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 分科会 > 7.生殖医療
 
生殖医療における現状と将来展望
佐藤 博久(国家公務員共済組合連合会立川病院産婦人科)
T.はじめに
世界医師会(World Medical Association;WMA)は2005 年に医の倫理マニュアルを作成したが,日本語版は2007 年4 月に日本医師会から刊行されている.このなかで第2 章の「医師と患者」の関係では個人の尊厳,平等の扱い,守秘義務,終末期の医療などが取り上げられているが,出生に関する問題も重要な問題として扱われている.内訳は,避妊,生殖補助医療,出生前遺伝子診断,妊娠中絶,重症障害新生児,医学研究であ る.
一方,WHO では性と生殖に関する問題を,医療関係者のほかに政策立案者,患者や地域社会の代表者を集めて議論しており,HRP(1)がその成果 を推進する世界的な機関として活動している.そのプログラムは家族計画,周産期母子保健,性感染症の制御,のほかに性の平等と人権の保護が含 まれ,この分野の健康増進や学術研究を強力に支援している.
日本産婦人科学会は,倫理委員会を設置して1983 年から臨床や研究を行う際に倫理的に注意すべき事項を会告として会員に注意勧告してきた.
さらに日本医学会は2011 年,医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドラインを出したが,日常診療の場においては診療の指針として理 解されてきていると思われる.しかし生殖医療に関しては,当事者の自己決定権を尊重する強い要望があるが,社会的な評価はさまざまであり,一 定の制約がかけられることはやむをえないと思われる.
本稿ではこのうち,生殖補助医療(不妊治療)と出生前遺伝子診断を取り上げて,現在までの経過と今後のあり方を概説する.
U.生殖補助医療
生殖補助医療は社会に広く普及しているが,法律による規制はなされていない.日本産婦人科学会は,生殖医療技術の進歩に合わせ,学会の会告 という形で規制を行ってきた(表1).
 
表1 日本産婦人科学会の会告

1 .体外受精・胚移植に関する見解(1983.10)
体外受精・胚移植は不妊の治療として行われる医療行為である.わが国における倫理的・法的・社会的基盤を十分 配慮して実施する.対象は本法以外で妊娠の見込みがないと判断されるもの.
2 .ヒト精子・卵子・受精卵を取り扱う研究に関する見解(2002.1)
精子・卵子・受精卵(2 週間以内)は生殖医学発展のための基礎的研究並びに不妊症の診断治療の進歩に貢献する目的 の研究に限る.
3 .代理懐胎に関する見解(2003.4)
代理懐胎の方法には,受精卵を不妊夫婦の妻以外に移植する場合(ホストマザー)と夫の精子を妻以外の女性に人工 授精する場合(サロゲイトマザー)があるが,いずれの方法も認められない.但し付帯事項として,代理懐胎が唯一 の挙児を得る方法である場合は,一定の条件下で認めるとする意見が有り,将来の社会通念の変化で許容される可 能性がある.
4 .非配偶者間人工授精に関する見解(2006.4)
不妊の治療として行われる医療行為であり,実施に際しては,わが国における倫理的・法的・社会的基盤を十分配 慮して実施する.
5 .ヒト胚および卵子の凍結保存と移植に関する見解(2010.4)
本法は体外受精・胚移植や顕微授精の一環として行われる医療行為である.凍結されている卵子は,それの由来す る女性に,胚は夫婦に帰属する.保存期間は卵子を採取した女性の生殖年齢を超えないものとする.

