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*アメリカ医療制度と市場原理  



*アメリカ医療制度と市場原理  最新のダウンロード:「日米投資イニシアティブ報告書2007」「年次改革要望書」

*Introduction

A.「年次改革要望書」アメリカの日本改造計画とその背景。    

B.米国が要求し続けた簡易保険の廃止
C.次なる主戦場は健康保険
D.医療崩壊へのプロセス(医療経済の視点から〜米国を例に〜)

*さらに知りたい人へ (books、HPの紹介)

*アメリカ医療制度と市場原理 簡略化
*具体的に以下

*Introduction

アメリカを語る際の注意点、それは「理念と現実のギャップ」である。

えてして、多くの日本人はこの「理念」のみ注目して、やれ日本もそうすべき!、米ではもう何十年もまえに、こんな「勧告」を発していた!、だから日本は遅れているのであり、早く米に追いつくよう努力すべきだ!などと、現場を知らず(知っていて行動している一部の裕福層はいるだろうが)思考停止、無批判的態度に陥っている。

その「ギャップ(Ex:勧告だけで現場はまったく動かず)」や「裕福層の利益のために、中流以下をないがしろにし、非倫理的な態度の横行」も同時に成立している「現場」把握はないがしろにされている。薬害エイズがいい例である。理念先行、現場はビジネスチャンスが減るから無視、国内で批判が強くなれば、情報の乏しい外国にパワーゲームで転化する。パワーゲームの際は、綺麗な理念・理想で綺麗にラッピングしてから輸出する。これに、日本もだまされている。このラッピングされたパワーゲームの方法が、ここに示す「年次改革要望書」と「日米投資イニシアティブ報告書」である。




A.「年次改革要望書」アメリカの日本改造計画とその背景。


数年後の日本はどうなっているか。どんな分野で規制が緩和され、新たなビジネス・チャンスがうまれるのか。どの法律や制度が、どう改正されるのか。経営の中長期計画や、株式の投資戦略などを検討する際、必読の文献が世にある。

『年次改革要望書』という外交文書がそれで、一九九三年の宮澤・クリントン日米首脳会談で合意されて以来、日米両国政府が相互に提出しあってきたものだ。過去十年間、日本で進められてきた「改革」のかなりの部分が、日本政府への米国政府の『年次改革要望書』の要求を忠実に反映したものだ。今年国会で成立した新会社法しかり、改正独禁法しかり。そして郵政民営化法もまたしかりである。その歴然たる従属ぶりは、「恒常化された内政干渉」とでも表現するほかはない、主権国家として尋常ならざるものだ。しかもこれを中国・韓国という隠れ蓑を使い、中国の(米国に比べればあまりにも大したことのないとは言い過ぎかもしれないが)内政干渉(靖国問題しかり、竹島問題しかり、従軍慰安婦問題、韓国問題、大東亜戦争etc)に国民の目を向けさせ、隠し通そうとする始末。

米国からの執拗な圧力以外なにものでもないはずなのだが、戦後のGHQ洗脳プログラムに始まった、日本の弱体化プログラムはとどまることを知らなかった。日本に物つくりではかなわないと悟ったゆえに、NASAの機密技術を民間に開放したのがITの始まりであり、日本が戦後から急激な経済成長の時は世界中で日本の会社の仕組みを見習えというのが世間であった。が、いわゆる団塊の世代や洗脳を受けなかった今の高齢者の多分が引退していくなか、洗脳を受けた若者は単一宗教のない日本において公共性や共同体の認識の欠如を刷り込まれ、信念の崩壊、さらには社会の崩壊を引き起こしかけている。

さらに、できるだけ小さな政府をつくって、資源の配分を市場原理に任せようとする「構造改革」は、大きな所得格差をもたらす。それは、すでに市場原理で報酬が決まっている職業をみれば明らかだろう。プロ野球選手、芸能人、作家、画家など、巨万の富を得る者がいる一方で、三度の食事に事欠く者もいる。その所得格差は優に百倍を超える。

しかし、そうした大きな格差は、能力や努力の結果だけでもたらされたものではない。運で決まる部分も非常に大きいのだ。たまたま親が金持ちだったとか、たまたまよいパートナーに巡り会えたとか、たまたま時流に乗ったなどだ。そして、そうした幸運に巡り会える人の数は、非常に少ない。たかだか数パーセントだろう。残りの大部分の人たちは、市場原理の強化で、下層へと落ちていく。

