わが国における心臓大血管外科発展の歴史と顕彰

特定非営利活動法人日本心臓血管外科学会
名誉会長 古瀬 彰
はじめに
 多くの医学の領域の中で、心臓大血管外科ほど急速な発展を遂げた領域はない。現在では、新生児から超高齢者にいたる幅広い年齢層の心臓大血管疾患に対して日常的にしかも安全に手術が行われている。これは過去に於ける心臓血管外科医を中心とする医療スタッフの献身的な努力の汗の産物であるとともに、当時危険を冒して手術を受けられた患者・家族の涙の結晶である。わが国の心臓血管外科は第二次大戦のためそのスタートは遅れたが、短期間で欧米に追いつき、世界に伍する成績をあげるにいたった。ここではわが国の心臓血管外科の歴史を顧みて、その発展に大きく寄与した業績を紹介する。

1.黎明期の心臓手術

2.非直視下心臓手術

3.常温下の直視下心臓手術

4.低体温法による直視下心臓手術

5.人工心肺による直視下心臓手術

6.大血管手術

 世界最初の腹部大動脈瘤切除は1951年Dubostによって実施され、再建は同種大動脈によって行われた。わが国で最初の腹部大動脈瘤切除が実施されたのは1952年7月25日である。東京大学の木本はこの例にアルコール内保存同種大動脈を移植、さらに1953年2月18日、別の症例にアルコール内保存羊大動脈を移植した。前者は7年後に大動脈十二指腸瘻で死亡、後者は11年後クモ膜下出血で死亡したが、剖検で羊の大動脈に粥状硬化はあるものの患者自身の大動脈と区別がつかないほどになっていた。腹部大動脈に人工血管を最初に用いたのは東北大学の大原でナイロンを使用しているが、1959年和田(達雄)の指導でクリンプ付きのダクロン人工血管がわが国で作られるようになり、これによって腹部大動脈瘤の手術が普及した。

 最初の上行大動脈切除、側壁縫合も木本が行っている。手術は1952年11月で、欧米よりも早い手術例であったが、患者は縫合部末梢端の瘤再発破裂のため術後34日に死亡している。上行大動脈切除、側壁縫合の本邦最初の長期生存例は1959年の和田(寿郎)の手術例である。上行大動脈瘤の切除置換術は1967年新谷らにより体外循環下に、同年船木らにより潅流低体温循環停止下に行われ、いずれも成功した。

 下行大動脈瘤切除の第1例は1956年7月に木本によって行われ、ナイロン人工血管が移植された。下行大動脈遮断中の脊髄保護について東京大学の宮本(清)らが髄液吸引を1957年に報告したが、これはわが国血管外科の独創的な業績であり、現在も世界的に臨床応用されている。

 解離性大動脈瘤に対する本邦における最初の下行大動脈置換例は1962年名古屋大学の神谷(喜作)らによって報告された。低体温麻酔下に左鎖骨下動脈分岐部直下から横隔膜直上に至る解離性大動脈瘤を切除、末梢側の解離腔を閉鎖した後、テトロン代用血管を真腔に吻合した。患者は全治退院し長期生存した。

 弓部大動脈瘤切除については、1960年木本は一時的バイパス法による最初の成功例を報告し、少し遅れて同年和田(寿郎)も一時バイパスによる成功例を報告した。大阪大学の宮本(巍)によって人工心肺による弓部大動脈置換術の成功例が報告されたのは1964年になってからであった。

 弓部大動脈置換では脳保護法がもっとも重要であるが、本邦においては1957年に東北大学の渡辺らによって実験的に報告された超低体温法はその後大きな発展をみせず、むしろ脳潅流冷却法が繁用されてきた。浅野は心臓手術において選択的脳潅流冷却法を実験的に開発しているが、弓部大動脈手術にもこれを応用し、1970年に分離体外循環と名付けその普及につとめた。その後この選択的脳潅流法は本邦において非常に発展し、弓部大動脈手術に関して世界をリードする手術成績があげられている。また1988年に天理病院の上田らが導入した逆行性脳潅流法は簡便であるため急性大動脈解離などに対する緊急手術に応用しやすく、弓部大動脈手術の一般病院への普及に役立った。

 胸腹部大動脈瘤の切除は1966年榊原(仟)らによって行われた。表面冷却による全身低体温法により、DeBakeyの方法に準じて腹腔動脈と上腸間膜動脈の再建がなされ、全治退院している。

 近年胸部大動脈の手術成績が著しく良好となった一つの理由として人工血管の進歩があげられる。移植時にヘパリンの全身投与を必要とする部位の人工血管は有孔度が低いものが必要であり、以前のものは出血を防ぐための前操作によって人工血管が硬化し、縫合がむずかしくなるという欠点があったが、このような前操作を必要としない柔らかな平織りダクロン人工血管が使用されるようになってから、著しく縫合が容易になった。

7.日本心臓血管外科学会の国内的・国際的リーダーシップ


日本心臓血管外科会長・理事長・総会会長