沖縄を訪れて

 この8月、「医介輔」にお会いするために沖縄を訪れた。

 「医介輔」の名を耳にしたのは5月頃だったと思う。最初は沖縄独特の「ユタ」や「ノロ」のような存在と思ったのだが、医師と同様、一般的な医療を行っているという。「医師でなければ、医業をなしてはならない。」 これは日本国が定めた医師法第17条であるが、沖縄戦直後の特殊な状況が医師ではない「医介輔」を生み出した。詳しくは報告書に譲るが、50年たち数名となった医介輔は、今日も沖縄で医療を続けている。

 沖縄への訪問は2度目である。前回は数ヶ月前の春なのだが、この時感じた多くを確かめるように再び沖縄を訪れたといってもいい。

 私の実家は鹿児島であるが、隣の県である沖縄は全く違っていた。メディアや交通がこれほど発達した現代でも、乗り物から足を降ろした瞬間に街の薫りを嗅ぎとってしまう程、独自の雰囲気をまとった場所は日本にもある。その中で沖縄は格別であった。島全体が醸し出すそれは、大変心地よく滋味深いものであった。滋味深さ、これは沖縄に滞在している間強弱をもって常に感じていたものである。

 まず自然の柔らかさである。亜熱帯の自然は生命力旺盛でどぎついと身構えていた瞳に、夏の緑は意外にも穏やかに、そして鮮やかに翳を落としていった。なだらかな丘陵が連なった島に、南海のぬくい風が吹き通る。うりずん、と琉球語で呼ばれる春に比べ、さすがに夏は熱風とともに緑も色濃くなっていたが、ハイビスカスの赤や黄が新たに織り込まれながらその柔らかさは変わらないように思えた。

 そして沖縄を訪れる人の多くが口にする、ホスピタリティー。沖縄には「ニライカナイ」という信仰がある。海の彼方にある世界「ニライカナイ」から神々が訪れて、様々な豊饒や幸せをもたらすという。外から来る人たちは福の神であり大切にしなければならない、これが沖縄のホスピタリティーの原点のようである。最初は戸惑うこともあったが、南方の陽気さも手伝って、島の人の温かさに幾度心地よさを覚えたことだろう。

 初めて会う熱研部員のために、琉球大学熱医研の方々が多数集まってくださりお酒をともにした。夏休みが終わろうとする忙しい中、一緒に「しま(泡盛)」を飲み熱っぽく語ってくれる。こちらが気づかない間に内輪へ引き寄せ一緒に楽しむ独特の寛大さには、心底感激した。「カチャーシー」という踊りが始まると、小さい子からお婆ちゃんまで皆が皆、自分流に踊りだすこの文化に、正直うらやましさを覚えたものだ。

 沖縄を離れる前日、沖縄の知人のご厚意で医介輔の野原先生にお会いすることができた。突然の訪問にも関わらず、先生のご家族が大皿に盛られたお寿司で歓待し、快く話を聴かせてくれた。戦後医介輔として、野戦病院のように毎日数十人、時に100人を超え深夜まで患者が押しかけてくる現実を前に、ただ一人で診療を続けたといった話を淡々として下さった。沖縄戦、そして戦後沖縄の話をしながら、お汁のお代わりを私達に勧める先生。私はこの夏お会いした沖縄の方々が、例外なく親切であったことを思い出していた。

 ホスピタリティーというのは、自己と他人が異なるという絶対的な認識があって、初めて生まれるように思う。自己という明確な線が引かれた向こう側に、具体的な心を提示する準備ができる。そのような意味で沖縄の土壌にホスピタリティーが根付いているのであれば、海のために他と隔絶されながらも、盛んに他の存在が錯綜した「琉球」国としての長い時間が育てたのではないだろうか。

 14世紀末、明の属国となった頃から、海を越えての交易が盛んとなる。日本、朝鮮、遠くアユタヤ、ジャワと、当時各国が船を南海に滑らせていた風に乗り、琉球の多くの船もまた、時代の風を受け帆をふくらませたのである。

 他の存在は、時に権力の侵入という形で際立つ。17世紀に入り島津藩に支配された琉球は、明の属国という二重関係に挟まれながら存在し続けていた。現在私達が「沖縄らしい」と理解している名前や服装、概念の一部は、異国支配を日本幕府へ示すために、また島津の支配を隠して引き続き明に朝貢させるために島津が強制し、あたかも古来からあるように定着したものである。

 他との関係の中で常に存在していた琉球。今もなお日本と米国の間で存在する。私達は、現在の沖縄に対しても同じ誤解に陥っていないだろうか。「沖縄らしい」と思われるものが、ある時外界の権力や歴史的な思惑が入り込むというプロセスの中で構築されてきた、この時間軸を伴ううねりを見落としてはいけない。

 歴史は多数の人々が同時進行に動いてつくられていく。医介輔もまた時代の要請の中で、長く離島や僻地の医療に専念されてきた。医介輔の方々を思うとき、これを制度とし本土復帰後も存続するために関わってきた人々、そして医介輔の医療を受けた沖縄の人々にもまた思いをはせなければならない。このような方々にお会いする機会を与えてくれた、全ての方に感謝を申し上げたい。



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