気管吸引のガイドライン
(成人で人工気道を有する患者のための)
日本呼吸療法医学会
コメディカル推進委員会 気管吸引ガイドライン作成ワーキンググループ
森永俊彦、鵜澤吉宏、宮地哲也、松本幸枝、中根正樹、安保弘子、横山仁志、
2005年12月9日作成
2006年10月28日改訂
2007年02月12日最終版
2007年09月09日パブリックコメントを受けて最終改訂
ガイドラインの作成にあたって
気管吸引は各医療施設において広く行われているが、その手技や基本方針は各施設によって異なるのが現状である。これは今日まで国内に目的・手技・適応などを整理した標準化された指針(ガイドライン)がなかったためである。このため、施設によって気管吸引に関連した医療の質と安全性に差が生じていることは否定できない。また、標準化されたガイドラインがないことは教育現場においても混乱をもたらしている。
気管吸引は医師法および保健師助産師看護師法により医師および看護師が行ってきた。しかし、近年、在宅医療が広がりをみせる中、医師や看護師でない者にも一定の条件を満たし、目的の正当性、手段の相当性、緊急性があれば、気管吸引が行えるという判断を厚生労働省が示した。医療行為である気管吸引を医師や看護師などの教育された者以外が実施するためには、本来は救急救命士が特定行為を行うようにメディカルコントロール*体制下に処置が行われるべきであろう。この点に関しては更に検討が必要であるが、最低限、安全を考慮に入れた教育が必要となる。それ以前に医療現場において適正なガイドラインに基づいた教育が必要であることは論を待たない。そこで本学会では呼吸療法に関わる医師と看護師、理学療法士、臨床工学技士からなるワーキンググループを作り、気管吸引が安全に行われるためのガイドラインづくりにとりかかった。
このガイドラインは医師、看護師を含む気管吸引に関わるすべての者を対象に、安全に効果的な気管吸引を行うことができることを目的に作成された。特に成人の人工気道(気管挿管や気管切開)を有している患者を対象にした気管吸引の方法に関して述べたものである。
気管吸引は侵襲的医療行為であり、その実施により患者の状態が変化することがある。気管吸引実施に際しては安全を考慮し病状の悪化を未然に防ぐこと、また最小限にとどめることが求められる。そのためには適正に手技を行うことはもちろんであるが、それ以上にアセスメントの能力、不具合の見極めとその是正処置が必要である。このガイドラインでは特にこの点を強調しまとめた。
気管吸引は気道浄化法の1つの手法である。特に人工気道を有する患者は、上気道がバイパスされていることによる加温加湿不足や、声帯閉鎖不全状態がもたらす咳嗽力低下など、気道浄化機能が低下した状態にある。気管吸引の方法を習得することと合わせ、このような気道管理法や呼吸理学療法といった治療方法に関する知識を習得することが望ましい。
このガイドラインに用いられた文献は、電子データーベースであるMEDLINE(1980年から2005年)、Cochrane Date BaseからKeywordとして"tracheal suction" "artificial airway" "suction" で検索したガイドライン、レビューを中心とした報告より要点を抜粋している。このガイドラインは、対象を成人の人工気道を有している症例とし可能な限りエビデンスに基づいて書かれている。しかし、残念ながら現状ではこの分野において十分なエビデンスがないことから、このような点に関しては本邦の現状を踏まえて経験的に最良と判断したことを記載した。
このガイドラインでは「推奨する」「望ましい」の2段階で推奨レベルに差をつけているが、推奨レベルは前述の理由もあり必ずしもエビデンスの強弱に基づくものではない。原則的には十分なエビデンスがあり最良と判断したもの、またはエビデンスとしては弱いが今日の医療状況において最良であると我々が評価したもののうち、気管吸引を実施する際には最低限遵守するべきであると判断したものを「推奨する」とした。エビデンスや医学的見地からは本来ならば「推奨する」べきではあるが、保険制度上または経済的にそれを実施することに現状では困難があると考えられた場合には「望ましい」とした。
