に乏しいビタミン注射、というお考えは(医学的にはです)正
しいと思います。また、保健の点数からはじき出されていて、注射が現金払いにな
ること、注射が神経を傷つける可能性があることなど、患者にはもちろん了解をし
てもらう必要があると思います。しかし、医学の進歩が著しい現在でも、データが
ないからといって、ビタミン注射が効かないという結論は早計だと思われるのです
。偽薬効果も考えられるし、何よりも、金にならない小さな病気の治療研究が研究
者たちによってきちんと進められているとは思えないからでもあります。
仕事場でおいそれとは休むことの出来ない市民が、熱が出れば堂々と休暇を取れる
こと現代社会の現況などもあり、医師に費用を払って診断書を書いてもらって休養
をとる場合などの医師の役割を考えるとき、医師がビタミン注射の意味を広くとら
え、患者に説明をして、必要な料金を取って注射をすることは、現場で患者の普段
の様子をみながら接している地元の医師になら許されるし、また、地元の医師にし
か出来ないことだと考えるのですが、いかがでしょうか。医学のエビデンスはどん
どん変わります。いくら自然科学の法則として正しいといっても一般法則でしかあ
りません。個人的、心理的な条件を整えての実験などなかなか出来るものではない
し、また、個人の状況は地域の変化によって、また、個人の考え方によって変化す
るものでもありますから、現場の医師の観察力が大切になるのだと思うのです。そ
の意味で、医師には臨床能力のみならず、研究者としての能力も必要ではないでし
ょうか。医師は、個人個人異なる患者の、優れて個人的な実験の共同実験者でもあ
ります。身体的な側面のみならず、心理的な側面からの患者の健康増進も、また、
社会の制度からの個人に対する医師の役割も考えていかなければならないことがこ
の症例から良く理解できると思いました。
患者や多くの人々が抱える疲労感についての実験もこれからもっと必要になること
でしょう。いわゆる健康づくりへの医療者からの挑戦が今後さらに望まれるところ
です。予防医学と呼ばれてきたものが一歩進んで「健康づくり」と変わってきた点
がたいせつなのでしょう。とにかく、とても興味深い症例でした。今後もよろしく
お願いします。


山口県立大学看護学部 中尾 久子さんのコメント


看護の世界にも ”evidence based nursing”の波は押し寄せ
 つつあり、それはそれで大切なことだと思っています。
 しかし、私は注射希望の人たちに科学的な説明をされても希望を
 変えないのであれば注射をして差し上げた方が良いのではと
 思います。薬の薬理学的な効果もさることながら、その人が希望
 する薬に対する希望(楽になる)が満たされると考えるからです。
  個人的なことで恐縮ですが、疲れてきついときはQPゴールドを
 飲んでます。こういった人は多いのではないでしょうか。
 でも我慢して頑張っても、もっときつくなったら病院に行って何かを
 して欲しいと多くの人が思うのではないかと思います。
  過去に読んだ本で輸血が必要な時に個人で探してこないといけ
 なかった時代に、血液疾患の患者に使う血が不足してしまい(アド
 ナ?)を点滴していたら、患者が赤いのを入れてもらってありがとう・・
 のようなことを言って亡くなっていった・・・というような話を読んだこと
 があります。記憶があいまいになっているので、全然違うと言われる
 かもしれませんが、手をかけてもらう、希望を満たしてもらうことには
 それなりの意味があるのではないかと思います。


香川県高松市横井内科医院 横井徹さんのコメント


つらつら考えてみたことを取りあえずお送りいたします。

> かぜや体がだるいと言う訴えで受診され、注射を希望する患者さんに対するビタミン
>Cなどの注射での対応の問題です。
> 最近盛んに用いられるようになってきた根拠に基づいた医療ではビタミンCがかぜや
>体のだるさに効果があると言う調査報告はありませんし、医療保険などでも削られるよ
>うになってきました。また何よりも、注射による神経損傷など副作用の可能性もありま
>す。この冬のかぜのシーズンからは注射の希望を言われた時に「ごめんなさい。注射は
>効果の面、副作用の面、医療保険の適応の面からちょっと私としては積極的には勧めた
>くないんだけれど」といって対応していますが。
> 医師だけでなく、それ以外の皆さんに特にお聞きしたいのですが、このような問題に
>ついてどうに思われますか。注射してほしくて病院にいった時、断られたらどのような
>気持ちがするでしょうか。

