利他性と自因感――対人ストレスの仕組み――

怒られる・嫌われる・にらまれる・ため息をつかれる・泣かれる …※

※のときに嫌な気持ち(ストレス)になるのは 「なんとなく あたりまえだ」と思われてきました。でも 考えてみると、※の時点で嫌な気持ちになっているのは相手だけですよね。なのに 自分まで嫌な気持ちになるなんて、奇妙だと思いませんか? どんな現象にも仕組みがあります。※のときに嫌な気持ちになる仕組みを解明しましょう。

※で嫌な気持ちになるときには、「自分のせいだ」 または 「自分は悪くないのに!(納得できない)」という思いがありますよね。この一見正反対な2つの思いの源から考えていきましょう。

自因感

定義

ある現象に対して 「それは自分の影響で起きる(それが起きるかは自分しだいだ) …★」 と感じる――この感覚を自因感と呼びましょう。★を前提にしている自覚がない場合も 自因感に含めます。

補足

・★を数学的に言えば、それは自分の関数だ(自分が独立変数で それが従属変数だ) です。

・自因感は 自因 という語とは無関係です(意味の関連はありません)。

自因感がない とは

「その現象は自分とは独立して(自分がどうかに関係なく)起きる」と感じる状態です。

自因感の例

昔の人が 「お祈りしたのに 嵐がくるなんて!」と嘆いたのは、天気に対する自因感があったからですね。天気の仕組みを知ったわたしたちは、天気に対する自因感がない(ことが多い)ですよね。

自因感の証 (自因感がなければ生じえない思い)

証1 「自分のせいだ」 「自分の何が?」

証2 「自分は○○なのに! 納得できない」 「自分の何が!」

・証2では ★を前提にして 「おかしい・ありえない」と思っていますよね。自分とは独立して起きる現象なら 「ありうることだ」と納得できますからね。

・証2では ★を前提にしていることを自覚していません。自覚していれば、「ありえない…ということは 前提が違う(★ではない)のだ」と自因感がなくなり証2も消えますからね。

自因感を知ると 証2タイプの対人ストレスは発生しえない

自因感の概念を知ると、証2で ★を前提にしていることを自覚できるので、証2タイプの自因感は消えます。

例) バカにされて 「納得できない」と思ったら、次の瞬間 「ということは 相手がバカにしてきたのは★ではないから ありうることだ」と納得できます

補足

バカにされたときに自因感がなければ、「バカにしたいのだな」と思うだけなので ストレスは発生しませんよね。

嫌われると嫌な気持ちになる仕組み:A&B&C

相手に対して嫌な気持ち(ストレス)をいだいている状態を ☹ とあらわすことにします。相手の☹・相手が☹ とは、相手がこちら(自分)に対して嫌な気持ちをいだいていることを意味します。

相手の☹に対して☹になる(冒頭の※のときに嫌な気持ちになる)仕組みを明らかにしましょう。

A 「相手は☹だ」

相手の☹に対して☹になる を正確に言い直すと、「相手は☹だ」と思って☹になる です。相手が実際には☹でないのに 自分が「相手は☹だ」と思うことも、相手が実際には☹なのに 自分がそれに気づかないことも ありますからね。

B 相手の☹に対する自因感

「自分がどうかに関係なく 相手が嫌な気持ちになっている」と感じたら、相手をかわいそうと思うか 何とも思わないか のどちらかでしょう (嫌な気持ちにはなりませんよね)。ゆえに、相手の☹に対して嫌な気持ちになるときには必ず自因感があります。

自因感の有無をたしかめましょう

相手の☹に納得しているか で場合分けします。

・相手の☹に納得している場合
☹になることはなさそうですが、唯一の例外は 「自分のせいだ」と納得しているときでしょう。このときは☹になりえますね。

・相手の☹に納得していない場合
☹になりえますよね。

ゆえに、相手の☹に対して☹になるとしたら必ず 自因感の証1か証2がある(つまり 自因感がある)ことが分かります。

C 「自分は相手を☹にさせたくない」

「自分の影響で相手が嫌な気持ちになった」と感じても、「まあいいか」とか 「しめしめ」と思ったら☹になりませんよね。ゆえに、相手の☹に対して☹になるときには必ず 「自分は相手を☹にさせたくない」という思いがあります。