気管吸引を必要とする病態は重症肺傷害で集中治療を必要とする症例から在宅医療を受けている症例まで多岐にわたる。一つのガイドラインでこれらすべてをカバーすることには無理な点もあるが、各施設ではあくまでこのガイドラインに準拠して実情にあったマニュアル(手順書)を作成して使っていただきたい。安全上必須ともいえる経皮酸素飽和度モニタ、感染対策上必要な閉鎖式吸引セット、使い捨て吸引カテーテルなどはコストがかかるために導入がためらわれると考えられるが、このガイドラインをきっかけに病院経営側の理解、また保険制度の改善、機器メーカーのコスト削減努力によってそれらの普及を期待するところである。
このガイドランでは気管吸引が必要な状態にある人をすべて患者という呼称で記述した。気管吸引を必要とする者が必ずしも病を患っているわけではないので、すべてを患者と呼ぶことは本来適切ではないが、便宜上患者と呼ぶことにした。適当な呼称があれば今後の改定で置換えたい。
このガイドラインをもとに国内各施設において気管吸引が適切に行われ、多くの気管吸引を必要とする方々に安全で効果的なケアが行われることを期待している。
このガイドラインは5年毎に内容を見直すことにしている。
メディカルコントロール
メディカルコントロールとは、元来は病院前救急医療において救急隊員が行う電気的除細動などの応急処置を医学的に保証することを指す。医師からの迅速な指示、事後検証、教育の3本柱がメディカルコントロール体制の構築に欠かせないものである。
気管吸引を医師、看護師以外の者が行おうとする場合には厳密にはメディカルコントロールが必要であると考えられるが、実施に際してその都度医師の指示を仰ぐことは現実的ではない。しかし気管吸引の質を医学的に保証することは重要であり、このためには特に教育を行うことが有用である。また、定期的な検証も必要である。
直接指示を仰がずに検証と教育を主たる根拠にするものを包括的指示のもとに行われる間接的メディカルコントロールと言う。
ガイドラインの内容
- 定義
- 目的
- 実施者の要件
- -必須要件
- -望まれる要件
- 適応
- -適応となる患者
- -適応となる状態
- 禁忌と注意を要する状態
- 手技
- -必要物品
- -実施前準備
- -実施
- -実施後
- アセスメント・結果の評価
- 合併症と対処法
- 感染対策
- 気管吸引実施の流れ
1.定義
気管吸引とは、人工気道を含む気道からカテーテルを用いて機械的に分泌物を除去するための準備、手技の実施、実施後の観察、アセスメントと感染管理を含む一連の流れのことをいう。
(本ガイドラインでは吸引カテーテルを一度気道に挿入し、吸引操作することを1回吸引といい、一度に連続して行われる数回の吸引操作を1連吸引とよぶことにする。)
解説
気管吸引は気道浄化法(障害物を取り除きガスの出入りを容易にすること)のひとつである。患者自身の咳嗽やその他の侵襲性の少ない方法では取り除くことのできない気管から分泌物、血液などを機械的に陰圧をかけ、カテーテルを用いて取り除く方法である1) 2)。この手技には気管吸引までの準備と実施、実施後の観察、それに加えこの手技一連の流れを通したアセスメントと感染管理が含まれる。気管吸引において適正な手技を実施することは当然重要であるが、アセスメントと感染管理を的確に行うことは適正な手技と同様に重要事項である。安全で有効な気管吸引のためにはアセスメントは不可欠であり、本ガイドラインで最も強調したい事項の一つである。
2.目的
気管吸引の目的は気道の開放性を維持・改善することにより、呼吸仕事量(努力呼吸)や呼吸困難感を軽減すること、肺胞でのガス交換能を維持・改善することである1)。
解説
最も重要な目的は安楽に換気が出来ること、つまり呼吸仕事量や呼吸困難感を軽減することである。また、酸素化の改善のためにも重要であるが、そのためには他のアプローチも考慮すべきである。分泌物による気道の狭窄・閉塞が原因と考えられる場合を除いて必要以上の気管吸引を行うべきではない。
気管吸引は侵襲的な苦痛を伴う処置であることを忘れてはならない。
3.実施者の要件
Ⅰ)必須要件
