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リレートーク   学会員が熱く語る 循環研究の過去、現在そして未来

第2回 旭川医科大学名誉教授 安孫子 保

2001/12/3

第1回目のリレートークは戸田会長のお話でしたが、今回は私が指名され、戸田先生に続いて第2回目の話しをさせて頂くことになりました。私は戸田先生のようなすばらしい研究をしたわけではありませんので、世界をリードするような研究のことは書けませんが、今まで自分がどんな道を歩んできたのかであれば書けるのではないかという気持ちでペンをとりました。読み苦しいところが多いと思いますが、どうかごかんべんを頂きたいと思います。

私は医学部の学生時代に生理学に大変興味をもっていましたが、最初は薬理学は何をする学問なのかよく分かりませんでした。当時薬理学の教授は真崎健夫先生でした。

真崎健夫先生は日本薬理学会元理事長の真崎知生先生の親戚筋に当たる方です。真崎健夫先生は英国紳士を思わせるスマートな先生で、今で言えばベストドレッサーでした。かって小児麻痺にかかられたため、片方の足に少し麻痺が残っており、そのためいつも杖を使って歩いておられました。その歩く姿がまたヨーロッパの紳士を彷彿とさせるものでした。話しも面白く、留学されておられたドイツの話しをされる時はいかにも楽しそうでした。その真崎健夫先生が、薬理学というのは薬物を使って生体のメカニズムを解明する学問であると言っておられたことに私は強い関心を示しました。

もしそうであれば、薬理学は生理学よりも幅の広い学問で、薬理学は生理学を含む学問であると思い、薬理学に対する関心が高まってきました。しかし、薬理学教室に入ってまで研究しようとは思ってもいませんでした。

今と違って、昔は卒業後インターンという一年間の実地修練があり、これをすませなければ医師国家試験の受験資格がありません。私は東京の聖ルカ国際病院でインターンをする機会に恵まれ、ここで日野原先生から循環器内科の重要さと面白さを教えて頂きました。インターン終了後に卒業した大学の内科学教室に入って内科医になるつもりでいましたが、インターンの時には薬の使い方までは教わらなかったので、薬の知識も必要であろうと思って薬理学教室に行きました。当時薬理学の教授は真崎健夫教授から、札幌医科大学から移ってこられた田邊恒義教授に交代していました。田邊教授は真崎教授のお弟子さんで、札幌医科大学の薬理学教授でした。

たまたま私が初めて薬理学教室を訪れた時に田邊教授が在室しておられました、この時が私にとっては田邊教授との初対面でした。田邊教授は循環器薬理学の面白さ、特に強心配糖体の研究の面白さを語られました。私は先生の学問に対する熱意をひしひしと感じとり、また学生時代に興味をもっていた生理的薬理学に対する興味が復活してきて、薬理学教室に入ることになってしまいました。

教室では田邊教授自ら陣頭指揮をとり、ジギタリスの腎臓作用を解明していました。私はこの実験班に入れさせて頂き、先輩達の犬の腎臓実験を手伝わせて頂きました。難しかったのは腎動脈の血流量を計測することでした。何しろ電磁流量計がなかった時代ですからbubble flow meterを自作して血流量を計ったのですが、計測するたびに値が違ってしまい、苦労したことを思い出します。

その後私はジギタリスの徐脈発現の機序に心臓交感神経の遠心性放電の抑制があるのではないかと仮定し、ネコを用いて交感神経の遠心性放電を導出することに専念しました。ところが、導出するための前置増幅器は当時売っていませんでしたので、前置増幅器を自作しなければなりません。教室では電気生理学的な実験をした人がなく、前置増幅器を作るのに苦労しました。何しろ私はラジオも作ったことがないのですから、大変でした。生理学教室で教えて頂いてやっとの思いで前置増幅器を作ったことを懐かしく思います。約半年間苦労した末にネコの心臓交感神経の遠心性放電を記録できた時はほんとうに嬉しかったことを今でも思い出します。心臓の拍動に同期するようなリズムで、まとまった放電が出ることを確認した時は思わず感動したものです。

