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コラム

Vol.2

医薬品産業を日本のイノベーション産業にしていくための提言
国際医薬品情報誌 2009年8月24日号(通算896号)の連載:日本の医薬品産業の将来像より、岩垂編集長のご高配のもと、掲載させていただいております

京都大学 川上浩司 2009年8月13日
1. 世界が期待する医療開発とヘルスケア産業

人類の健康の維持、向上と疾病の治療は、世界的に重要なテーマと認識されている。2009年4月27日に行われた米国立科学アカデミーでのオバマ大統領の演説では、政府研究開発投資を対GDP比3%以上にすること、理系・科学人材の育成支援とならんで、米国立衛生研究所(NIH)の予算増加や癌研究への投資が発表された。米国のみならず、英国においても医薬品、医療機器の開発に対して政府や企業は多くの投資をしており、その成果が期待されているところである。また、治療分野のみならず、健康の維持、ヘルスケアという価値も益々重要視されている。しかしながら、日本の医薬品・医療機器産業おいては、日本の誇るすぐれた基盤技術が、牽引産業として昇華できていないということが懸念されている。イノベーション・エコシステムの乖離とも呼ばれる現象である。これは、決して基礎研究や医療従事者の能力や努力が欠如しているためではない。規制や制度のあり方が旧態依然としており国際的なイノベーション戦略になじまないということ、また、政策・行政研究、システム研究といった横断的な研究、提言が医療分野では不足してきたことが原因と考えられる。

2. 日本の医薬品、医療機器産業の現状

わが国においては、医薬品企業を製造、販売・流通の面から規制する薬事法においては、アカデミアにおける新規の科学技術の成果を医薬品などに応用していくという道筋はなじまず、米国などのように臨床研究と治験とを一体化させたInvestigational New Drug (IND) 制度が存在しないために、医療応用化は非常に困難である。そもそも日本には欧米諸国に比べて多くの製薬企業が存在し、それぞれの企業で行う研究開発のコストも分散しがちになっている、またいわゆるme too drugを開発することも多い中で、本当に新規性の高いinnovator drugを創出していくためには、うまく外部施設を利用することは重要と考えられる。つまり、研究のアウトソーシング先としての大学等研究機関の利用は有効な戦略であり、そのパートナーシップを効果的にしていくためには、大学研究者に創薬についての意義を啓発するとともに、大学病院で実施される臨床研究もGood Clinical Practice (GCP)に則る形で、臨床データを薬事承認に使用できるようにしていかなくてはならない。これがIND制度を日本に導入する最も重要な意義の一つであり、20(25)年の医薬品物質特許があるうちに迅速に研究開発、薬事承認、上市して売り上げをあげるために重要な手段なのである。
医療機器の開発においては、医薬品を想定した薬事法の取り扱いに医療機器がなじみにくいという背景があり、さらに、医療機器GCPの発令以降、企業で試作した医療機器の候補品(プロトタイプ)を大学等で臨床研究として実施することが困難となった。医療機器の臨床試験は、使用者である医師の経験、技術や医療機関のレベルによって影響を受けやすく、また、同じ医師でも訓練によって医療機器の適正使用が行えるようになる(ラーニング・カーブ)といった特徴もあり、プロトタイプを用いた臨床研究を試行錯誤して行っていくことが必須である。米国においては、Investigational Device Exemptions (IDE) 制度で一元的に医療機器を用いた臨床研究(開発)が規制によって管理、支援を受けているため、弾力的にプロトタイプを用いた臨床研究が行われている。また、欧州では、2004年からEC臨床試験指令は施行されて医薬品の治験と臨床研究とは一体化したが、医療機器に関しては各国の規制の考え方で臨床研究が継続されている。日本における審査当局の治療用機器(高度管理医療機器)の審査の遅さ、また、医療機器を用いた臨床試験実施の規制が同時に作用して、さらに医療機器の開発戦略が不明瞭になってしまったといわれている。上記のような規制環境と、また、保険収載時に、新規性の高い機能が付加されていても同様の用途目的をもつ医療機器には保険点数の付与がされづらいという点から、医療機器産業界にとっては新規のチャレンジや開発の動機付けが困難となり、ひいては医療、健康分野におけるイノベーションがおきるチャンスが減ってしまうという大きな問題を抱えている。
保険の点は別の話題とするが、少なくとも規制環境を改革していくことは最重要課題である。関連した2点の解決案として、(i)イノベーションを目指した薬事法の改正、IND/IDE制度の導入と新しいレギュラトリーサイエンスの考え方の啓発を盛り込んだ医薬品医療機器庁(仮称)の設置、また、(ii)臨床研究推進のために2008年7月に内閣府に設置された健康研究推進会議の更なる活用が重要である。これらについては、また別の機会に紹介する。