気管吸引を実施する者は以下の全てを満たすことを推奨する。- 1)気道や肺、人工気道などに関しての解剖学的知識がある。
- 2)患者の病態についての知識がある。
- 3)適切な使用器具名称がわかり適切な手技が実施できる。
- 4)気管吸引の適応と制限を理解している。
- 5)胸部理学的所見などからアセスメントができる。
- 6)合併症と、合併症が生じたときの対処法を知り実践できる。
- 7)感染予防と器具の消毒・滅菌に関する知識と手洗いを励行できる。
- 8)経皮酸素飽和度モニタについて理解している。
- 9)侵襲性の少ない排痰法(呼吸理学療法など)の方法を知り実践できる。
- 10)人工呼吸器使用者に対して行う場合;人工呼吸器のアラーム機能と緊急避難的な操作法を理解している。
Ⅱ)望まれる要件
必須要件ではないが以下の要件を満たすことが望ましい。- 1)心肺蘇生法の適応を理解し実施できる。
- 2)心電図について一般的な理解がある。
- 3)人工呼吸器の一般的な使用方法を理解している。
解説
医師、看護師以外のものが気管吸引を行おうとする際にも上記1)から10)の要件は必須であり、これらを基準に教育プログラムを作成することが望ましい。
3-Ⅰ-4)5)気管吸引を行う際に最も重要なことのひとつは目の前の患者に今、気管吸引が本当に必要かどうかのアセスメントができることであり本ガイドラインで強調している点である。
3-Ⅰ-6)重篤な合併症が生じた場合には、医師以外のものがこれに完全に対処することは困難がある。ここでは適切な初期対応ができることが要求される。病院内外を問わず医師の指示または派遣が直ちに得られるようにしておくことが重要である。
3-Ⅰ-8)経皮酸素飽和度モニタはどんな場所で気管吸引を行う際にも、もはや必須といえるモニタである。安全な気管吸引のためにも、的確なアセスメントのためにも経皮酸素飽和度モニタについての一般的な理解は不可欠である。
3-Ⅰ-10)気管吸引中に作動するアラームの意味、原因が理解でき、対処できることが求められる。
3-Ⅱ)に望ましい要件として3項目をあげた。
3-Ⅱ-1)心肺蘇生法については医療従事者には必須要件といってもよい。病院外で気管吸引を行う場合には特にその習得が望まれる。
3-Ⅱ-2)集中治療室など日常的に心電図モニタがなされる場所で気管吸引に携わる者は少なくとも致死性不整脈についての知識が必要である。
3)アセスメントをするためにも人工呼吸器の換気モード、設定の意味、モニタされている数値(気道内圧、換気量など)の意味を理解しておくことは重要である。
4.適応
Ⅰ)適応となる患者(被吸引者の条件)
1)気管切開、気管挿管などの人工気道を用いている患者。2)患者自身で効果的な気道内分泌物の喀出ができない場合。
Ⅱ)適応となる状態
1)患者自身の咳嗽やその他の侵襲性の少ない方法を実施したにも関わらず喀出困難であり以下の所見で気管内に分泌物があると評価された場合。- ⅰ) 努力性呼吸が強くなっている(呼吸仕事量増加所見:呼吸数増加、浅速呼吸、陥没呼吸、補助筋活動の増加、呼気延長など)。
- ⅱ) 視覚的に確認できる(チューブ内に分泌物が見える)。
- ⅲ) 胸部聴診で気管から左右主気管支にかけて分泌物の存在を示唆する副雑音(断続性ラ音)が聴取される、または呼吸音の低下が認められる。
- ⅳ) 胸部を触診しガスの移動に伴った振動が感じられる。
- ⅴ) 誤嚥した場合。
- ⅵ) ガス交換障害がある。
血液ガスや経皮的酸素飽和度で低酸素血症がみとめられる。 - ⅶ) 人工呼吸器装着者:
a)量設定モード使用の場合:気道内圧の増加が見られる。
b)圧設定モード使用の場合:換気量の低下が見られる。
2)喀痰検査のためのサンプル採取のため。
解説
不必要な吸引は患者に苦痛を与え、合併症の可能性を高める。必要な吸引を怠れば最悪な場合は死に至らしめる。したがって、気管吸引を行う必要があるかどうかを適切にアセスメントすることは非常に重要である。そのためには注意深い患者の観察が欠かせない。「見て、聴いて、触れる」この3つの基本を実践することが重要である。
適切な評価のもとに必要な気管吸引を行うことによってより効果的に、より安全に気管吸引ができる3)。
