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五感診療とエビデンスのバランスの重要性


 五感診療は診療のもっとも基本である

 医学が宗教としてでなくサイエンスとして機能するならば、サイエンスの客観性はそもそも主観から生じたものであって、主観の枠を出ることは決してない。だからサイエンスは反証可能は科学 といわれるのである。
 
・ウィルヒョウの結核菌発見:腫瘍と当時思われていた肺の影を感染症ではと主観から疑った。
・ピロリ菌の発見:病理研究者の中では胃になにか小さいものがあることはよく知られていた。しかし、「自分の気のせいだろう?」、とか「見えるけどまあいいや!」とかいった主観の否定が背景にあった。オーストラリアの発見者は、見えたことを信じたから発見できたのである。
・ペニシリンの発見:培養実験用のシャーレにずさんな管理からか、カビが生えてしまった。普通は、「カビが生えてしまった」で終わっていたところ、カビの周囲に金が発育していないことに気がついた。これも、主観を信じなかったら気付けなかっただろう。

 また、患者の「なにかおかしい」と感じる主観をきにとめず、バイタルが狂っているのに、検査結果(客観と思い込んでいるもの)なしで判断をすることの危険性など、主観が重要である。

 近年エビデンス(≠EBM)の発展と普及のためか、エビデンスが経験を凌駕する如く扱われている現場もしばしば見る

 例えば、身体所見では肺炎は否定できないというエビデンスがある。これも、肺炎を疑って、熱心に聞き耳立てて音を聴くのと、スクリーニングのように「ちょい、ちょい」と聞いたようにしているのでは、まったく信頼度が違う。非定型肺炎そうだから音は聞こえないと、音が聞こえないことが肺炎を疑うような機会になることもある。そうでなくても、個人差の問題(経験、耳が良いなど)、Κvalue(一致度)の問題もある。身体所見は”ある”と思って“診ないと”簡単に見過ごす。問診までで疑えてしまえは、検査閾値、事前確率・事後確率の観点からでも判断可能。この際のLR、感度、特異度も人によってもちろん異なる。エビデンスとして出ているのは、”それらの平均”なのだ。エビデンスを振りかざさないこと、エビデンスも主観の枠は決して出ない。

 この点を誤解していると、

・肺炎を臨床的に疑っているのに、4箇所聴診を肺でやって、エビデンスでは肺炎に対する聴診の感度は50%だから否定的という判断。

・拙いエビデンスの知識を武器に、臨床経験が豊かなベテランに対して鬼の首でも取ったかのように振舞う学生。

といった類になりかねない。

患者から始まって、エビデンスという道具"も"用いて、患者対医者の主観のやり取りで終わる。

この流れがEBMと私は理解している。医学はツールに過ぎず、あくまでサイエンスであることを意識し過信しないためにも、五感診療が重要である。

また、五感診療(見て、聞いて、嗅いで、触って、舐めて(これはセクハラかも・・・))は

・患者満足度がUPする。
・問診⇒身体所見⇒検査所見とbrain streamingをしながら判断するため、無駄検査が減る。患者も医療従事者側も時間の浪費を防げる。
・今日の診療費定額システム下では、病院経営的にもプラスかもしれない。
注)この制度導入前から、経済学的マクロ、ミクロの視点でも明らかにうまくいかないと分かっている状況で導入された!なぜ?早く病院で再検討するべき。
・医学の進歩にも貢献:新しい発見は自分の五感を信じた結果、マジョリティーのマイノリティーへの圧力と横暴に打ち勝った。

五感を信用しなくなるほど、「私だけがこんなこと(例:医者やめたい/なりたくない)思っているのでは?こんなこと思ってはいけないんだ」といった背水の陣に追い込まれる。もちろん、自分の判断を過信してはならないし、double checkによるリスクヘッジをもっと行うべき(特に政治・政策)だが、自分の感覚を誤魔化し、信じてはいけない社会で心が安定するはずはない

これを医療界で広めるためのキーパーソンが総合医と私は考えている。 



2007.12.18 記載