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「急性期医療」がん治療と倫理
呉屋 朝幸(杏林大学医学部外科) 
医療は本来,治療によって人によい結果をもたらすことを期待されるが,その過程で何らかのリスクを伴っている.そして,現実には治癒期待とその結果にしばしば乖離が認められる.そのことから,ヒポクラテスの時代より医療者は患者に最 善を尽くすことを常に求められてきた.それは当然の責務であるが,現代では患者の人権の尊重が重視され,それに基づく自己決定権,そして説明と同意の重要性が主張されるようになった.実務的にはリスクの十分な説明だけでなく,自由意思による自己決定に基づいたリスクを共に背負うと いう同意が必要とされている.
ここではがん治療と倫理,人を対象とする臨床研究を中心に述べる.
T.がん治療と倫理
近年は移植医療とがん医療はとくに社会的合意と倫理的配慮を強く求められている.がんの告知,説明と同意の問題はがんを取り扱う医師にとって倫理的配慮の根幹をなしている.
1 .がんの告知
法律上の規定では,医師が患者を診察したときは,ただちに患者に対して病名を含めた診断内 容,病状,予後などを告げるべきで,このことは診療契約上の義務(民法645 条),あるいは医師患者関係に伴う医師の責務(医療法1 条の42 項,医師法23 条参照)である.がんの告知にあたっては,何のために,どのように,なにを伝えるのかを熟慮のうえ,告知がなされなければならない. 告知は高度の医療行為であるので,臨床経験の浅い医師が安易に行うべきではない.病気の進行状態や患者の体調,精神状態や感情の起伏などを十分に考慮して,またいたずらに先送りすることなく告知の時期を選び,臨床経験を積んだ上級医師が行うのが望ましい.
がん患者には正しい病名,病状について患者本人に知らせることを大原則とする.その場合,告知にあたっては患者の精神面に十分に配慮する.当然のことながら,がん告知の内容を患者がどの ように受け入れたか,どのように理解して受け取ったかを把握することは重要である.具体的には,告知に同席した看護師に,告知した医師のいないところで患者の理解内容を客観的に確認してもらうべきであろう.そして,告知後も患者を支援していくこと(体制)が重要である.告知後,患 者に対してどのように対応するのかについて医師としての心構えがないと,単に病名を告げるだけの告知は残酷な話である.医師と患者・家族との信頼関係,つまり患者の最後の最後まで援助の手を差し伸べる医師としての自信と決意が重要な役 割を果たす.このような信頼関係や医師としての自信と決意は告知以上に重要な意味をもつこともある.また,患者の希望する家族や友人が同席して,共に病気の説明を受けることは,共通の説明内容を複数の人が認識し,客観化できるので望ましい.患者に生きる望みを失わせるような表現は避けるべきである.
今後は,がん診療は緩和医療を含めて,地域医療機関との連携が求められるが,この場合も患者にがんの告知がなされていないと連携医療が成り立たない.
真実を告げることが患者に著しい悪影響を及ぼし,以後の治療に支障を来すおそれが強いと判断されるようなときには,告知を控える(先延ばしする)ことも考慮する.しかし,この判断はきわめて慎重でなければならない.このように判断する場合は,しかるべき家族に正しい病名,病状とともに告知内容に対する同意が必要である.しかしこの考え方は患者の自己決定理論と抵触するので適用にあたっては慎重でなければならない.
予後不良例に対する告知は,種々の調査結果でもっとも説明されていない事項である.単に平均的な予後や予測数値を述べるだけでなく,予測自体の不確実性や併存疾患や既往歴から推測される種々のリスクを加味すること,そしてなにより原発臓器によって大きく異なることを提示し内容に幅をもたせて説明しなければならない.完全治癒 が望めない場合は,苦痛の緩和や日常生活に支障のある症状緩和を当面の治療目標とするなど具体的に提示して説明する.
2 .説明と同意(Informed Consent:IC)
ニュールンベルグ綱領(1947),ヘルシンキ宣言(1964),アメリカの生命倫理に関する大統領委員会報告等をとおして,説明と同意が医療に関する意思決定の基本であり,患者の自己決定権が医療の原則であるとして確立した.