適当となる状態4-Ⅰ-ⅵ)ⅶ)については、これら単独では気管吸引の適応とはならない。あくまで4-Ⅰ-ⅰ)~ⅴ)の状態が存在することが重要な条件でありこれら4-Ⅰ-ⅵ)ⅶ)は付帯的な条件と考えるべきである。
咳嗽反射を誘発するために気管に刺激をあたえることを目的に吸引カテーテルを挿入することがある。咳嗽は分泌物除去には最も有効な方法であるが気管への刺激は苦痛をもたらし合併症の可能性を高めることを十分理解して、不必要に行うことの無いようにすべきである。
気管支より末梢の分泌物は気管吸引では対処できないとされている2) 4)。気管内の分泌物が思ったように効果的に吸引できない場合にはいたずらに気管吸引を繰り返すことなく、適切に加温加湿した空気の供給や水分管理、呼吸理学療法など他の排痰方法を併用したうえで気管吸引を実施するべきである2)。
5.禁忌と注意を要する状態
絶対的な禁忌はない
気道の確保は生命維持のためにまず求められる処置であり、気道を開通させる気管吸引が禁忌になることは原則的にはない。しかし、気管吸引を行うことで生命に危険を及ぼす有害事象が生じたり病態の悪化をきたす場合があるので、このような場合には十分に注意を払い気管吸引を行う。以下の場合には十分な注意の元に、あるいは医師の監督の下に慎重に気管吸引を行うことを強く推奨する。
- 低酸素血症
- 出血傾向、気管内出血
- 低心機能・心不全
- 頭蓋内圧亢進状態
- 気道の過敏性が亢進している状態、吸引刺激で気管支痙攣がおこりやすい状態
- 吸引刺激により容易に不整脈が出やすい状態
- 吸引刺激により病態悪化の可能性がある場合
- 気管分泌物を介して重篤な感染症のおそれがある場合
解説
具体的には;
低酸素血症;FIo2 1.0で換気をしないと酸素化が維持できないような状態、高いPEEPの付加が必要な状態、などの重度なもの。
出血傾向;DIC、高度の肝機能障害、血栓溶解剤投与中、など。
頭蓋内圧亢進状態;頭蓋内の出血、広範囲な脳梗塞、くも膜下出血、全脳虚血後、など。低心機能・心不全;昇圧剤や抗不整脈剤などの循環作動薬が多剤、大量に必要な状態など。
吸引刺激による病態の悪化;破傷風、気管・気管支の術後、開心術後など。吸引によりせん妄をきたすおそれがある場合。
感染症;排菌中の結核、痰からMRSAが検出されている場合、重症真菌性肺炎、など。
6.手技
必要物品
- 1)
凝固剤付吸引ビンまたはガラス製吸引器・接続チューブ(吸引カテーテルから吸引ビンを接続するチューブと吸引装置と吸引ビンを接続するチューブ)
再使用する吸引ビン内には洗浄しやすいように水を入れてもよい。消毒液の注入は必要ない。
- 2)吸引カテーテル
人工呼吸器使用中は可能な限り閉鎖式吸引システムの使用を推奨する。
滅菌済みのカテーテルの使用を推奨する。
カテーテルはその外径が人工気道の内径の1/2以下のものの使用を推奨する。形状についてはカテーテル先端が気管粘膜を損傷しないように鈍的に処理されておればどのようなカテーテルを使用してもかまわない。
開放式吸引に用いたカテーテルは1連吸引ごとに破棄し再使用しないことを推奨する。
- 3)滅菌精製水または生理食塩水、アルコール綿、水道水の入ったコップ
水道水の入ったコップは吸引カテーテルから吸引ビンまでの接続チューブ洗浄のみに用いる。
- 4)滅菌カップ
滅菌カップには滅菌精製水または生理食塩水を入れて、一回吸引ごとにカテーテル内を洗浄するために用いる。
- 5)経皮酸素飽和度モニタ(パルスオキシメータ)
- 6)安全対策のための物品:用手的蘇生バッグ(アンビュバッグRなど)、酸素、心電図モニタ(可能ならば)
- 7)ゴーグル、マスク、ビニールエプロン、未滅菌手袋、擦り込み式アルコール消毒液
気管吸引の際には常にマスクとゴーグルを着用することが望ましい。特に、感染症の場合はこれらの着用を推奨する。
解説
閉鎖式吸引システムは感染防御の面においては開放式と同程度であるとする研究5) 6)もあり閉鎖式が感染防御面でより優れるというエビデンスはないものの開放式に比べ酸素化と肺容量の維持という点で明らかに優れている7)。人工呼吸中は閉鎖式吸引システムの使用を推奨する。