食うや食わずの下層階級に追い込まれた人たちは、けっして文句を言ってはならない。それは、社会の責任ではなく、本人の能力や努力が足りなかったからだ。所得が低かったり、生活が苦しかったりするのは、その人の「自已責任」なのだ。二世議員ばかりが権力の中枢に居座り、社長の息子が入社してきて特別待遇を受けても、金持ちの子弟がお受験のおかげで有名大学へ進学できても、そんなことを気にしてはいけない。一見、彼らが特権を得ているように見えるが、そうではない。そうなれない人の努力や能力が足りないのだ。というのが今の世間である。

そして、それを隠すように「ナンバーワンではなくオンリーワン」いう言葉が2005年流行した。上層階級の人には「ナンバーワンをめざせ!」、下層階級の人には「オンリーワンなんだよ!」と、いう甘い言葉。その結果、オンリーワンを目指した大量の若者が、ニートやホームレスになっている。

『年次改革要望書』と「日米投資イニシアティブ」は機密文書でもなんでもない。情報公開法の手続きもいらない。在日米国大使館のウェブサイト(http://japan.usembassy.gov/tj-main.html)や経済産業省のHP(http://www.meti.go.jp/)でその日本語版が公開されており、いつでも誰でも無料で閲覧することができるもから無料で閲覧できる。
2005年は例年の公開時期に公開されず、さらなる隠蔽化が進む合図だろうと勘ぐっていた。ところが、半年遅れて公開された。2006年度分も時期遅れながらも公開された。2007年度の分は未だに公開されていない。阿部内閣になっても、小泉内閣から続く『年次改革要望書』通りの流れは結局変わっていない。安部も退陣表明した今日この頃、はたして・・・


B.米国が要求し続けた簡易保険の廃止

 いまからちょうど十年前、一九九五年十一月に米国政府から日本政府へ提示された『年次改革要望書』のなかに、郵政三事業のひとつ簡易保険に関して次のような記述がある。
《米国政府は、日本政府が以下のような規制緩和及び競争促進のための措置をとるべきであると信じる。郵政省のような政府機関が、民間保険会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する。》
 それ以来、米国政府は簡易保険の廃止を日本に要求し続けてきた。一九九九年の要望書ではより具体的な記述になっている。
《米国は日本に対し、民間保険会社が提供している商品と競合する簡易保険(カンポ)を含む政府および準公共保険制度を拡大する考えをすべて中止し、現存の制度を削減または廃止すべきかどうか検討することを強く求める。》
「民にできることは民にやらせろ」、つまり官業としての簡保を廃止して民間保険会社に開放しろというロジックの淵源は、米国政府の要望書のなかにあったのだ。
 郵政民営化法案に反対票を投じた国会議員たちは、自らの信念を貫いて行動した結果、権力の逆鱗に触れ、見せしめとして徹底的にいじめぬかれた。
 郵政民営化を唯一の争点とした先の総選挙の真相は、官邸とマスメディアが演出したような「改革派」対「守旧派」ではなく、「対米迎合派」対「国益擁護派」の闘いだった、というのが私の理解である。しかし真の国益を守ろうとした自民党の勇気ある議員たちの警鐘は、単細胞的常套句の連呼にかき消されてしまった。我々国民は「小泉劇場」に踊らされ、これらの政策通の国会議員たちから議席を剥奪し、その穴埋めに、小泉総理にひたすら忠誠を誓う公募の新人を大量に国会に送り込んだ。
 小泉総理のワンフレーズに比べ、反対票を投じた自民党議員たちの説明は国民にわかりにくかったと、したり顔で指摘した識者が多いと感じる。だが「政治はわかりやすくなければダメ」などというのは衆愚政治の極みであって、成熟した民主国家なら本来恥ずかしくて真顔で言えるようなことではない。日米保険協議以来の長きにわたるいきさつのある大問題を、説明責任も果たさず、ただ「イエスかノーか」という二者択一に矮小化して国民に信を問う、などというのは容認しがたい欺瞞行為である。「自己責任」の名の下に、最終的につけを払わされるのは我々国民なのだから。