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以上のように、相手の☹に対して☹になるためには A&B&C(A,B,Cがそろうこと)が必要です (A,B,Cのどれか1つでも欠けると☹にならないことをご確認ください)。

一方、A&B&Cならば 嫌な気持ち(ストレス)になりますよね。

よって、相手の☹に対して☹になるという現象の実体(仕組み)はA&B&Cです。

補足

・数学的に言えば、A&B&Cは 相手の☹に対して☹になるための必要条件であり 十分条件でもある、つまり必要十分条件です。すなわち、A&B&Cは 相手の☹に対して☹になるという現象そのものです。

・ざっくり言えば、A&B&Cは 「嫌な気持ちにさせてしまった」と感じる(感じられてしまう)状態ですね。

・Cという利他的な思いがあるのに利他的に行動できない(怒るなど) という逆転現象が起こるのは、自因感(B)があるからこそですね。自因感がなければ ネガティブな感情をいだかれても 平気・おだやか・寛容でいられることをご確認ください。

A&B&Cの例

・○○されると △△になる (○○,△△ に入るのは… 嫌う・不快に思う・怒る・にらむ・舌打ち・ため息・落ち込む・泣く などなど)

・「もっと こうした方がいいよ」(ア) ⇒ 「わかってるよ!」(イ) ⇒ 「助言しただけなのに、何で怒るの!」(ウ)。この会話の(イ)と(ウ)では、「相手は☹だ」と感じて(A)、BとCと合わさり☹になっていますね。また、(ア)も☹になっている可能性があります([人が☹になる仕組み あれこれ]章の「何でできないんだ!」を参照)。

・待ち合わせに外的要因で遅刻して 怒られたときに、「自分は悪くないのに! 怒られる筋合いはない」と思ったら(相手の怒りに対する自因感が強ければ)、謝る気になりません。自分がどうこうではなく、待たされた相手の気持ちを思いやると、謝りたくなりますよね。

[相手が☹になること]を恐れる仕組み:B&C

わたしたちは BとCがそろう(B&C)ときに限り [相手が☹になること]を恐れます。Aが加わるとA&B&Cが完成してしまいますからね。

例)
・[相手が☹になること]を警戒して険しい表情になる。
・相手に(☹になるんじゃないぞと)威圧的な態度をとる。
・[相手が☹になること]を恐れて 人と関わるのを避ける。

(A&)B&C によって形成されていく性質

・人の感情(相手の☹)に過敏・人からどう思われるか(相手の☹)を恐れる・過剰な承認欲求([相手が☹でないこと]を求め過ぎる)

・(仮説) 自己肯定感が低いのは、相手の☹に対する自責の念が積み重なった結果です。

・(仮説) 自分が苦しむほどの完璧主義は、絶対に相手が☹にならないように という思いからです。

・(仮説) 死にたくなるのは、生きている限り 相手が☹になる可能性から逃れられないからです。

利他的に行動するのが嫌になる仕組み:B&C

次の3つの状況を比べてみましょう。
① 意地悪したら 嫌な顔をされた。
② 親切にしたら 嫌な顔をされた。
③ ただ嫌な顔をされた。

この中で自分が最も嫌な気持ちになるのは②、その次は③、という方が多いのではないでしょうか。

いや、②は いかにも相手の性質によるものだ――そう感じられたら(つまり 自因感がなければ)嫌な気持ちにはなりませんよね。ゆえに、②で嫌な気持ちになるとしたら 必ず自因感(B)があります。同時に、Cも必ずありますね([嫌われると嫌な気持ちになる仕組み]章のCを参照)。

B&Cがあると ②のときに 「最善を尽くしても 自分は(悪影響を及ぼして)相手を嫌な気持ちにさせてしまう」と絶望します。その結果、「親切にしたのに何でだ!」と激怒したりします。

