*これからの学習方法・態度―学生への提言―



「要領のよい、効率的な」学習法を自ら会得する必要がある。

知っていることが必要な知識とそうでない知識を明確にすること 。例えば、薬の投与量である。下手に暗記して投与量を間違うなら、そのつど確認すればよい。知識の
up dateも可能である。

また、学生時代の時間のある時に、知識を得る勉強のみならず、知識を効率的に得る
skillを磨く訓練をする必要がある。例えば、パソコン(word, excel, ppt, Internet, blind touch, etc)を使えるようになる、英語力をつける、情報や情報源の探索力や取捨選択力(Aについて知りたい、ではどこでAを的確かつ正確に知りその情報をどう判断するか、学習資料の選び方、医療分野における統計など)である。現在は情報化が進みよい勉強のツールは日々増えている(care net, books etc)。

10時間がある人が10の知識を得るとすると、5の時間しかない人は同じ方法では5しか得られない。しかし、3/5を情報の取捨選択にかけ、2/510とまでいかなくても8,9の知識を得る方法を取ることがこの問題を解消する。いや、むしろ、2の時間で20〜30をすることも実は可能なのである。短い時間でもようは集中と効率だ!time management 次第なのだ!!現代は情報にあふれている、そしてその情報は玉石混合である。これらのskillは将来の業務の効率化や質を大きく左右すると考える。

繰り返すが、だからこそ丸暗記ではない「系統だった必要な知識の習得方法の習得」が必要なのである。皮肉なことに、現時点でギャップを埋めることを教育やシステムに期待することはできない。もちろん指導者側は変わる必要がある。しかしそうした中、「系統だった必要な知識を教えてくれる人を探し回る学生が増える」ところが問題である。つまり、彼らは勉強を「知識を与えてもらうこと」と考えている。勉強は自分で「する」ものである。なぜ自分で勉強するのか?⇒患者によりよい医療を提供するためである。目の前の患者の問題点に気付き、対応することである。「その」勉強なのである。総論は学べても各論は目の前の患者からしか多くは学べない。

えてして、特に学生の勉強は患者への興味でなく疾患への興味が非常に強い。これは基礎医学から始まり、本での勉強・患者なしでのevidenceの話など、国家試験の勉強など、を中心の勉強をし、臨床経験がないのだからむしろ当然である。決して頭ごなしに悪いとは思っていない。

一方、こんな学生時代の勉強なんか役に立つのか?という疑問、もしくは学生時代を振り返って「役に立たなかった」と感じている医者も多いだろう。私は「役に立つ」と信じる。基礎医学の知識なしで臨床をやるのは極端に言えば犯罪行為と思う。そもそも疾患自体知らなければどうしようもないこともある。知識は多いに越したことはない。ただ、こうした疑問を感じている人にこそ
evidenceでなくEBMというツールに触れてほしい。

基礎の知識は臨床に対して有機的に構築されているかが重要である。では、医者として臨床経験をつめば興味がより患者へ向かうだろうか?そういう傾向はあるが不明と思う。その臨床経験が「患者」を考慮したものであるのならばだが。

また、今日の医療従事者の過労の現状で、指導者側だけに一方的に求める風潮はいただけない。教育とは「共育」である。教員、学生のバランスが重要である。

 では、学生側にはせめて「自分は」、できれば「みんなで」どのようにこのギャップを埋めるかを一度考えてみてほしい。

一方、勉強は決して周りに知識をひけらかして競争することではない。より細かいことを知っていることが至上価値のような認識は危険である。知識を共有するという重要性・必要性そして全体への貢献という認識で、自分の行動の延長に社会や時代を感じて行動しようとできる感性に一度触れてほしい。そして、社会の一構成員としての医者という立場を意識し、それ以上でもなくそれ以下でもないという誇りと謙虚さを持てることが必要である。

社会情勢を概観すると、特に地方の病院を潰そうという時代時代背景の中、病院そして医療は当然ながら医者だけでは成り立たない。

経営・行政を意識できないと医者は職業としても危険である。また、医師の地域偏在(絶対数も足りないし、学閥・医局の縄張りのため人材の流通が悪く空洞化地域がある)に関しても、東北の医局と地方病院間での寄付金問題や初期臨床研修制度の必須化の中、厚生省や日本医師会、日本病院会などの公的機関が役割を担うべきだと思うが、実際彼らはまったく動かず民間の医師人材紹介会社が利益を急増させている。そのため、自分の就職先に関しても損をしないためには人にお任せでなく自分で探すことが求められている。医者側も、病院側もうまい口車に乗らないようにしなくてはならない。

そして、病気が急性期から慢性期中心に移行し、「生活圏の医療化(医学の進歩は医療の範囲を広げ、共同体の崩壊により様々な問題に対する解決能力が低下し、国民の「自己解決の放棄」ともいうような状況が生じている。そして、その国民のニーズに合わせて、医療は生活圏を取り込み侵食・補完した。結果、子育ての小児科相談など以前は医療で取り上げなかった問題にまで医療に求められる風潮になっている。」が進み、一昔の「技術」さえあれば人間性は良くなくてもそれで済んでいた時代ではなく、人間性・社会性がますます求められている


2007年8月記