| ■1945〜49 米軍の直接統治期 | |
| 米軍にとって難民救済時代であった。直接占領目的の遂行と秩序の回復にあたった米軍は食料,医療,住居のテント等米軍需物資を給与もしくは無償配給を行った。沖縄県民の課題は食料危機と傷病,特に急性伝染病の慢性防止(特にマラリア)であり,医療器具も薬品も米軍から無償支給され,診察,診療は無料で行われた。 | |
| 1945.3.26 | 座間味島に米軍が上陸 |
| 4.1 | 沖縄本島に米軍が上陸 米国海軍軍政府布告第一号ニミッツ布告宣言
米国海軍軍政府設立(1946.7.1 陸軍軍政府となる) 6月下旬に日本の沖縄守備軍最高司令官牛島満中将自害,実質的抗戦終了 地上戦闘の戦死者(日米将兵/沖縄住民)20万人 住民の戦病死者10数万人 (飢餓,マラリアによる病死を含む) 当時人口約30万人余 (男性13万5,126人、女性19万 1,499人) |
| 4. | 米国海軍軍政府布告第9号「公衆健康及び衛生」公布
日米間で戦闘が繰り広げられていた頃から非戦闘員の住民を島内数12ケ所の難民収容施設に集め,米軍医療関係者が直接,難民救護医療を行うと共に,沖縄の医療関係者はすべて無給で医療確保のために動員された。医師でなくても経験のあるものは助手として医療にあたらせた。これが医師助手(Assistant Doctor) および歯科医師助手(Assistant Dentist)制度の始まりとなり、介輔制度の前身となる。 終戦直後沖縄には医師が64人しか残っていなかったのに対し、医師助手として58人が採用された。 |
| 8.15 | 沖縄諮詢会
初の行政組織として米軍により召集 |
| 1946.4.24 | 沖縄民政府設立
1,2,3次病院が指定され、医療関係者は全員,公務員として配置される 総合病院:沖縄中央病院,名護病院,宜野座病院 地区病院:知念,糸満,前原,那覇,石川 診療所:89ケ所 特殊病院:らい療養所,結核療養所,精神病院 |
| 1948.4.1 | 医療サービスが有料になるが低廉であった。
初診3円 再診以後1円 入院料2円/日 薬代1日1円/錠 手術料20円〜300円 (当時の物価はタバコ20円/個 コンビーフ缶詰め18円/個であった) |
| 1949. | 契約留学制度発足(〜52)
医師確保を含む戦後復興のリーダー要請を目的として,沖縄に帰還して建設的な業務に就くことを条件に米軍政府が学資,生活費を支給して留学生を送りだした。1950年に発足したGARIOA資金(占領地域統 治資金)による。1952年までに総計455人,うち医学専攻学生が120人を占めた。 |
| 1949.12.10 | GHQ公衆衛生福祉局(PHW)長 C.F.サムス准将来沖
「保健所の設置と性病の撲滅」を強調 →各地に保健所設置。公衆衛生看護婦の養成 |
| 1950. | 琉球大学開学
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| ■1950〜51 米軍の政策転換期 | |
| 米国の恒久的統治のための準備期。沖縄は太平洋の要石として,米国にとって東アジア地域を監視する重要な軍事上の要塞となり他の面に比べ軍事が優先されたため,沖縄住民に対する基本方針は,戦前の生活水準に復興させること,及び軍政を損なわないよう最低限度のヒューマニタリアン・ニーズを充足することであり,米軍の保健医療政策は米軍人の健康擁護最優先となった。 | |