3. 米国における医薬品開発の振興施策の歴史

米国における薬事行政は1906年のFood and Drug法による医薬品のラベル標記の適正化、1938年のFood, Drug and Cosmetic(FD&C)法による医薬品の安全性検証の義務化からの時を経て、1960年代から70年代にかけて多くの医薬品が上市され、国際的な産業化への道が開かれた。しかし、更なる医薬品の創出の振興や、また稀少疾患を対象とした医薬品開発の促進のためには大学等研究機関の技術の利用、産学連携が不可欠と考えられるようになった。そのため、1980年に制定されたバイドール法においては、National Institutes of Health (NIH)から国費として研究機関に供出される研究資金をもちいた研究であっても、その成果を製薬企業等にライセンスを導出して、企業が利益をあげることを可能とした。政府としては、企業が国際的に利益を上げることができれば税金の増収に還元されて国益に資するという判断であった。バイドール法は大学等研究機関における医薬品関連研究に革命的な変化をもたらした。すなわち、医薬品候補物質を開発して製薬企業に導出するために、その安全性と有効性をある程度証明することが必要になってきたのである。そのために、研究機関自ら臨床試験を行う、また、数多くのバイオベンチャー企業が創出され、製薬企業との間の橋渡しをすることとなった。そのため、大学等研究機関やバイオベンチャー企業で実施される臨床試験の数は爆発的に増加した。ここで重要なのがIND制度である。すなわち、FDAは国民の安全を守るのが至上目標であるので、大学等研究機関で行われる試験(日本における新規介入を伴う「臨床研究」)であろうが、製薬企業において実施される試験(日本における治験)であろうが、分け隔てなくclinical trialとしてIND申請を義務付け、審査、認可を行っている。従って大学等研究機関で実施される臨床試験であっても必ずGCPに基づいて実施することが必要であり、大学等研究機関にもFDA(薬事)対応の部署が開設されるようになった。FDAにおいても、飛躍的に増加した臨床試験の審査を行うために審査官、事務官の人員を大幅に増強し、申請者とくに大学等研究機関を支援するようになった。学術、臨床研究振興のため、大学等研究機関は臨床試験にかかる申請手数料は無料である。そこで、特別会計制度であるPrescription Drug User Fee法 (PDUFA)を導入し、企業から支払われる臨床試験の申請手数料を国庫に納入して、そこから間接的に大学等研究機関において実施される臨床試験に対する審査に要する人件費が賄われる形となったのである。また、産業振興の観点から、ベンチャー企業に対しては、申請手数料はディスカウント料金が適応され、薬事申請が企業の負担とならないような工夫もなされている。

20世紀末になると、分子生物学の進歩により、遺伝子組み換え、培養技術を駆使した遺伝子や人工タンパクの産生が可能となった。また、ヒューマンゲノムプロジェクトの完了によって、人の臓器や体内の調節に関連した遺伝子が明らかになった。そこから、疾患に対応した遺伝子検索が可能となり、そこを標的とした医薬品、すなわち分子標的医薬や抗体医薬(新世代の生物製剤)といった新世代の医薬品が創出されるようになった。この10年間で、癌治療の分野においては、抗体医薬は実に全世界の抗癌剤の売り上げの半分を占めるようにまでに成長している。ただし、抗体医薬はコストが高価のため、世界的な医療費抑制の要請と代替法の探索から、今後は市場が減少していくことが予想されている。そこで、いわゆる「ポスト抗体医薬」をどのような剤形の医薬品(あるいは生物製剤)が引き継いで、医療現場で標準的に使用されるようになるかが今後の医薬品開発の鍵となっていくであろう。

上述のように、新世代の生物製剤はいまや全世界の医薬品市場(約75兆円)の10%を占めており、更なる増加が予想される。しかしながら、生物製剤にはタンパクや抗体の他にも遺伝子医薬、核酸医薬、ペプチド医薬、細胞医薬など様々な剤形が存在しており、その安全性や有効性の評価は低分子化合物とは大きく異なっている。また、評価方法もそれぞれ剤形間で異なっている。そのため、評価系の確立の困難も一因となって医薬品開発の成功確率は低下している。このように医療用品の安全性と有効性の評価は多様性をもつようになり、世界的にその方法論や規制のあり方などが模索されはじめている。そこで、レギュラトリーサイエンスという領域が非常に重要な意味を持つようになったのである。FDAでは、医薬品開発において、製薬企業を単純に規制するだけではなく、規制側からの開発の支援も行わない限りは国民の健康に資することができなくなったと判断し、2003年にはクリティカル・パス・イニシアティブを発表した。さらに、21世紀はオーダーメイド医療の時代(age of individualization)であるという判断から、様々な施策に取り組んでいる。

