感性への招待

*金森修 最相葉月『青いバラ』(小学館、2001)、『感性哲学』No.1, 2001年9月30日、pp.112-113.

「静かに散った」と聞けば、すぐに黒い花びらを思い出す世代だ。だがこの本は、黒ならぬ青い花びらをもったバラの物語である。といっても、それは夢のなかでの光景で、現実のものではない。従来、多くの育種家にとって果敢な挑戦の的であり続け、現在、ひょっとすると遺伝子工学の知見を使えば実現も間近いかもしれない「不可能の花」。輪郭が青空と溶け合うようなバラ。ラヴェンダー色のものなら、すでに存在する。だが、もっと本当の青、ラテンアメリカの空のような青い花びらをもつバラを、われわれはまだ誰も見たことがない。確かに、最先端のバイオテクノロジーを使っても、そう簡単なことではないらしい。だがある種の色素の生合成経路を遺伝子的に制御すれば、不可能ではないかもしれない。「朽ちた肌色」のような色では駄目だ、本当の、突き抜けるような青いバラを手に入れたい。
 本書は、そんな夢に動かされた男たちをめぐる物語だ。寝ころんで読むには少し難しい。さりとて、いわゆる学術書というのともスタイルが違う。このタイプの本のことを、ごく簡単に「ノンフィクション」と呼んでしまっていいのかどうか、若干疑問に思う。ともあれ、前回の『絶対音感』ともども、最相さんは問題の切り取り方がうまい。青いバラはイメージ的にも綺麗だし、まだ実現できていないというのを聞けば、数学の難問や未踏の霊峰のように、存在にロマンがまとわりつく。事実、この本は、遺伝子工学や育種法をめぐる単なる技術開発譚には終わっていない。まだ見ぬ夢の花弁が、例えば千夜一夜物語やテネシー・ウィリアムズの戯曲でどんなイメージで受け止められていたのか。それを著者は探っていく。さらに、育種家と、花卉産業には新参者の企業との関心のあり方の違い、育種家それぞれの人となりなど、普通の歴史的記述からはなかなか見えてこない「花の文化史」が姿を現してくる。ノヴァーリスとバイオテクノロジーの話を一気に読める機会なんて、そう滅多にあるものではない。叙述の過程で何度も現れる高名な育種家、鈴木省三の肖像も、陰影に富んだ美しいものだ。そして私たちは、読むにつれ、バラの探究は、技術的偉業や利潤云々よりも、とにかく花を愛する人たちが動かしてきた文化なのだ、という最相さんの実感に共感するようになる。バラの姿には多くの文化が刻み込まれている。
 バラと一口にいっても、匂いや棘の感じ、それにもちろん色調の違いなどによって、本当にいろいろな種類がある。本をめくると、どこかのバラ園にいて、黄色や赤、白やサーモンピンクのバラの姿が彷彿としてくるようだ。個人的には、こくのある赤ワインのような、深い赤のバラが好きだ。だが、青空に混じる真っ青なバラを目前にしたら、確かに心が震えるに違いない。そして、まだ存在しない花びらの、静かに散る場面を思い描くとき、私はきっと、空を見上げているはずである。

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