説明と同意は生命倫理の3 原則,つまり善行の原則,正義の原則,自立性の尊重の原則による.
そして,患者の自己決定権は,能力のある患者が十分な情報を得ているときに初めて有効な行使が可能となる.説明と同意は医師基準(合理的ないし平均的医師がなすであろう説明)ではなく,合 理的患者基準(合理的ないし平均的患者が必要と考える事項の説明)を医師に義務づけている.つまり,説明と同意ののち,患者がどのように理解したかが重要だと認識されている.治療法の選択根拠と予後について患者が理解できる言葉でかつ十分な内容を説明し,同意を求めることになる.「詳しければよい」「学問的で科学的内容のほうがよい」とするのは間違いである.告知の場合と同 様に同席した看護師に,告知した医師のいないところで患者の理解内容を客観的に把握してもらうことは重要である.
説明と同意の前提には医師への質問の自由,患者の同意拒否の自由,同意撤回の自由,患者は拒否によって不利益を受けない,等が確保されなければならない.わが国では説明と同意は法制化さ れていないものの,患者と医療者の信頼関係の基本である.適切な医療を提供するための分かりやすい説明行為・療養指導は医療法・民法に基づく準委任契約としてその取得が義務づけられている.同意を得るには説明したあと,同意までに十分な時間をもつこと,前述した説明と同意の前提を守ることが必要である.また説明にあたっては無治療(症状コントロール)が選択肢のひとつであることを提示し,十分に理解してもらう必要がある.
また,治療法の選択に基づく,説明と同意ではセカンド・オピニオンの権利が保障されなければならない.とくにがん治療においては外科,内科を問わずエビデンスレベルの高い標準治療が定 まっているわけではないので,医師によって,あるいは診療科によって進められる治療法が異なるのは避けなければならない.すでに世界的に検証された「標準的な治療法」のメリット・デメリット を説明する必要がある.この際,各臓器がん治療に関するガイドラインは重要な指標である.
3 .がん治療の成果と倫理
がんの告知,説明と同意にあたっては病状や治療内容の詳細についての説明ばかりではなく治療が患者身体,心,社会面に及ぼす影響に関するすべての情報を分かりやすく伝えることが求められ るようになった.さらには医療者から提示されるそれらの情報は,単なる経験に基づく曖昧な話ではなく,質の高い臨床研究から得られた証拠(Evidence)を示すことが求められる.
最近は治療の進歩により,すぐに命を奪われるわけではないが一定期間,がんと共存せざるを得ない比較的元気な担がん患者の占める割合が多くなってきた.そこでは必然的に,治療の目的として,単なる生存期間の延長ではなく,生きている 間に高いQOL を保つことが求められる.治療成果の指標は生存期間とQOL を統合した量的指標を用いるべきである.
過去のがん治療(外科手術,抗がん剤治療,放射線治療を含む)は,確かに患者の生存期間を延長するのには大きく貢献してきたが,時にはその恩恵に見合わないほどの生活障害をもたらすことがあった.このことに医療者自身が気づいて倫理面 にも再評価することが望ましい.
がん治療と倫理とは,がん患者への人間としての人格への正しい配慮に帰結すると考えられる.
4 .高齢化とがん医療・併存疾患とがん医療
近年の高齢化の進行は医療の現場において大きな課題となっている.高齢者は身体機能・臓器機能は低下しているうえにすでに複数の疾患に罹患していることも少なくなく,またその既往症のためにすでに機能障害をもっていることも多い.このような高齢者に対して急性期治療を行う場合はその急性期疾患の展開や予後・改善の見通しと治療に伴うあらたな機能喪失が治療後の日常生活に どのように影響を与えるのか慎重かつ総合的な判断を求められる.積極的な治療が適切な場合もあるし,積極的な治療を差し控えるという判断が適切な場合もある.そのためには,先に述べたよう に告知・説明と同意が前提となるが,認知能力があれば同意を求めることに倫理的な問題は生じない.高齢化とともに認知力の低下は一般的に認められるが,その患者に判断能力があるかないかの評価そのものが困難である.認知症で判断困難と評価を受ければ家族が代理判断者として判断することになる.このような人権尊重の原則から外れ る場合の倫理的判断は現実には困難なことが多く,ある意味で「家族の意思」が適切な倫理評価なしに全面にでてしまう懸念がある.できうれば認知症の出現前に自分の意思を表明したものを書面 で残しておく必要がある.
