| ■戦前 | |
| 風土病とは、環境とそこに生活する人々の行動、風俗、習慣などが織りなす複雑な主体−環境系の中で発生する地域的に限定された疾患。マラリアは古くから「八重山熱」として恐れられ、マラリアによっても廃村になった地域も少なくなかった。 | |
| 1880. (明治13年) |
フランス軍医Charles L.A.Laveran マラリア病原体発見
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| 1894. (明治26年) |
「南東探検」 青森県弘前士族笹森儀助
「明治26年5月10日琉球群島探検トシテ家族知友ニ別レヲ告ケ弘前ヲ発スコノ行ニ大危害ノ前路ニ横ハルアリ何ソヤ毒蛇ノ螫喫也瘴癘毒ノ感染也コノ二毒を蒙ルトキハ其生ヲ全フスル者寡シ余ハ己ニ決死ノ上途ナレハ外貌強テ壮フモ内実生別死別ヲ兼ネ血涙臆ヲ沾ス」 機那丸(キニーネ)に効用があることはわかっており、1893年には八重山島役所にてキニーネの住民配布が行われた。 |
| 1895. (明治27年) |
内務省による八重山風土病調査
瘴癘毒は原因不明の熱病であったが、笹森の報告は内務省、国会を動かし、八重山風土病調査を実施し、マラリア原虫を発見、風土病がマラリアによることが明らかにされた。しかし治療法としてはキニーネしかなく、その供給は不十分であった。またマラリア有病地の多くは僻村で常駐する医師はなく、医師のよる巡回が年に一度あるかないかであった。 |
| 1897 (明治30年) |
Sir Ronald Ross マラリア媒体蚊のマラリア伝播を実験的に証明
それまでは沼沢地からくる悪い空気(mal'aria)と思われていた。 |
| 1921 | 内務省マラリア予防班事務所を設置
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| 1922 | 防あつ事業
マラリア有病地の全住民に対し1,2ヶ月に1回定期採決、原虫保有者に対して化学療法剤の投与で治療。 蚊帳の使用、除草や排水溝の整備を実施 |
| 1926 | 八重山群をマラリア流行地域に指定。
防あつ区域、予防区域に区分して対策が行われたが、戦前の沖縄群島においてはあまり効果を上げることはできなかった。 |
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