簡単に医者に断られたら、それがいくら根拠のない医療で、理論的に医師側が正しく
ても患者側に「あの先生は私の体のことをちゃんと考えてくれなかった」という印象
が残 るのは間違いないと思います。これではいくら根拠に基づいた医療をしていても
成果は出 ないでしょう。でもとはいっても・・・・・・・、

現時点では個別に患者さん毎に対応するしかないのかもしれません。自分自身を考え
てみますとまだ医師患者関係がつっこんだ話まで踏み込める段階にまでなっていない
場合(特に僕は、父の医院に帰ってきてまだ半年ですので信頼関係が完全には確立し
ていませんし)には” 今までの注射”を継続することになりそうです。
しかし、中には初対面でもかなりお話ができる患者さんもいらっしゃいますし、その
場合や初診で来院される患者さんではできるだけ注射を積極的には行わない旨説明し
ています(時間はかかりますが比較的暇なので・・・)。
ただし、「絶対注射をしない」という姿勢ではなく、「実際に注射を受けてどういう
ふうに効いた、と感じるのか。なぜ効いたと思うか。」など患者さんに聞きながら、
最終的に患者さん自身が自然に「注射しなくてもいいのかな?」と思えるようになれ
ばいいと思ってゆっくりお話を聞いている状態でしょうか。

また、体重が減って受診された場合には「ビタミン剤よりも、脱水の補正目的で補液
する方がいいかもしれない」と説明してゆっくり500ml程度(または250ml)の補液を
してみる のはどうでしょうか。患者さんの注意を「よく効く風邪の注射」から「脱水
補正」に”そらす”わけです。もちろんその時に「たった1本の点滴で不足分の水分が
全て補えるわけはなく、これは呼び水のようなものです。この点滴だけに頼らずあと
はゆっくり休んで十分に水分を取ること、それが最も大事です。」と、点滴がすべて
を解決するわけではないことを強調しておきます。
明らかに体重が減っている患者さんでは循環器の問題がない限り補液すれば必ず楽に
なるでしょうし(急性のウイルス性心筋炎が合併していた場合問題かもしれませんが)
今までの注射よりも効く、と感じるかもしれません。
そして次からは、体重が減っていない限り注射(点滴)をする意味がないことを説明
してゆくことで「注射」がそれほど意味をなさないということが理解できるようにな
るかもしれません。
そしてさらには、風邪で受診する前にしっかり水分を取ってみよう、とかちょっとこ
うしてみよう、とか自己管理への発想転換ができるようになるかもしれません。
実際、たった1人だけですがこの方法で「風邪の注射してくれ」と言わなくなった方
がいらっしゃいます。もっとも、この方法では「注射による神経損傷など副作用の可
能性」やコストの問題の解決にはなりませんが。カルテ病名欄には「脱水症」とかく
ことになります かね。

結局、ひとりひとりに合ったアプローチで、風邪の時の注射が意味の乏しいものであ
ることを認識させることが大事なのでしょうね。



新潟大学医学部保健学科 宮坂道夫さんのコメント


大変に興味深いお話です。一つの個人的意見として述べさせていただきます。

 一見すると、医師と患者の、「ビタミン注射」に対する意味づけが全然違っている
ように思えます。医師はそれに健康改善の効果がないこと、成分と効果の因果関係を
知っている。患者がそれで満足感を得ているが、医師にとってその「主観的効果」は
、せいぜい「偽薬」の効果と同じだという位置づけ。一方、患者は健康改善の効果が
あると「信じている」。患者にとって、「ビタミン注射」と「効果」の科学的な意味
での因果関係は、それが大きな作用も副作用ももたらさない限りにおいてあまり重要
ではない。

