第二期1951.7〜1966.9  
自由診療時代

 
1951.1.19米国民政府布令第31号「開業医師、歯科医師の配置」
 沖縄医師配置委員会によって10に分けられた各地区に開業医師数を制限 米軍政府による統制経済から自由経済への移行期であり、医療もその流れをくんだ。次第に規制は緩和され、より広範囲、効率的な医療体制を調えていく。

   宮古諸島・八重山諸島:戦前から一貫して自由開業

1951.4.1 米国民政府布令34号「病院診療所に関する法」
病院:30床以上の収容施設
 開業医が病院の承認を得て自分の患者を開放性病院に入院させ、自分で継続して診療を行うことができるオープンシステムが始まった。しかし実際は結核病床の割合が高く、十分なベッドを確保できなかった。また常勤のレジデントを24時間体制で配置を試みたが、環境の悪さに若い医師の定着は難しく、常勤医師の確保は困難であった。

診療所:20床以上の収容施設
 医介輔は外来患者のみを扱う

1951.5.5 米国民政府布令第43号「医師助手廃止」
 開業医を認める中で、医師助手も法による規定が必要となった。そこで、医師助手を廃止「介輔制度」を設立。126名の医介輔が登録された。この時沖縄の医師は179名である。 

1952. 日米平和条約発効

1953. 国費留学制度及び国費沖縄学生制度(〜86)
 先の平和条約を受け、日本政府の援助による医師、歯科医師を養成が始まった。



●医療施設(1950.12)
総合病院 沖縄中央病院 名護病院 宜野座病院
地区病院 石川 前原 首里 知念 糸満
特殊病院 らい療養所(愛楽園) 精神病院 結核療養所(金武保養院)
宮古郡島 宮古民政府立結核療養所
八重山諸島 八重山総合病院(10床)

(1952.4)
開放性病院 名護病院(40床)沖縄中央病院(180床)那覇病院(226床)
公立診療所 17カ所
私立診療所 113カ所
宮古郡島 結核療養所のみ 政府立宮古病院の設置(1960年)
八重山諸島 八重山中央診療所
 八重山診療所 1954年
 八重山療養所 1957年
 八重山病院 1860年(96床)



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