C.次なる主戦場は健康保険

郵政民営化法案が成立した今、事情を知る者は次なる主戦場を凝視している。それは公務員数の削減でも、政府系金融機関の統廃合でもない。それらは真の葛藤から国民の注意をそらす当て馬に過ぎないのだ。この国には米国の手垢にまみれていない、もうひとつの官営保険が存在することを忘れてはならない。それは健康保険である。国民生活に与える衝撃は、簡易保険の比ではない。「民にできることは民にやらせろ」という主張がまかり通れば、健康保険も例外ではいられない。既に第三分野(医療・疾病・傷害保険)は外資系保険会社にとって、日本の保険市場を席巻する橋頭堡になっている。
 
慢性期病院と急性期病院を分離させようと国からの補助金がでる基準を厳しくし、2006年ついに病院の看護師の人員が補助金の基準に含まれたため、ますます地方の病院は経営が苦しくなってきている。
 
外国の保険会社参入の基準が昨年2005年に緩和された。法科大学院が設立され、米国の会社が告訴されないような条件での陪審員制度の導入が進み、国民皆保険自体が混合診療や医療点数改定で存続が危うい状況で、民間保険に頼らざるを得ない状況に追い込まれる中、医療訴訟は米国にとって非常によい金蔓なのである。


D. 医療崩壊へのプロセス(医療経済の視点から〜米国を例に〜)

私の経済学の知識は独学で偏った知識しかないのだが、それでも民間医療の拡大による悲劇(「改革のための医療経済学 Yoo Byung-Kwangを参照」)を米国の医療を例に示す。
 
医療の分野を市場に任せ、民間医療・保険が台頭してくると次の4段階で医療は崩壊すると考えられる。

1.「危険選択が民間部門のシェア拡大と公的部門の赤字拡大を同時に実現」

医療費の偏在は普遍的に存在する。具体的には1年間の総医療費の約30%をわずか1%の病弱・重症な保険加入者が使い、総医療費の約70%を10%の病弱・重症な保険加入者が使うことが経験的に知られている。これらの高額な医療費を使う人々を排除し、医療費が低い健康な人のみに加入を認めることが、民間医療保険会社にとって利益を最大化するための最も手っ取り早い手段になり、経済学では『危険選択』と呼ばれる。
 
米国では公的医療保険の一部に民営化を導入したところ、この危険選択が大規模に生じた。民間保険の加入者の健康状態を実際より重症に(水増しして)報告して報酬を得た結果、政府の報酬の過払いによる推定損失額は2.4兆円以上にもなった。加入者の数だけ見れば、保険市場の民間シェアが増大し公的部門のシェアは相対的に低下しても、病弱・重症な加入者を高い比率で抱える公的部門は一人当たりの医療費が増加するため財政赤字が増える可能性が高くなる。

2.「政府の規制強化が一部の民間保険会社の退出を促進」

増大を続ける財政赤字の対応策として、政府は「危険選択の制限」という規制の強化に乗り出す。規制の強化によって利潤率が低下したのを嫌い、一部の民間保険会社が市場から退出し始める。先の米国の例では、1998年に364企業から規制強化後の2001年には174企業に激減した。

3.「モラル・ハザードが公的部門を崩壊・退出させる」

規制の強化も、巧妙化する危険選択(事務的なミスを言い訳に高額な医療費の支払いを遅らせる等)を十分に防止できず、財政赤字は期待されたほど減らない。そのうえ、窓口での自己負担率が下がるほど受診回数が上昇し医療費を多く使うという(経済学でモラル・ハザードと呼ばれる)行動様式が財政赤字を更に増加させる。
 
このモラル・ハザードには2種類ある。1つ目は、公的保険の役割縮小のため、公的保険がカバー「しない」窓口での患者さんの自己負担率を3割から5割にしても、追加的に例えば自己負担の80%をカバーする任意の民間保険にも加入すると、実質の患者自己負担率は、3割から5割には増大するどころか、逆に1割に減少するので、モラル・ハザード故に受診回数が上昇する。その結果、公的医療保険の支出は、自己負担率増による皮算用を遥かに上回るペースで上昇する。
 
また、任意の民間保険に加入しない・できないグループがあり、このグループは重病になると5割負担のため、医療費によって破産する確率が高くなります。破産した場合、福祉制度に入り自己負担がゼロになるや、医療機関に必要以上にかかる別のタイプのモラル・ハザードが生まれ、福祉制度下の医療費が高騰し財政赤字は一層悪化する。
 