カテーテル先端がリング状になっているもの、多孔式で側孔のあるものは気管壁の損傷が少ないと言われているがエビデンスはない。気管壁の損傷を最小限にするためには器具の選択よりも適切で愛護的な吸引を行うことがより重要である。
手袋は未滅菌の使い捨てのものでよい。
吸引カテーテルの洗浄用として水道水の使用についてはエビデンスがない。CDCのガイドライン8)では滅菌水の使用を推奨している。
吸引中の患者が低酸素におちいることは最もおこりやすく注意を要する有害事象であるので経皮酸素飽和度をモニタしながら気管吸引することが望ましい。病院内での気管吸引時にはその使用を推奨する。
実施前準備
- 1)患者に説明
意識のある患者に吸引をしようとする際には患者に吸引の必要性、どのようなことをするのかを説明する。耐えられない場合には合図などで伝えるよう取り決めをしておく。
気管吸引はストレスを生じる処置であり、急性期の疾患では除痛やせん妄対策も考慮に入れる7)。
- 2)手洗いと手袋などの着用について
目に見える汚染がある場合には適切に手洗いをする。目に見える汚染が無い場合には手洗いをせず擦り込み式アルコール製剤による手指消毒でもよい。使い捨ての手袋、ビニールエプロン、ゴーグル、マスクを着用する。手袋は滅菌されたものでなくてもよい。
- 3)吸引前の酸素化
気管吸引操作では、気管内の酸素も吸引されるため、低酸素血症を生じやすい。患者の受けている酸素濃度より高い濃度の酸素を供給する方法であり、酸素化の方法としては、用手的蘇生バッグ(酸素流量15L/分)や人工呼吸器の酸素濃度を上げる方法のいずれかを用いる9) 10)。
状態の安定した患者には必ずしも必要ない。ただし、吸引に際して注意が必要な患者(5.禁忌と注意を要する状態参照)、特に手術後など急性期人工呼吸器を使用している患者には事前に十分な酸素化を行うことを推奨する9)。
- 4)吸引前の過換気、過膨脹
気管吸引では分泌物の吸引と合わせて気道内のガスも吸引されるため、低酸素血症や無気肺を生じるおそれがある。それに対して気管吸引前に蘇生バッグや人工呼吸器にて通常換気量の約1.5倍の換気量を送り過膨張させる方法である10)。
酸素化のために過換気、過膨張を行うことは特別な理由がない限り必要なく推奨しない。
- 5)生理食塩水の注入
気管吸引前に約5mlの生理食塩水を気管内に注入する方法である。
生理食塩水の注入は特別に理由が無い限り行うべきではなく、これを推奨しない。やむなく行う場合は生理食塩水以外を注入してはならない。
解説
手洗い、手指消毒と手袋着用の意義を十分に理解する。医療従事者は院内感染、つまり患者―患者間の感染を媒介する可能性が非常に高い。手洗い、手指消毒と手袋着用は患者からの感染、患者への感染を予防する上で大変重要である。手洗いと手指消毒についてはCDCの「医療現場における手指衛生のためのガイドライン」11)に準拠して行う。
吸引前の酸素化は状態が安定しており、患者の酸素分圧、酸素飽和度が許される範囲にある場合には必ずしも必要ない。安定した状態とは平素持続的に酸素投与が必要でなく、十分な自発呼吸がある状態をさす。吸引の際には経皮酸素飽和度モニタを装着しSpo2が安全な範囲にあることを確認することが望ましい。経皮酸素飽和度モニタがない場合にも低酸素血症を示唆する身体所見がないことを確認しておくべきである。
肺を過膨脹させることによって胸腔内圧が上昇し、血圧が低下するおそれ12) 9)、気道内圧の上昇より肺傷害をきたす可能性がある。過換気のみと過換気に加え酸素化を付加した方法とでは差がない9)とされ、ルーチンに行うべきではない12)。
しかし、局所的な無気肺や分泌物が多く咳嗽が困難な症例に対して、痰の移動を促す目的では症例により行うことを検討する。安全に行うためには、患者観察をすること、器具の使用法を習得していること、呼吸理学療法などの排痰の作用を周知していることが望ましい。吸引後の過換気についてはエビデンスとしては弱いが肺傷害のある患者で有効性を示唆する研究もあり13) 14)、症例によっては実施を検討する。