一方、B&Cがあっても ①なら 「自分は○○なのに何でだ!」と苦しまずに済みますよね。③は ①と②の間です。

つまり、B&Cがある場合に限り、ストレスの強さは ②>③>① となります。

この不等式は、①・②・③の[嫌な顔をされた]の部分を[意地悪された]におきかえても成立します(わたしたちは「意地悪してくる相手は こちらを嫌っている」と感じますからね)。つまり、B&Cがあると 自分と相手の行動の"利他度"の差が大きいほど ストレスは大きくなります。

補足

人とすれちがうときに自分から道をゆずらないなど、どうりで わたしたちは (利他的に応じてもらえる確証がない限り)利他的に行動しないわけですね。③でさえ結構なストレスですから、①を選ぶ(なるべく意地悪な行動をする)のも納得です。このような、Cという利他的な思いがあるのに利他的に行動できないという逆転現象は、自因感がなければ起こらないことをご確認ください。

利他的にされるのを嫌う仕組み:A&B&C

上の②における [親切にされて 嫌な顔になる]仕組みはA&B&Cです。

・この場合のAは 「利他的に行動してくる相手は 内心 嫌そうだ」と感じることです。そう感じる理由は、利他的に行動することは(②のリスクゆえ)苦痛だ と思うからですね。

・利他的な行動をされたときに 「自分が気を遣わせてしまった」とか 「自分は頼んでないのに!」と思うのは、Bがある証ですね。

人が☹になる仕組み あれこれ

・よくあるのは (A&)B&Cでしょう。

・他には 「何でできないんだ!」とか 「何でちゃんと行動しないんだ(失礼だ)!」と怒るようなパターンがあります。このときも 相手の行動に自因感をいだいていますよね(「何度も言ったのに!」 「自分はちゃんと行動しているのに!」など)。自因感がなければ 取り乱さずに冷静に対応できることをご確認ください。

・自因感がなくても、危害や損失がある場合には人は☹になりますよね。ということは、どんな相手に対しても危害や損失を恐れて☹になる、という性質の人もいるでしょう。

相手が☹になる仕組み

相手が(A&)B&Cによって☹になっている場合、BとCは相手自身の性質ですね。さらに、自分が☹でなければ(☹だと誤解される言動もなければ)、Aさえも相手自身の性質ですよね。

また、(A&)B&C以外の仕組みで相手が☹になっている場合も、前章のように相手自身の性質(自因感など)が関与していると考えられます。

相手の☹の仕組みを知ると 相手の☹を背負わなくなる

前章のように 相手の☹の仕組みを知っておくと、「相手は自因感などの性質があるから、相手が☹になるのは当然だ」と感じられます。これすなわち自因感(B)がない状態ですね。

Bがなければ、A&B&Cが成立しないので☹にならず、Cに沿って利他的に行動しやすくなります(相手の☹を責めずに そっとしておくなど)。

逆に、相手の☹の仕組みを知らないと、「相手の☹は相手の課題だから、背負わなくていいよ」と助言されてもピンときませんよね。これは、天気の仕組みを知らない昔の人に 「お祈りをしても天気に影響しないよ」と助言してもポカンとされるのと同じです。

よくある質問

相手の☹に対して 「相手がバカだ」と思うときは、自因感がないですよね?

人が☹になるのは バカだからではありませんよね。「相手がバカだ」と思うのは、相手の☹に対する怒り(自因感がなければ生じない)のはけ口であるとともに、自因感に対抗すべく 「自分の影響ではない」と言い聞かせているのでしょう。

相手の☹に対して自因感がないのは、無反省すぎませんか?

相手の☹に対する自因感はなくても、相手の(感情を除いた)意見や要望を冷静に受け止めて反省もできますよね。

相手のどんな感情や言動に対しても 自因感がない方がいいのですか?