 
これらの会告はおおむね守られてきたが,国内で代理懐胎による児の出生があり,会告に違反する事例がみられた.さらに,海外での代理懐胎の 斡旋が行われているのも実情であるが,これはわが国の法律に違反する行為である.しかしアメリカをはじめいくつかの国では容認されており,今 後の社会通念の変化があれば,一定の条件下で容認されるかもしれない.
V.出生前診断
2011 年6 月の日本産婦人科学会の会告によると,出生前に行われる検査は確定診断を目的としたものと非確定的診断(スクリーニング検査)に分 けている.確定的な検査には絨毛検査と羊水検査があるが,現在全国的に普及しているのは羊水検査である.非確定的な検査は,超音波による形態 異常の診断が含まれるが,染色体異常の検査として普及しているのは母体血清マーカーである.
1 .超音波検査
最近では妊娠初期に胎児の後頚部にみられる厚みを超音波でみるNT(nuchal translucency)が多く行われている.超音波検査では意図せずに異常が疑われることがしばしばある.日本産婦人科学 会のガイドラインでは,胎児異常の情報提供を希望する妊婦と希望しない妊婦にそれぞれ倫理的側面を配慮して対応することを強く求めている.
2 .羊水検査
染色体異常(ダウン症など)を調べる検査で,40年以上前から行われている.染色体の異常を確実に診断できるが,針を刺して羊水を採取するので妊娠15 週以降に行われる.まれに流産の危険が あり侵襲を伴う検査である.実施されている適応のほとんどは高齢妊娠の場合と染色体異常症に罹患した児の分娩既往歴を有する場合である.
3 .絨毛検査
妊娠10〜14 週までに行われるので,羊水検査より早い時期に実施可能な検査である.約1%に胎盤モザイクが検出されるが,ほとんどの場合胎 児染色体は正常であるため,羊水検査での確認が行われている.
4 .母体血清マーカー
従来の方法は,母体血液中の胎児または胎児付属物に由来する妊娠関連タンパク質の測定による.したがって,結果は染色体異常の可能性が一 定の基準より高いか,低いか確率的な数値が出る.しかし,新型出生前診断は母体血中に存在する胎児由来のDNA を調べる検査であり診断精度が極めて高いのが特徴である.
母体血清マーカー検査は,血液を採取するだけで,非侵襲であり簡便で日常的に行われている.これによって障害のある胎児の出生を排除し,障 害者の生きる権利と生命の尊厳を妨げる恐れがある.1999 年6 月に,厚生省科学審議会先端医療技術部会の専門委員会が見解を出している.ここでは,検査の内容や結果についての認識が,医師や妊婦において不十分であること,さらに胎児の疾患の発見を目的としたふるいわけ検査として行わ れる可能性が指摘された.医師は本検査を妊婦に勧めるべきでなく,妊婦から検査の要望があれば検査の説明を行い,検査を希望した場合のみ実施をするとされている. 2012 年8 月,母体血を用いた,新型出生前診断が国内で行われる予定との報道があった.これをうけて日本産婦人科学会倫理委員会では日本小児科学会,日本人類遺伝学会,法学・生命倫理分野 の専門家に委員就任を依頼し議論を行った.さらに公開シンポジウムを開催して,NIPT(2)臨床研究者代表,遺伝看護学分野,遺伝カウンセリング 分野,日本ダウン症協会からの意見を聴取した.これを踏まえ,新型出生前診断を行うには十分な遺伝カウンセリングが行える施設において,限定的に行われるべきであるとした.
W.おわりに
生殖補助医療においては,実施施設は病院もあるが不妊クリニックが多数あり,全国で500 か所を超える.これらの施設が一定以上の医療技術をクライアントに提供する義務がある.また安全管 理も重要で,日本産婦人科学会では実施登録施設に施設基準や人員の基準を設け審査を行っている.治療水準の維持向上が大切であるが,生まれてくる児の福祉を最優先すべきとの理念は尊重さ れなければならない.
出生前診断は,多くの問題点を抱えている.母親が高年齢の場合や,染色体異常症の児を出産した既往のある妊婦で,胎児の異常の有無を深刻に考えている場合がある.したがって,検査の要請 があれば,これにこたえることは臨床医の義務でもある.この際,遺伝カウンセリングが大切であるが,全国的にみてもカウンセリング体制は整備されつつあるが十分提供されているとはいえない.
しかし,人は多様性のある生物であり,障害があったり,遺伝子異常があることは生物の常である.これを大多数の人が容認するような社会であ れば胎児異常を心配する妊婦の負担が相当軽減される.アメリカでは胎児異常のスクリーニング検査を推進する動きがみられる.しかし,胎児の異 常に関する検査をマススクリーニングとして行うことは胎児の権利を侵害する可能性があり,優生思想にもつながる恐れもあるので慎重であるべきと思われる.
(1)HRP:Special Programme of Research, Development and Research Training
(2)NIPT:無侵襲的出生前遺伝学的検査(non-invasive prenatal genetic testing)
参考文献
1) Williams JR.:Medical Ethics Manual. WMA(2005).(樋口範雄 監訳:WMA 医の倫理マニュアル.日本医師会,2007).
2) 母体血清マーカー検査に関する見解:出生前診断に関する専門委員会 厚生科学審議会先端医療技術評価部会 厚生省(1999).
3) WHO Advocacy for sexual and reproductive health and for HRP/RHR(2011).
4) 倫理に関する見解:日本産婦人科学会(http://www.jsog.or.jp/ethics/).
5) 吉村泰典:体外受精と法律.治療,83(7):2131−2137(2001).
6) 柳田洋一郎:妊娠・出産をめぐる自己決定権をめぐって.産婦人科の世界,54(5):531−532(2002).
7) 飯塚利八:生殖医療が直面する倫理課題 倫理は誰がためのものか;規制するものの権利と義務.産婦人科の世界,56(8):899−900(2004).
8) 沢倫太郎:医の倫理;生殖医療と倫理.日本医師会雑誌,133(3):18−21(2005).
9) 田中秀一:もっと生殖医療に光をあてよ;着床前診断と患者の思い.産婦人科の世界,57(10):863−867(2005).
10) 医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン 日本医学会(2011).

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