 医療倫理の観点からはどうか? 医療倫理では、自律性(患者が自分で決める)と
無危害性(患者に大きなリスクを与えない)が大原則です。ご存じのように、リスク
のきわめて大きな選択であっても、患者の自律的判断を尊重するというのが、日本の
最高裁でも認められました(輸血拒否事件の最近の判例)。「ビタミン注射」のリス
クが大きなものでないのであれば、医師が医学的な無効性や副作用について十分な説
明をした上で、患者がそれでもなお自律的にそれを選ぶというのは、医療倫理の原則
からも、そしておそらくは法的にも(上の最高裁判決からすれば)許されることでし
ょう。(これは原則論で、すべてのケースに当てはまるものではありませんが。)

 「保険不適用」とは、医療に関する公共政策の典型的な方法で、これは社会が「望
まい」とはみなさない治療や投薬をやりづらくする(禁止はしない)ものです。今私
たちの社会が「望まい」とみなすのは「証拠に基づく医療」で、そうでないものは保
険適用からはずされてゆくというのが今の時代の流れでしょうね。その社会環境の中
で、臨床医がどう判断すべきか? リスクの小さい「ビタミン注射」についていえば
、以下のようなものでしょうか。
 一方では、「教育者」(健康教育を行う人)として、患者に「科学的根拠のないビ
タミン注射」をやめるよう、できるだけ勧める。その一方で、「対話者」(広い意味
でのカウンセリングを行う人)として、患者の訴えに耳を傾け、場合によっては患者
の訴え通りビタミン注射を「習慣的に」処方して、患者を安心させる。この二つの対
応を、相手により、またその診療施設の置かれた地域の社会環境などにより使い分け
る(言い方は悪いのですが)。

 ちなみにですが、インフルエンザ・ワクチンは、「ビタミン注射」とは効用もリス
クも相当に違うはずで、医師のさじ加減一つで判断していい問題ではないように思い
ます。(これは可能ならまた別稿で)



伊豆西海岸 安良里診療所 藤原靖士さんのコメント


 こんにちは、藤原靖士です。この「注射」についてはいろいろと思いがあ
り、以前から考えていましたが、現在は下記のように考えて診療しています。今
回改めて、臨床倫理学的検討を加えました。

 「一発注射を」と希望する方は、田舎だけでなく、都市部にも結構おられる
ようです。こちらは観光地ですから、都市部から旅行にきて風邪等で受診する
方も多いですが、そのような方にも結構多いです。
(以前、台湾からの旅行者が感冒・発熱で来た時、同行したガイドの方が「注射
してくれますか?」といわれましたが、簡単な説明(日本人に対してより)で注
射しないことを納得してくれたこともありました)
 まったく注射しないのもひとつの方法ですが、注射してくれる医療機関へ行
くだけになることも確かにあります。私も、以前かたくなに拒否して、患者医
師関係の破綻を招いたことがあります(今もあるか)。全ての医療機関が注射し
なくなればよいとの考えもありますが、本当にそれでよいのでしょうか?
 注射について、「効果のない無意味な治療」「保険適応も効果もない危険も
ある治療」とのみ捉えると、「注射しないこと」が善でしょう。

 しかし、「注射を希望する患者の行動、気持ち」に焦点を当てると、違って
きます。健康保険組合連合会の毎年の調査で、「かぜ」などのときに、「すぐ
医師に見てもらう」人は25%で、多くは、「売薬を飲む」「安静にして様子を
見る」です。「かぜ」で医療機関に受診する人は、その他の対処以外の方法を
期待して受診しているのです。
 今回改めて、注射(風邪や慢性疼痛)を希望する方にその理由を聞いてみまし
た。
  「働く衆はみんな打っている。そういうもんだ」
  「自分はいいのですが、周りの人が注射してもらって来いとうるさいから」
  「注射するとなんとなく楽なような気がする」
  「注射すると早く治るんじゃないですか?」
  「注射しても何も変わらないけどしてほしい」
 小渕首相が倒れた直後の新聞で「首相は激務」との記事で、村山元首相は夜
中に「点滴しながら」国会を乗り切ったと書いてありました。甲子園球児が風
邪をひいて注射をしてまで試合に出た、という報道もままあります。こういっ
た報道も、患者さんの考えに影響しているのではないでしょうか?
 風邪についていえば、何もしなくても治るものであり、注射をしてもしなくて
も改善するのですが(解熱剤の注射で一時的に楽になる、というのもあります
が)、注射していれば、それによってよくなったと思いたいのも人間ではない
でしょうか?