Journal of Physilogyに出ていた通りの放電で、やっと文献に対する信頼性と親密感が出てきました。ジギタリス徐脈が出ている時に、心臓交感神経の放電が抑制されることを確認した時は、これまたすばらしい喜びでした。勿論、中毒量のジギタリスを投与すると、心臓交感神経の放電は著明に増えました。これは脳虚血の影響だろうと思い、実験の面白さが分かってきました。

一年間のシンシナチ大学医学部薬理学教室での留学は私に心筋の力学的研究の面白さを教えてくれました。主任教授のアチソン先生自ら私ども海外からの留学生に心臓研究の方法の手ほどきをして下さいました。Heart lung preparationを教えて下さったのもアチソン教授です。学生に対する薬理学講義も大変参考になりました。アチソン先生の講義は総論からではなく、自律神経系から入ったのが印象的でした。生理学の基礎知識を確認し、それから薬理学に入るというのがアチソン教授の考えでした。まことにごもっともな意見で、帰国後私が薬理学の授業を受け持つようになった時には、アチソン流に生理学を土台にした薬理学講義の流れを作ったのは言うまでもありません。

帰国して私は福島県立医科大学に行くことになり、ここで何とか心臓の研究をしたいと考えました。福島医大の近くには東北大学に橋本虎六教授がおられ、橋本教授は冠血管と心筋代謝においてすばらしい研究をされていました。私も冠血管に興味をもっていましたので、冠血管を研究してみたいと思ったのですが、何しろ貧乏教室ですから必要な実験機器を揃えることができません。どうにか犬の心臓を露出し、冠動脈を剥離し末梢部を血液で潅流するところまではできるようになりました。ここまでであれば、お金はほとんどかかりません。

この頃北海道大学薬学部から市原和夫先生が福島医大に赴任してきました。市原先生は宇井理生教授のもとで代謝に関する研究をしてきたというので、さっそく彼の技術を犬の心筋代謝研究に応用してもらって、虚血における心筋代謝とこれに及ぼす抗狭心症薬の研究を始めました。

この研究が福島医大で始まった頃、私は旭川医科大学に移ることになり、旭川出身の市原先生とともに旭川に転勤してきました。福島で始まった心筋代謝の研究を旭川で続けようというわけです。しかし、旭川ではまだ校舎がないので住むところがなく、薬理学教室は市立旭川病院の伝染病棟の一室で呱呱の声をあげました。与えられたものはお茶の道具一式と帚が一本、塵取り一個でした。これでは研究どころの話しではありません。市原先生には仕方がないから自動車学校に行って運転免許証をとるように言いました。私は保健所を回って実験動物である犬を集める方法を確立するために奔走しました。

旭川医科大学の建設も順調に進み、初めに建設された共同研究施設で心筋代謝の実験ができるようになったことは私どもにとって大きな喜びでした。その頃橋本虎六教授がお忙しい中を旭川医大に学生講義のために来て下さり、心筋代謝の研究を目指す我々を励まして下さったことを忘れることが出来ません。以前は日本には心筋代謝をメインテーマとする研究室はごくわずかだったのですが、次第に心筋代謝の実験をする研究室が増えてきて、私も大変嬉しく思っています。

戸田教授と私は循環薬理の異なる分野で研究をしていましたが、同じ日本薬理学会に属していましたので、薬理学会の委員会や理事会などでご一緒することが多く、どうしたわけかお酒を一滴も飲まれない戸田教授とお酒を大いに嗜む私が家族ぐるみの友人となりました。これは戸田教授と令夫人のスケールの大きな人格のおかげです。京都のすばらしいお宅に私ども夫婦を招待して頂いたことは忘れることの出来ない楽しい思い出です。

戸田教授はある会の帰り道に、循環薬理の研究者を集め、研究成果の発表を聞き討論をする会を作りたいと思うがどう思うか、という質問をされました。もちろん私は大賛成であると答えました。このことが本学会の基礎となったのだと思いますが、その後たくさんの先生方のおかげで近代的な形になってきたことを心から喜んでおります。

本学会は毎年12月頃に開かれていますが、毎回レベルの高い研究成果が発表されていることを嬉しく思っています。循環薬理の研究に携わっておられる研究者はたくさんおられると思いますが、研究には基礎と臨床の違いはなく、大学の研究室と民間の研究室の違いもありません。循環薬理の幅は広いのですから、たくさんの方々がこの学会に参加され、研究をますます深められることを期待しております。

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