これらのモラル・ハザードが原因で、米国で公的皆保険の給付率を引下げて民間保険の役割を増やすほど、意図に反し公的医療保険の赤字も福祉制度の負担も上昇する可能性をハーバード大学経済学部のカトラー教授の実証研究が示唆している。福祉制度は医療費ばかりか、生活費も全面的に負担しなければならないので財政赤字を一層上昇させる。
 
モラル・ハザードにより財政赤字が増大し続け、最低限の医療を政府が保障する『必要はない』という政治的状況の変化が生まれれば、福祉制度を含めた公的部門が保険市場から退場する。

4.「そして医療は崩壊する」

今や、保険市場は保険に加入する意思と支払い能力のある一部の人々を対象にした民間保険会社が残るのみ。依然として、危険選択が巧妙化して行われるため、保険に加入する意思のある人々は政府に対し、「危険選択の規制の強化」を求めるだろう。公的部門が保険市場からも退出した後も、税金を使って民間医療保険の規制強化をするのはなんとも皮肉な話である。
 
ところが、この様な規制は『逆選択』と経済学で呼ばれる好ましくない消費者行動を促す。逆選択とは、任意保険では病弱な人ほど保険に加入する傾向を意味します。保険会社が、加入希望者の健康状態を詳細に「事前審査」した上で、保険料を設定すれば、この逆選択の問題は「ある程度」緩和さる。しかし、このような事前審査は、上述の危険選択につながる。事前審査を含む危険選択を厳重に規制できたとしても、病弱な加入者が増え、保険料収入以上の医療費を支払うことになれば民間保険会社は破産し、保険市場全体が崩壊する結末になる。

巧妙化した危険選択を厳重に規制することは困難で、危険選択のスクリーニングを通過できる人々を対象にした民間保険会社が残ることも予想さる。とはいえ、加入を認めた後でも一旦病気になると、加入者を保険から締め出す傾向は残るので、保険市場の規模は縮小する一方になるだろう。最後まで保険会社から加入を認められる高額所得者が、「医療費は自分で払えるので、保険は不要」と判断すれば、高額所得者相手の民間保険会社が保険市場から退出し、先のシナリオと同様に崩壊する結末になる。

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と、ここまで述べたが、医療経済学もまたツールであるに変わりない。経済学「理論」は、あくまで、学者の頭から出てきた「仮説」であることを認識する必要がある。そのため、「経済理論は常に客観的」でも「客観的な経済理論に基づけば、政策的な答・対応策は1つしかない」でもない。判断するのは国民である。
 
しかし、今の日本は制度改革の関心が社会保障に向いてあるが、年金問題に比べ医療問題に経済学者からの提言が少なく、医療に限らず、政策志向の経済評価研究において、残念ながら日本が欧米諸国に比べ量・質ともに圧倒的に遅れている。また、データ分析の裏付けのない「通説」 を根拠にしていることが一因で、日本の医療制度改革の議論は迷走というより、暴走に近い印象すらある。せっかく欧米の失敗例を目の当たりにしているのに、そこから学ぼうとしていないとしか思えない愚策が多いと感じる。
 
まずは、専門家が実証的・科学的根拠に基づいて過去や現行の政策を評価した上で、具体的な選択肢を提言する。次に、これらの政策の選択肢の根拠と、予想される結果を、最終的な決定権のある住民が理解できるよう提示する。これが理想で困難なのは承知。だが、やろうという気構えすら見えない。少なくとも私には感じられない。


*さらに知りたい人へ

・在日米国大使館のウェブサイト(http://japan.usembassy.gov/tj-main.html
・経済産業省のHP(http://www.meti.go.jp/)
年次改革要望書:『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E6%94%B9%E9%9D%A9%E8%A6%81%E6%9C%9B%E6%9B%B8
・−医療制度改革を考える− シリーズ(3)亡国の医療制度改革 埼玉県医師会会長 吉原 忠男  http://www.saitama.med.or.jp/top/03.html
・HP:MOURA  年次改革要望書の和訳(信憑性は不明だが、2種類あったほうが比較によいかも):http://web.chokugen.jp/nenji/2006/09/post_838a.html

・関岡英之 books
 ・ 拒否できない日本〜アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)
 ・奪われる日本 (講談社現代新書)
 ・国富消尽―対米隷従の果てに

さらには…こちらもどうぞ。



 2007.4.22 記載