4. 欧州の動向

欧州でも、20世紀末には米国と同様に医薬品開発の成功確率は低下し、強力な行政支援が必要と認識されるようになった。2001年5月には欧州連合(EU)加盟諸国による理事会において、医薬品、生物製剤を用いた企業主導の臨床試験(日本における治験)と大学等研究機関における承認申請を目的としない臨床試験(日本における新規介入を伴う臨床研究)とを一体化させることを義務付けるEC臨床試験指令が発表され、2004年から施行されている。これによって、米国同様に医薬品の治験と臨床研究とは事実上一体化し、すべてGCPに則って実施することとなった。当初は大学等研究機関からは臨床研究の実施ハードルが上がってやりにくくなる、という観点から多くの批判があったこの改革は、臨床試験を実施する施設の閉鎖や臨床試験数の減少などをもたらしたが、実際には、科学的精度の低い(あるいは、質の低い)臨床試験を実施していた施設が淘汰され、薬事承認に使用できるデータをとれる施設が明らかになってきたといわれている。また、全体的な臨床試験の質の向上によって製薬企業も大学等研究機関と連携して医薬品開発にあたることができるようになることが予想されている。
上記のように、医薬品や生物製剤を用いた臨床試験を実施する場合には、EUに加盟する各国の規制当局に実施計画を届け出し、審査、認可を受ける必要があるが、臨床試験の終了後は、欧州の医薬品行政機関である欧州医薬品庁(European Medicines Agency; EMEA)において承認申請審査が実施される。新世代の生物製剤への対応としては、2007年11月に先進治療製品に関する規制(Regulation on advanced therapy medicinal products and amending Directive 2001/83/EC and Regulation 726/2001)が新たに発出され、各種ガイドラインが整備されている状況である。なお、欧州では、先進治療製品は遺伝子医薬、細胞製剤、組織工学製品の3つと定義されているが、遺伝子治療薬と細胞治療薬については、従来から通常の医薬品規制の範疇内に分類されている。これらのガイドラインをもとに、EMEAに先端治療委員会(Committee for Advanced Therapies; CAT)が新設され、審査にあたっている。2009年6月には新しい規制の枠組みで最初の細胞再生医療製品も承認を受けている。

5. そして、日本のとるべき道

わが国の医薬品産業をイノベーション産業としていくことは本当に重要なテーマであり、そのためには、医薬品規制改革、医療制度改革、横断的(システム型)研究の振興は必須である。また、疫学基盤や疫学研究(臨床疫学、薬剤疫学)の推進と、研究者や国民への啓発と理解向上も欠かせない。本稿を締めくくるに当たり、ここでは、規制や基盤形成への方策でなく、とくに医薬品の研究開発や評価に携わっている方々を応援するためにも以下3点の提言をエールとして送りたい。

(1)次世代の基幹産業としての認識
日本の人口は現在約1億3000万人であるが、30年後には9000万人台となることが予想されている。さらに、日本は保健衛生、医療の向上の成果から、世界史上まだどの国も体験したことのない、未曾有の超高齢社会を迎えることになる。納税人口が現在に比べて少なくとも4分の3以下になり(税収の低下)、さらに医療や介護の必要な高齢社会となったとき(社会保障費用の増大)、日本が国民の社会保障を維持していくためには、様々な改革が必要であることは論を待たない。少なくとも人口が減る日本が税収を維持していくためには、国際的な基幹産業を育成し、外貨をしっかりと稼いでいくことは重要である。新興国からの追い上げや国際的な生活環境の変化から、現在の日本の牽引作業である自動車産業が必ずしも30年後に日本の牽引産業であり続けるかは疑問である。そのため、我々は、次世代の基幹産業が何かをしっかりと見極め、持続的なイノベーションの可能性を育て投資を続けていかなければならないのである。
さて、次世代の基幹産業として有力な候補であるのが、医療、健康や医療用品である。日本人の長寿や健康観は世界からも高く評価され、また、医薬品創出の能力も現時点では日本は世界のトップクラスにある。我々が日本の強みを生かしていくためには、新規の医薬品や医療機器を創出し、世界に発信していくこと、超高齢社会の中で健康の価値や質の高い医療を提供できるという実力を世界に示すことは重要である。健康の価値という意味では、日本で高齢者が健康で幸せな生活を送れるためのありとあらゆる努力をすれば、国際社会に対してその方法論やコンテンツを輸出することができるのみならず、世界の富裕層が日本に移住する、あるいは別荘を設営するようになるかもしれない。ひいては、彼らによって日本の税収も上昇し、また教育の観点からも英語による初等教育に協力していただくことが出来れば、日本が苦手とされている国際的視野を持った人材の育成にも役立つであろう。