生理食塩水の注入は硬い性状の分泌物の性状を変え移動しやすくするといわれている。また、咳嗽を誘発することを目的として気管吸引する前に行われることもある。しかし、生理食塩水の注入は効果的に分泌物を排除できるという有効性を示すエビデンスがない。
吸引前に生理食塩水を注入することによって酸素化の低下をきたす15) 16)こと、気管チューブより下部の気道に細菌感染をひきおこすこと17)などが報告されており有害な行為といえる。
Ⅲ)実施
- 1)挿入のタイミング
自発呼吸のある患者では吸気時にタイミングを合わせて挿入する。
- 2)挿入の深さ
吸引カテーテルをゆっくり挿入しカテーテル先端が気管分岐部に当たらない位置まで挿入する。挿入中は吸引を止めておく。
在宅で医療従事者以外の者が行う場合にはカテーテル先端が人工気道の外に出ないようにする。あらかじめカテーテルを挿入する長さを決めておくことが望ましい。
- 3)吸引操作
陰圧をかけながら、吸引カテーテルをゆっくり引き戻す。分泌物がある場所ではカテーテルを引き戻す操作を少しの間止める。
- 4)挿入時間
一回の吸引操作で10秒以上吸引をしない。一回の挿入開始から終了までの時間は20秒以内にする。低酸素血症を予防または最小限にとどめるためにも一回の操作は短時間で終了すべきである。
- 5)陰圧の強さ
推奨される吸引圧は最大で20kPa(150mmHg)でありこれを超えないように設定する。吸引圧の設定はカテーテルを完全閉塞させた状態で行う。
- 6)再吸引のタイミング
気管吸引を行ったにもかかわらず更に吸引が必要であるとアセスメントされた場合には、1回の吸引操作の後、監視可能な呼吸、循環のパラメーターが許容範囲にあることを確認してから次の吸引操作を行う。
- 7)頻度
必要なときに適宜行う(適応となる状態参照)。
- 8)吸引カテーテルの取り扱い
1連吸引のなかで行われる複数の吸引中、1回吸引ごとにカテーテル外側をアルコール綿でふき取り、内腔は滅菌水を吸引させて内腔の分泌物を出来る限り除去してから次の吸引を行うことを推奨する。洗浄水は滅菌水の使用を推奨する。洗浄水は滅菌コップに入れて使用し再利用しない。滅菌コップも廃棄し再利用しないことを推奨する。
閉鎖式吸引カテーテルの場合
カテーテルにより処理の方法が若干異なるが、カテーテル内腔を生理食塩水で十分洗浄する。 - 9)吸引された分泌物の確認
分泌物の性状(色、粘稠度)、可能であれば量または重量をチェックする
解説
気管吸引カテーテルの挿入は愛護的に行う。無理な操作は気管、気管支壁を損傷する危険性がある。吸引カテーテルがこれ以上挿入できないような内径の気管支からの吸引は事実上困難であるうえ気管支壁の損傷をきたしやすい。むしろカテーテルの先端が気管支分岐部に当たって抵抗となっていることが多い。
吸引カテーテルの先端付近に曲がり加工がなされたもので左右気管支を選択的に吸引する方法があるが気管壁の損傷をしないように、無理な力をかけずに、注意をはらって実施すべきである。
適切なカテーテル挿入の深さを知るために、あらかじめ人工気道の長さから挿入すべき吸引カテーテルの位置を確認して印をつけておくのもよい。
吸引中は呼吸に必要な酸素も吸引していることを忘れないようにすべきである。臨床上安定した肺疾患症例に対して鼻腔から15秒以内の気管吸引を行った研究で酸素飽和度の変化を見ると、吸引前の値と比べ全ての症例で低下していることが報告されている17)。
吸引操作中にカテーテルをまわしたり、上下にピストン運動させたりすることで吸引量が増えるというエビデンスはない。カテーテルをまわすことによって感覚的に吸引効果が上がると判断される場合があるが、その場合にはカテーテルをまわすことも許容される。まわすことによる危険性は少ないと考えられるが、ピストン運動は気管壁を損傷するおそれがあるので操作を実施する際には注意深い観察が必要である。
定時に気管吸引を実施することになっていても、その時点で吸引が必要かどうかを必ず評価し吸引の必要がある場合に気管吸引をするべきである。不必要な吸引は患者に苦痛を与え有害事象の可能性を高めるだけである。一度に効果的な吸引を行い、吸引回数をできるだけ少なくする工夫が必要である。
