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*医者と労働と法律


まず、非常によい特集があったので以下に紹介する。

日系メディカル:2007. 8. 22【日経メディカル8月号特集連動企画◆顕在化する医師の過労死Vol.1】「あなたは既に過労死水準」http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/report/200708/504009_3.html からの抜粋。

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*月150時間残業も「合法」の理由

 医師の長時間勤務が常態化している背景には、“医師不足”のしわ寄せがあることは論を待たない。しかし、別のところにも要因がある。長時間労働に歯止めをかけるべき労働基準法が、機能していないのだ。

 労基法は、週に40時間を超えて労働させてはならないと規定している。ただし、使用者が労働者と協定を結び、労基署の許可を得れば、これを超えて労働させることができる。これが、36(さぶろく)協定と呼ばれるものだ。

 厚労省は使用者に対して、36協定 を結ぶ際に「残業時間が月に45時間、年間360時間を超えないように」と告示を出しているが、これには法的拘束力がない。そのため、とんでもない時間を認めた36協定が結ばれているケースがある。医師の過労死問題に詳しい弁護士の松丸正氏によると、「月に150時間、年間1800時間の残業を認める36協定を結んでいた病院さえあった」という。そして、労基署もそれを認めていた。

 問題はほかにもある。多くの病院で医師を「管理職」扱いにしていることで、長時間残業が正当化されている実態がある。管理職は残業時間について労基法の適用外となってしまい、縛りがなくなる。ある労基署の担当者は、「医者はすべて管理職に該当すると解釈している病院もあるようだが、これは間違い 」と語るが、そのような指導は必ずしも行き渡っていない。

 こうした二重の抜け穴があるために、病院が際限なく医師を働かせることが可能になっているのだ。

*労災申請や訴訟を阻む壁
 
 不幸にして過労死した医師の遺族が、労災申請したり訴訟を起こしても、すんなり認定されるケースばかりではない。労働時間の基準に関しては、宿日直やオンコールの待機時間をどう見るかという問題が出てくる。また、精神的緊張や作業環境がどの程度のものだったのか、死亡した医師が「学生」なのか「労働者」なのかという点なども問われる。

 特に宿直や日直に関してはよく問題になる。宿日直は労基法上、「通常の業務がほとんど行われない」という要件を満たすことを条件に、「勤務時間」に計上しないことが許されている。医師の場合、宿日直中に患者の診療や手術など通常の業務を行うことも多く、その場合は「時間外労働」として勤務時間にカウントしなければならないはずだ。ところが、患者に応対した5分や10分などの時間しか労働時間にカウントしない病院がほとんどで、その準備や事務作業などに係る多くの時間は、労働時間から切り捨てられている。

 その結果、実際の労働時間より勤務時間が短く算定され、遺族側に不利になることはしばしばある。そして、病院管理者からみれば、医師の増員などで残業を減らそうという圧力も弱くなる。こうした現場の運用の問題点は、勤務医やその家族にはあまり知られていない。医師は「おかしい」と声を上げることなく過労死し、遺族は過重労働の証明の難しさに直面する。
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<コメント>

最近になってようやく活動している団体が増え始めたが、未だに自分の職場環境を「世間が悪い、行政が悪い」と周りを非難するだけで、「外部からの支援を待っていて福音を得ようとする姿勢」が強く、自分たちから変えようという団体が少ないと感じる。そういう方々は「責任の所在をはっきりさせないこと」に慣れてしまっているのかもしれない。少なくとも自分に与えられた職務を全うできない場合の責任を取らねばならない(職場環境、整備、システムなどの要因ももちろん大きいが)。

「まず動け!」、『天は自ら助けるものを助く』である。地方がよくなるのは国の施策にてよくなるなんて現状ではまず無理。それはもちろん重要だが、現状ではほぼ神頼みだろう。自助努力のないところは必ず崩壊していくと危惧する。職場環境もしかり。しかし、現在の国策の中、まじめにやっていれば報われることは残念ながら希少である。自助努力だけではどうしようもないところまで来ていると感じている。

私の知人曰く、

『自分自身が悪い ということに気付きたくないから,「世間が悪い、行政が悪い」というキーワードで思考停止する.あと,ほんの少し思考すれば,自分たちの問題となることがわかっているので,その寸前で思考を止める.実際には,自分の内に問題があると気付くことは,正に,”身近”に感じられて,実は楽しいことなのだけれど。魚釣り,ゴルフ,車の運転・・・それぞれ楽しむ人と嫌いな人がいるように,世の中の様々な問題を自分の内に見いだす楽しさをわかる人とわかりたくない人がいるのだろう。』

まさにそう思う。もはや好き嫌いの問題なのかもしれない。しかし、医者というプロとして、そして「自分の身は自分で守るために」も、一歩進んだ気持ちを期待するのは、期待しすぎだろうか!?



2007年9月2日記載