 実際、どうしているかですが、まず、どうして注射を希望するかその思いを
聞きます。そして、医学的な必要性について説明します。それでも理解が得ら
れなければ、害のない範囲で応じています。
 しかし、漫然と注射を繰り返すのではなく、次回の受診の際などに、注射し
たときの効果をフィードバック(効かないですねーとか、効きましたか、な
ど)したり、生活の振り返りを促したり、注射以外の方法を提示します。それ
で注射しなくても大丈夫だということが、わかってくれば、希望は少なくなり
ます。それでも「気のせいだとは思うけど、今日は打ってください」という方
もいますが。
 つまり、注射そのものの効果はともかくとしても、それを目的に受診してき
た患者の受診機会を利用して、気長に健康教育していくということですね。注
射に関しては、根強い「信仰」がありますから、なかなか手ごわいですが、少
しずつ必要のない注射を希望する人は減っていると思います。
 それでも打ちたいという方は、それをすることが「治療」でなくても「癒
し」になると考えて、あえて注射しています。

 医師の考えと患者の思いの差を意識し、受療動機という患者と医療の接点を
重視して、よりよい医療になっていけばと思います。もちろん、それは「医学
的事実を押し付ける医療」でも「患者の言いなりになる医療」でもなく、「時
間をかけてでも患者に納得してもらって行う医療」です。最終的には「注射な
どに頼らなくても、患者自身が自律していける医療」です。

 臨床倫理学の4分割で行けば
医学的適応 明らかな効果はなく少ないがリスクあり。プラセボ効果はあり?
患者の意向 希望はあるが、効果などを理解してのものではない。判断能力は
      あっても、誤った思い込みとも言えそう。
QOL   注射を拒否することで医療へのアクセスを閉ざす危険。
      注射そのものによる患者の主観的満足感は大きい。
周囲の状況 注射は効くという日本の社会に根強い思いがありそう。
      高価な薬ではない。が、法律上・医療経済上・公共の利益として
      は問題がありそう。
      しかし、患者に最も近いプライマリ・ケアの場面では、あえてかか
      りやすさ(近接性・日常性)を重視して、患者の思いをとりあえず
      はのみこむことも必要かと思います。
 この中でQOLを最も重視して、注射をする場合もあり、しかし、他の3項目
で問題点が多々あるので、徐々に時間をかけて理解を求めていくということに
なりましょうか?注射そのものが患者さんのQOLを改善すると思っているわ
けではありません。

 なお、似たような対処の仕方を書いている本を見つけました。プラセボ効
果、に絞って書いていますので、私の考えと若干ニュアンスは違いますが、対処
の仕方はほぼ同じと思います。

飯島克巳:期待するほど効果がある−プラセボ効果の活用.外来でのコミュニ
ケーション技法,日本医事新報社,東京,138−140,1995.



佐賀医大の学生との討論(4/11)


佐賀医大の6年生の学生との討論では、なぜ患者さんがそのような治療を望むのかをよく聞いた上で、こちらからその効果副作用について話し、その上で注射をするのかどうか決めたいというようなところに意見が集約されたようです。一方的な医者の医学モデルだけでなく患者の解釈モデルを聞こうと言う意見が学生から出たことはとても良かったと思っています。