気管吸引実施時に合併症が生じた場合は、直ちに操作を中止し、必要な処置を行うとともに継続して観察をする。
- 1)アセスメントを行う(7.アセスメント・結果の評価を参照)
実施前にみられた所見が消失、改善しているかを確認する。
また、合併症の出現が考えられる(8.合併症と対処法を参照)ため、それらの確認をする。
特に低酸素血症が出現しやすいため、気管吸引後に酸素濃度を高くすることも考慮に入れておく。
- 2)感染対策
1連吸引で使用したカテーテルは破棄し再使用しないことを推奨する。
1連吸引で使用した手袋、マスクも廃棄することを推奨する。
- 3)手洗いをする。
目に見える汚染が無い場合には擦り込み式アルコール製剤による消毒でもよい。
7.アセスメント・結果の評価1) 4)
- 1)理学所見:視診:呼吸数、呼吸様式、胸郭の動き、皮膚の色、表情
触診:振動や胸郭の拡張性
聴診:副雑音の有無
- 2)循環動態:脈拍数、血圧・心電図
- 3)ガス交換所見:経皮的酸素飽和度、動脈血液ガス値
- 4)気道内分泌物:色、量、粘性、におい、出血の有無の確認
- 5)主観的不快感:疼痛や呼吸苦など
- 6)咳嗽力
- 7)人工呼吸器装着時
肺メカニクス所見:気道抵抗(最高気道内圧(PIP)の低下
PIPとプラトー圧の差の減少)
圧設定換気モードの際の換気量増加
- 8)頭蓋内圧(ICP)(必要があれば)
解説
実施された気管吸引が効果的、安全になされたかどうかをアセスメントする必要がある。吸引をしたのに分泌物が効果的に除去されていないならば吸引方法に問題はなかったか、気道の温度・湿度管理が適切であったか、あるいは呼吸理学療法を併用しなければならないか、といった点について検討をする。
分泌物の検討は、例えば投与されている抗生剤が適切か、治療効果はどうであるかといった治療上有益な情報を与えることになる。可能な限り分泌物の情報を記録しておくことが望ましい。
8.合併症と対処法1)
- 1) 鼻腔、気管支粘膜等の損傷
- 2) 低酸素症・低酸素血症
- 3) 不整脈・心停止
- 4) 徐脈
- 5) 血圧変動
- 6) 呼吸停止
- 7) 咳嗽の誘発が多くなり疲労
- 8) 嘔吐
- 9) 上気道のスパスム
- 10) 不快感・疼痛
- 11) 院内感染
- 12) 無気肺
- 13) 頭部疾患
・頭蓋内圧の上昇
・脳内出血
・脳浮腫増悪
- 14) 気胸
対処法
吸引操作中に上記の合併症を認めたり、何らかの異常を感じたら速やかに操作を止め、アセスメントをする。経皮酸素飽和度モニタを監視して低酸素血症や不整脈などの循環不全が見られる場合は、100%酸素を供給して、すぐに人(同僚、医師)を呼ぶ。
解説
不整脈や徐脈を誘発する原因として重要なものは、低酸素血症、心筋の低酸素症と、気道刺激による迷走神経反射である。気道刺激による咳の誘発は気道内圧の上昇をきたし静脈還流の低下、心拍出量の低下をきたすことになる。
緊急時に直ちに医師の応援が得られる体制を整えておくことは重要である。気管吸引はメディカルコントロール体制下に行われるべきであり、とりわけ緊急時には病院内外を問わず確実に医師の指示、処置がうけられるような体制を整備しておかねばならない。
最悪の合併症である心停止をきたした場合には速やかに心肺蘇生処置を行わねばならない。そのため気管吸引に従事するものは基礎的な心肺蘇生講習を受講し習得しておくことが望ましい。
9.感染対策
CDCのスタンダードプリコーションに従って行う。
具体的には手技などの項目を参照のこと。
10.気管吸引実施の流れ
気管吸引の流れを図に示す
最も重要な点は、実施後のアセスメントであり、このときの症状と合併症の把握である。
症状が改善し合併症が見られなければ、今後もこのケアプログラムを継続してよいが、それ以外の場合は、検討が必要である。
計画して実施したことに不具合が生じた場合、そのまま放置してしまうことが、事故に結びつくと考えられ、アセスメント内容を参考に、不具合を調整し検討することでより安全な手法が提供できる。
図は雑誌「人工呼吸」を参照してください。
参考文献
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