(2)シーズからニーズではなく、ニーズからシーズへの転換
科学技術は人類を幸せにするか。電子や工学においては、その答えはイエスであろう。なぜならば、電子部品の小型化が可能した携帯電話の発明は人間の生活や仕事のスタイルを変え、同じく電子部品の小型化とパッケージングの妙はiPodの発明によって音楽鑑賞に多様性をもたらし、半導体技術などがもたらした液晶テレビの発明によるテレビの薄型化は家庭のリビングの様相を変えたのである。このように、科学技術の進歩は人間の行動やスタイルを変化させることに成功している。私は、人間の行動が変わること(行動変容; behavioral change)をもたらすことを、「価値観の創出」と定義づけることがあるが、まさにこれはシーズからニーズを生み出した科学技術のなせる業なのである。
しかしながら、ライフサイエンス分野においては、このようにシーズからニーズが人類を幸せにするとはいえない。なぜならば、健康というものは個人個人の上限があり、成長戦略のようなものは必ずしも当てはまらない。例えば、裕福になって高級、高栄養なものを食べるようになると、個体の健康は損なわれる。また、いくら医薬品のシーズになるような物質を発見したとしても、そもそもその疾病領域に十分な医薬品、医療方法が存在しているのであれば、開発する意義は乏しいものになる。つまり、シーズからニーズのような考え方は必ずしも正しくないのである。重要なことは、人間が健康であるための、あるいは医療上充足していないことが何かということをニーズとして設定し、そこから研究開発に必要なシーズを見出すことである。健康、医療分野においては、科学技術の成果であるシーズありきでは、市場を形成し人間の行動変動をもたらすことは本来困難なのである。優れた研究成果を臨床応用するトランスレーショナルリサーチという取組は非常に重要であるが、より本質的に重要なことは、人類、あるいは国民にとっての健康や医療のニーズが何なのかをよく調査、検討し、そこから必要な研究開発領域を選定していくことである。この方法論は疫学の推進にも関連するが、海外における取組の実際についてはまた別の機会に紹介する。

(3)医療、健康用品の市場は世界でもっとも大きな潜在購買層を有している
最後に、産業化の観点からは、ニーズをよく理解した上での医薬品や医療機器の研究開発は、勇気を持ってどんどんチャレンジをするべきである。かつて日本は品質が高く低価格の自動車を発明し、世界中で売りまくることに成功した。なぜ売れたかというと、その商品価値もさることながら、何よりも自動車を走らせる道路は世界中に張り巡らされていたからである。一方、日本の携帯電話は高品質、高機能であるが、世界でのシェアは限りなく低い。日本の商品が世界のニーズに合致していないかというと、必ずしもそうではない。日本の携帯電話が世界で売れない最大の理由の一つは、通信規制であるといわれている。日本の無線通信は(国内産業保護のためか)規制が厳しく、海外のスタンダードとは異なっているといわれている。つまり、日本製の携帯電話商品をもっていても、海外ではすぐに使用できないのである。以上の教訓からわかることは、当たり前のように感じるかもしれないが、購買客が商品を実際に使用できるという基盤なのである。
では健康、医療分野はどうか。地球上には住むことのできるあらゆるところに人はおり、健康用品、医療用品はあらゆるところで使用が可能である。自動車における道路という基盤に相当するのが、医療用品においては人体そのものなのである。ゆえに、日本発の商品は世界中でももっとも大きな潜在購買層をもっているといえる。もちろん、工学製品や電気製品とは異なり、安全性に関わる医薬品や医療機器については、その担保のための規制が重要であり、前出のように、人類は薬事規制を確立、強化してきた。その上で、日本の医薬品産業、医療機器産業は、国内需要や日本の医療保険制度のみを対象とするのではなく、地球上に住む人類を対象として、新たなイノベーションを創出していくべきなのである。これは基幹産業として日本の国益に資するという観点からのみならず、世界の公衆衛生の向上、健康の増進という観点からも有益である。特に工学製品や電子製品に優れた日本は、是非医療機器の研究開発をこれまで以上に強力に推進していくことを期待する。
繰り返しになるが、勇気を持って医薬品や医療機器の研究開発に投資し、推進することは正しい選択である。

以上

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