藤原靖士さんの追加コメント

 今回の検討で、「患者さんが望むのなら、効果が乏しいとされる注射でもやってあげ
ればいいじゃない」という結論になってしまったようで驚いています。もちろん、私の
意見でも書きましたが、注射をすること自体は否定するものではありませんが、しか
し、「患者さんが望むから」「安価な注射だから」よいだろうでは、どうにもひっかか
ります。その辺を再度メールします。

|ビタミン剤の注射の効果が医学的に証明されていないこと
|保険が効かなくなっていること
|また注射には神経を傷つけたりするような副作用もある(白浜先生)
 これらは医師の解釈モデルです。医学的には現時点では妥当とされているところで
す。ただし、中村先生が書いているように、証明されていないだけかもしれません。(以
下ちょっと脱線します)

|データがないからといって、ビタミン注射が効かないという結論は早計だと思われる
|のです。何よりも、金にならない小さな病気の治療研究が研究者たちによってきちん
|と進められているとは思えないからでもあります。(中村先生)
 これはビタミン剤の注射の議論でよく出てくる点で、「可能性は否定できない」とい
う点ではその通りだと思います。しかし、並列して挙げられた、
|偽薬効果も考えられるし、(中村先生)
 これは別の次元の話だと思います。偽薬効果があるのは確かですから、「データがな
いから」「研究されていないから」というのとは違います。偽薬効果を期待するなら、
どういう場合にどのようにしてその効果を最大限に引き出すか、考えるべきだと思いま
す。偽薬効果とビタミン剤注射が効くか効かないかは別の話です。
|医師に費用を払って診断書を書いてもらって休養をとる場合などの医師の役割(中村
先生)
 これも別の次元の話。社会的に認容されていることと、そうでないものと(ここでは
保険適応の問題)では、話が違います。少し話がそれました。戻ります。

|患者にはもちろん了解をしてもらう必要があると思います。(中村先生)
 そうなのですが、患者さんの希望は、医学的な根拠の理解・了解を超えていると思う
のです。
|強い信仰をもたれ、「注射をしてもらわないと、私の風邪はなかなか治らない。!」
|と妄想的にもな|られている方に遭遇することも、現実として有りますよね。 (田坂
先生)
 これは患者側の解釈モデルですね。リスクや効果の事実やその説明とは無縁の話で
す。

|個人的なことで恐縮ですが、疲れてきついときはQPゴールドを飲んでます。こう
|いった人は多いのではないでしょうか。
|でも我慢して頑張っても、もっときつくなったら病院に行って何かをして欲しいと多
|くの人が思うのではないかと思います。(中尾先生)
 そのとおりですね。ですから、その場面では注射をするのもひとつの手段と思います
が、ずっとそれを繰り返していてよいのでしょうか?患者さんが希望することだけに対
応するのではなく、他の対処方法・解決方法を提示する必要はないのでしょうか?
 「疲れたから注射して頑張ってもいいけど、『過労死』っていうのもあるから、どこ
かで手加減してね」と私はよく説明します。どこかで休養できないか一緒に考えてみた
り、家族や職場の協力が得られないか考えたり、話を聞くことで安心してもらったり、単
に受容的に対応するだけだったり、ストレス対処法を一緒に考えたり、中尾先生の言う
「何か」は患者さんの思うほかにいろいろあると思うのです。
 中尾先生の血液疾患の患者さんの話も、ターミナルの状態で他に手段がない時の「癒
し」として意味があります。全然違うことはありません。「手をかけてもらう、希望を
満たしてもらうことにはそれなりの意味がある」のですが、しかし、今回の「注射」に
ついては、「手をかける」「希望を満たす」のに、他に手段がいろいろあるのではと思
うのです。

|一見すると、医師と患者の、「ビタミン注射」に対する意味づけが全然違っているよ
|うに思えます。(宮坂先生)
 これを意識することが最重要だと思います。
|患者にとって、「ビタミン注射」と「効果」の科学的な意味での因果関係は、それが
|大きな作用も副作用ももたらさない限りにおいてあまり重要ではない。 (宮坂先生)
 この点が大きいのではないでしょうか?それなのに、注射に効果がある・ない、偽薬
効果だ、研究されていないから、といっても話がかみ合いません。もし研究がされて効
果がない(あるいはある)と証明されても、それと患者さんが注射を求める行動には影
響しないかもしれません。