U.人を対象とする臨床研究
ヘルシンキ宣言ではすべての医学研究者が遵守すべき倫理原則として国際的にも認められており,医学研究のさまざまな場面でその遵守・尊重が謳われている.日本では厚生労働省の「臨床研究に関する倫理指針」や医学研究機関の倫理審査委員会規定や各種ガイドラインのなかにその骨子が盛り込まれている.その重要な原則は次の5 つ である.
@ 患者・被験者の福利の優先:「医学研究」においては,患者・被験者の福利が科学的・社会的利益よりも優先されなければならない.
A 本人の自発的・自由意思(自由な同意)による参加:患者・被験者が「医学研究」に参加するのは,本人の自発的・自由意思によることが絶対的な条件である.
B インフォームド・コンセントの取得:「医学研究」に参加する患者・被験者から参加の承諾を得る際には,参加者が意思決定するのに必要な情報を十分に提供され,それを理解したうえで意思決定がなされることを要する.
C 倫理委員会による事前審査,監視の継続:「医学研究」の実施者が実施計画書(プロトコール)を作成して倫理審査委員会に提出し,科学的・倫理的見地から検討・点検を受けて承認されなければならない.さらに倫理委員会は進行中の研究を監視する権限と責務がある.
D 研究は科学的原則に従い基礎研究を経て:「医学研究」は,一般に受け入れられた科学的原則に従い,科学上の十分な知識・情報,動物実験を含む十分な実験に基づいて行わなければならない.
そのうえで宣言の保護の対象が単に人にとどまらず,人由来の臓器・組織・細胞・遺伝子,さらに診療情報まで含むこと,および宣言の対象者が医学研究に関わるすべての人々であること,この宣言に定めた諸原則に従わない研究報告書は公刊のために受理されてはならないことなど研究者が常に念頭に置くべき規定や倫理が記載されている.
1 .人を対象とする臨床試験と説明と同意
個々の臨床研究ごとに倫理委員会や治験審査委員会(Institutional Review Board;IRB)で承認された説明文(情報開示文書)を作成し,その説明文書に従って適応する治療法の説明を行う.同意を得るには説明した後,最低1 日以上の余裕をもつこと,前述した説明と同意の前提を守ることが必要である.また説明にあたっては無治療(症状コントロール)が選択肢のひとつであることを提示 し,十分に理解してもらう必要がある.
2 . 臨床研究に関わる利益相反(conflict of interest:COI)
臨床研究の実施には資金が必要であり,業界や組織との金銭的な関わりをもつことが多く,さらにその成果は資金提供者の直接的利益に関わることも多い.しかし,研究者個人に利益相反が生じること自体に問題があるわけではない.利益相反 状態が深刻になると資金提供者の意向によって被験者が不当な不利益を被ったり,研究者による不適切な臨床研究の実施や研究成果の発表がゆがめ られるようなこともあり得る.したがって研究者は利益相反の原則に従い,当該組織の利益相反の指針に従い,金銭的な利益やその他の関連する利益(地位や利権など)の情報を自己申告によって開示し臨床研究の実施やその成果の普及・提供を適正に行うことが強く求められている.このような ことは基本的には研究者の良識の問題といえるが,すべての研究者は歯唇の基準に従わなければならない.
わが国では2006 年に「臨床研究の利益相反ポリシー策定に関するガイドライン」が策定された.
 
 
以上,がん医療と倫理的問題について述べてきたが,がん医療を急性期医療と読み替えて何ら支障はない.そのうえで,さらに以下のような課題は残っている.
 
@ 説明と同意にあたり患者の理解度は把握,評価できるか.
A「患者に理解できるように説明する」とあるが,患者の理解能力をどの程度だと期待するか.
B 標準的患者が理解できるように説明する義務とあるが,標準的理解度とはなにか.それを理解できない患者にはどうするのか.
C 意図的であってもなくても理解しない患者に対しては説明と同意が成立しない.このような事例で医師は契約関係が成立しないとして放置できるか.

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