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*科学は主観の枠をでない.医療=宗教?


 

 他でも、散々書いてきたが、再度まとめておく。

*医学=科学


医者になり3ヶ月が経ち、「科学=絶対=確かなもの」という、誤解(国民も医療従事者も)から生じる不幸を、最近よく目の当たりにするようになったからだ。

科学は、誰かの「発見」による主観から始まり、主観による理論で補強される。ガリレオの「地球は回っている」という「宗教」裁判を思い返して欲しい。

科学が進歩する=科学は絶対ではないし、100%でなはい。科学=100%=デジタル⇒宗教という。宗教は結論が決まっているからだ。

宗教は人類最大の発明だと、別でも書いた。100%は安心させる。拠り所になる。だからこそ、不安を抱えながら生きる人の拠り所として「ある」のだし、頼られる(依存される)のだろう。時代の混乱と信仰の厚さは比例すると思われるし。


*医学≠宗教


科学は反証可能なサイエンスである。これが絶対だ!という論調は反証不可能な宗教への道を辿っている。サイエンスは客観的と聞くが、そもそもその客観性は主観から生じたものであって、主観の枠を出ることは決してない。白黒ハッキリつけられないアナログの世界 なのである。

でも・・・

医学を使って、人・地域のマネジメントをして、「みんなに安心して死んでもらう」という目的を考えると、

*医療≒宗教

でもいいと思う


さらに言えば、

「私」は「あなた」にはなれない。相手にはなれないという立場で、自分にできることをする。「私」と「あなた」との共通認識は、そう思い込んでいる「認識」にすぎないことを認識して、お互いが納得した「振り」という「思い込み」で進行していく、現実・・・なんともスリリングではないだろうか。

「構造主義額的医療」とはまさにこのことだと思っている。

最後に、

世界は「私」の意識を超えることはない。しかし「社会」を認識している「私」にとって様々の世界観をもつ「他者」の存在は認めざるを得ない。「私」と表現すること自体が「他者との区別化」なのである。

さらには

共通感覚があると信じていると思い込んでいるから、「私がいいと思うことは、みんないいと思うに違いない!」と確信していると、なおさらタチが悪い。

最大の共通感覚=親友・家族などだろう。



さらなる詳細は以下。
http://square.umin.ac.jp/koba-Riv/watashi/watashi.html#tetugakushi
http://square.umin.ac.jp/koba-Riv/watashi/tetugakui.html
屋根瓦方式教育。屋根瓦って何?


2008.7.23 記述