|ある村では、注射をやめたために、あの医者はヤブ医者だということが村議会で問題
|になり、診療所の医師をやめさせられたとかいうことも聞きました。(白浜先生)
 これは、その地域の医療文化、解釈と、医師が接点を見つけられなかったのでしょう
ね。医療人類学の本などで、西洋医学を発展途上国にそのまま持っていって、地元の伝
統医学の考えと相容れず受け入れられなかったということがよく書いてありますが、そ
れと同じでしょう。医師の考えを押し付けたのではお互いに不幸な結果になってしまう
のでしょう。その意味では、あえて言葉を厳しく言えば、その医者はその地域においては
患者や地域の意向を無視してしまったという意味で「ヤブ医者」だったとも言えるかも
知れません。(医学的医療技術的にはえらい先生かもしれませんが)

|医師がビタミン注射の意味を広くとらえ、患者に説明をして、(中村先生)
 結局、この説明とその後の対応を深く考えるべきだと思うのですが、このあたりは皆
さんどのようにお考えなのでしょうか?

横井先生の文章が、置かれている立場が近いためもあり、私にはうなずけます。
|でもとはいっても・・・・・・・、(横井先生)
 この「でもとはいっても」が白浜先生や横井先生の現場での悩みを表しているのだと
思います。
|まだ医師患者関係がつっこんだ話まで踏み込める段階にまでなっていない場合・・・
|には" 今までの注射"を継続することになりそうです。
 注射そのものの効果だけでなく、「医師患者関係」など、周囲の状況が影響するので
す。その時は注射するのもやむをえない状況でも、時が経ち、状況が変われば違ってくる
のです。その状況により、時には注射にも応じて、輸液なども利用して、いろいろと患者
さんにフィードバックしながら、
|最終的に患者さん自身が自然に「注射しなくてもいいのかな?」と思えるようになれ
|ばいい
|患者さんの注意を「よく効く風邪の注射」から「脱水補正」に"そらす"わけです。
|そしてさらには、風邪で受診する前にしっかり水分を取ってみよう、とかちょっとこ
|うしてみよう、とか自己管理への発想転換ができるようになるかもしれません。
 医者の方も、「注射する、しない」という狭い視点から、目をそらす、というか、その
背景にあるものまで視野を広げて対応する必要があるのではないでしょうか?

|医療倫理では、自律性(患者が自分で決める)と無危害性(患者に大きなリスクを与
|えない)が大原則です。(宮坂先生)
 そうなのですが、
|「ビタミン注射」のリスクが大きなものでないのであれば、医師が医学的な無効性や
|副作用について十分な説明をした上で、(宮坂先生)
 それが前提です。現在注射をされている患者・医者がそのような説明(インフォーム
ドコンセント)に基づいて行っているとは思えません。説明自体を拒否する患者さんも
いるでしょう。
|十分な説明をした上で、患者がそれでもなお自律的にそれを選ぶというのは、医療倫
|理の原則からも、そしておそらくは法的にも(上の最高裁判決からすれば)許される
|ことでしょう。(宮坂先生)
 ですが、1回説明したからそれでよい、ということにはならないでしょう。手を替え、
品を替え、相手の調子を見ながら、理解してもらうよう努力する必要があるのではない
でしょうか?