何かをして相手に喜ばれたときや、知らずに迷惑をかけてしまい相手が困っているときには、自因感がないのは望ましくないですよね。自因感は、現象の仕組みを知ることによって自然に調整されるのがよいでしょう。

相手の(こちらに対していだく)自因感をイメージしにくいです…

自因感 = 「自分の影響でそれは起きる」 = 「それは自分を反映している」 = 「それは自分を映す鏡だ」 と言いかえられます。すると 相手の自因感は、相手がこちらを鏡だと思って 「ワタシの何が!」とのぞきこんでいる状態です。そのような相手を 「自分を映す鏡だ」なんて思えないですよね。これが、相手の自因感を知ると自因感がなくなる、ということです。

親は子に対して☹になりやすい

その理由は次の3つが考えられます。

・わが子の言動や感情に対しては 自因感をいだきやすいから。

・わが子に対しては Cも強いから。

・[子が何かをできないことによって 他者(学校の先生など)が☹になること]を恐れて、できないことを責めるから。

(仮説) 虐待の多くは 自因感がなければ発生しません。

コラム: 受動態のワナ

主語とは動作をした人や物のことだと習ったような気がします。でも、自分は嫌われた、という文の主語は何と [自分]なのです。これは、[嫌うという動作を受ける という動作]の主は自分だから、という理屈(ヘリクツ?)によるものです。この文法(受動態)は多くの言語に存在して日常的に使われていることでしょう。この世界の主人公は自分ですから、わたしたちは周りで起きた現象さえも自分を主体にして考えたいのかもしれません。とはいえ、「自分は嫌われた」と思うと 次に浮かぶ思いも[自分]が主語になりがちです――「自分がなぜ?」 「自分は○○なのに!」。このように自因感が過剰にならないためには、動作をした人を主語にして 「相手は嫌っている」ととらえる習慣をつけたいところです。そうすれば 「相手が嫌な気持ちになっている仕組みは何だっけ…」と考えられるようになるでしょう。

精神疾患と(A&)B&C

(仮説) (A&)B&Cは精神疾患の発病や経過に影響する

・怒られるのが怖くて(B&C) 上司に相談できずに仕事をかかえこんだ結果 過労になり うつ病を発症――このように (A&)B&Cがなければ そもそも発病しない、というケースは多々あります。

・統合失調症の妄想や幻聴のほとんどは 人から悪く思われる(相手が☹である)内容です。相手の☹がストレスにならなければ、統合失調症を発病する確率は下がるでしょう。

・双極性障害では 対人の傷つきをきっかけに うつになったり、対人の怒りをきっかけに躁になることがあります。相手の☹に対して傷ついたり怒ることがなければ、双極性障害を発病する確率は下がるでしょう。

・適応障害のストレスのほとんどは相手の☹でしょう。

・相手の☹がストレスにならなければ、不安症・強迫症・依存症・摂食障害・パーソナリティ障害も減るでしょう。

(A&)B&Cが続いた結果 精神疾患を発病するか否か・どの疾患を発病するか には遺伝や環境が関与しますが、そもそも(A&)B&Cがなければ 精神疾患の発生はかなり減るでしょう。

(A&)B&Cは発達障害と診断されがち

・不注意が多くない人でも、不注意のたびに親や教師や上司が☹になり、それに対して本人が☹になれば、「不注意による支障や苦痛が大きい」と訴えて受診します。このようなケースでも質問紙の回答は高得点となり、ADHDと診断されがちです。

・自閉症傾向の少ない人でも、「あなたは人の気持ちが分からず いつも私を怒らせる」などと親や上司から責められて☹になれば、「自分は自閉スペクトラム症ではないか」と受診します。このようなケースでも質問紙の回答は高得点となり、自閉スペクトラム症と診断されがちです。

これらのケースの本質は A&B&C(怒られて落ち込むなど)です。しかし、「怒られると嫌な気持ちになるのは あたりまえ だから、怒られないようにしましょう」という治療方針になりがちなのが現状です。

まとめ

幽霊の正体見たり枯れ尾花――人が☹になる仕組みを知れば☹にならなくなります。

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最後に、自因感の定義から論理的に導き出された定理をまとめておきましょう。

自因感の第0定理

 自因感の定義を知ると 証2のタイプの自因感は消える。

自因感の第1定理

 嫌われると嫌な気持ちになる仕組みはA&B&C。

自因感の第2定理

 B&Cがあると 自分と相手の行動の"利他度"の差が大きいほどストレスは大きい。

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