 たとえば、糖尿病の患者さん1。糖尿病の治療を放置した際のリスクを十分に説明
し、それを理解してはいますが、食事療法は守らないし、薬も飲んだり飲まなかったり
で、インスリンの注射など断固拒否。それでも通院してくる人に対して、「十分説明し
て患者さんが自律的に判断している」んだから、後でどうなろうと知らないよ、という
医者は倫理的に正しいのでしょうか?
 たとえば、糖尿病の患者さん2。血糖のコントロールは不良で、食後血糖は時々
400mg/dl台。「今日は疲れたから注射一本打ってくれ!あの人が打っているブドウ糖が
いいみたいだから、あれを注射してくれ!」と言われて、リスクを説明しても患者が希
望するから、と20%ブドウ糖の注射を繰り返す医者はよいのでしょうか?
 たとえば、偽薬効果?「これを持っていると健康になりますよ。死ぬときもぽっくり
いけますよ」と高価な壷を売る医者。医学的な効果はありませんが、私が言うから大丈
夫、で、患者さんも信じて買う人は買う。それで現実に健康になったり、ぽっくり死ぬわ
けではないけれど、それがあることで患者さんが安心して、毎日を生き生きと生活でき
るようになっている、人もいる。もちろん保険適応でないから、自費の混合診療?でお
金をいただく。医者も患者も理解していて、お互いハッピー。でも、これは倫理的には
どうなのでしょうか?(前の2例と違ってこれはさすがにいないかもしれませんが、私
たちから見て怪しげに見える健康食品を紹介している医者はいますよね)

 最初の例では、繰り返し、繰り返し、いろいろと働きかけて、治療意欲や患者行動に働
きかけるべきではないでしょうか?理解されるまで時間がかかるかもしれませんし、死
ぬまで無駄かもしれませんが根気強く。2例目では、代替手段(たとえば糖なしでビタミ
ン剤とか、横井先生のように輸液とか)を紹介して、よりリスクの少ない方を勧める努
力が必要ではないでしょうか?それでもどうしても、ブドウ糖じゃないとだめ、という
場合、その時は打つにしても、次の時には同じ注射を黙って打つのではなく、何らかの
働きかけをするべきではないでしょうか?3例目は、患者さんも「壷を持っていても元
気になる薬効はない」と理屈でわかっていて、偽薬効果だとわかっていて壷を買って幸
せなら、倫理的には問題はないのかもしれません。でも、医者としてはどうでしょう?
倫理以前の問題で、職業換えしたほうがいいかもしれません。

|一方では、「教育者」(健康教育を行う人)として、患者に「科学的根拠のないビタ
|ミン注射」をやめるよう、できるだけ勧める。その一方で、「対話者」(広い意味で
|のカウンセリングを行う人)として、患者の訴えに耳を傾け、場合によっては患者の
|訴え通りビタミン注射を「習慣的に」処方して、患者を安心させる。この二つの対応
|を、相手により、またその診療施設の置かれた地域の社会環境などにより使い分ける
|(言い方は悪いのですが)。 (宮坂先生)
 悪い言い方でなく、これが大切だと思います。その中で、「注射の希望」という表面的
な訴えに引っ張られることなく、上記の後者の対応(患者を安心させる)をうまく行うこ
とが、臨床の現場では大切なのではないでしょうか。1回の受診で完結するものではな
いでしょう。実を結ばないこともあります。
 私の対応は、以前に送ったメールでHPにも記載されていますが、注射をする、しないと
いうことでなく、それをどう生かすかが、腕の見せ所と考えています。

 佐賀医大の6年生の学生との討論では、
|一方的な医者の医学モデルだけでなく患者の解釈モデルを聞こうと言う意見が学生か
|ら出たことはとても良かったと思っています。
 これは確かに非常によいと思います。しかし、さらに一歩踏み込めば、
|その上で注射をするのかどうか決めたい
 というあたりをもっと検討したいです。その場は注射するとしても、長期的にそれを
続けてもいいものか。他のアプローチ方法はないものか。現場に出ていない学生に、そ
のような長期的な視野の発想を求めるのは難しいとは思います。

|「医学的事実を押し付ける医療」でも「患者の言いなりになる医療」でもなく、「時
|間をかけてでも患者に納得してもらって行う医療」です。最終的には「注射などに頼
|らなくても、患者自身が自律していける医療」です。 (私 藤原靖士)
 と書きましたが、どうも、話が、「患者の言いなりになる医療」でもいいじゃないで
すか、という面が強くなったように思い、学生が変な誤解をしなければよいな、と思った
次第です。



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白浜雅司
E-mail:HQC00330@nifty.ne.jp
〒842-0301佐賀県神埼郡三瀬村大字三瀬2615
三瀬村国民健康保険診療所
TEL0952-56-2001、FAX0952-56-2912