■ 心肺停止

2007年3月13日


個人情報保護の観点から、患者名・背景、施設名を変更しています。


 福岡市の臨海地区にある総合病院。12月。街はクリスマス商戦の真っ只中 だが、病院玄関には大陸からの冷たい寒気が潮風となって吹き込んでいた。そ んな夕暮れどき、心肺停止状態の高齢男性を乗せた救急車がERに到着した。

 男性は86歳。確認すると瞳孔は完全に散大し、呼吸も心拍もなかった。つ まり、医学的には死亡確認できる状態となっていた。茶色く朽ちたような身体 に、パリッと糊の利いた白いシャツが印象的だった。その夜の研修医当直だっ た僕は救急隊員から心臓マッサージを引き継いだ。アンビューバッグ(人工呼 吸)を担当する看護師と視線を交わしながら「1、2、3、4・・・」とリズ ムをとってゆく。

 救急隊員の説明によると、その老人は自宅の居間でテレビを観ていたはずだっ たが、妻が買い物から帰ってきたときには息をしていなかった、とのことだっ た。救急要請は80歳の妻からだったようである。

 おそらく心臓発作を起こされたのだろう。また、長らく肺気腫を患っていた ようで、まあ、老衰による死と受けとめてもよい状態だった。心臓マッサージ を中断して心電図モニターを時々確認してみたが、いつも緑の基線はまっすぐ に左から右へと流れてゆく。「ええと、心静止のプロトコル・・・」と僕は何 度もトレーニングしてきたマニュアルを頭に思い描いた。こうした蘇生場面に おいてすべきことは、完全にマニュアル化されている。実際のところ、医師の 仕事は、蘇生の兆候が現れるまで、淡々とそれをこなすだけなのだ。そのマニュ アルにある最初の指示を僕は看護師にした。

「心電図モニタの感度を上げてみましょう」 「では、誘導を変えてみて!」

 いずれも緑の基線に変わりはなかった。つまり、蘇生の兆候はないというこ とである。

 次は・・・、そうそうDNAR(蘇生拒否)の確認だ。御本人は、こうした場合 に何もしないように希望してはいなかったのだろうか? 救急車に妻も乗って きていたはずだが・・・。しかし、受付にまわってしまっているらしく、ER に妻は見あたらない。つまり、確認が取れない状況だ。とすれば、そこはとば してマニュアル通りに進んでゆくことになっている。すなわち、気管内挿管 (チューブを気管のなかに挿入して人工呼吸を効率化する)、静脈路確保(血 圧を保つべく点滴を開始する)、エピネフリン注射(強心剤を投与して心拍再 開を促す)・・・。「ちょっと待てよ。本当にやるのか?」と僕は自問した。

 「やるべきことを確実にやれ。これが自分の身を守ることだ」と僕は教えら れてきた。しかし、もはや死を避けようもない老人の最期に、喉へチューブを ねじ込むことは、あまりに残酷なような気がしてならなかったのだ。気管内挿 管では、まず金具をつかって口から喉までをこじ開けるので、喉は傷つき、歯 が折れることすらある。のりの利いた白いシャツもそれを拒んでいるように思 えた。「やるべきこと」って「医療のエゴ」なのではないだろうか。

 僕は時間をかせぐことで、何とか葛藤を紛らわせようとした。まず、看護師 に心臓マッサージを交代してもらい、心エコーをあてて、心臓の動きを確認す ることにした。心筋はピクとも動いていなかった。えーと、えーと、次にでき ることは・・・? とにかく僕は挿管などしたくなかったのだ。心肺蘇生のマ ニュアルが本当に恨めしく思えた。

「僕がやるべきことって、挿管しかないのかよ!!」

 そのとき、内科当直の中田先生が処置室に入ってきた。高齢の女性を連れて いる。おそらく患者の妻なのだろう。僕は自分にのしかかっていた倫理的責任 の重荷から解放された気持ちがして、知らぬ間に力んでいた肩の力がスッと抜 けるのを感じていた。あとは指示に従うだけでいい。情けないことだけど、僕 には決められなかったのだ。僕はふたたび看護師と交代して心臓マッサージを 続けた。指示が出るまでの時間、僕がすべきことはマッサージに専念すること だけである。僕はもくもくと「1,2,3,4・・・」とリズムをとっていた。

 すると、中田先生がいろいろと妻に説明しているのが耳に入ってきた。御主 人の心臓も呼吸も止まっていたこと。蘇生によって戻る可能性はほとんどない こと。

 どうやら気管内挿管は免れそうだ。あとは、妻が蘇生措置について「もう結 構です」と言ってくれるのを待つばかりだ。そう、僕は変に安堵した気持ちに なっていた。心臓マッサージのリズムに白いシャツが揺れていた。

 しかし、その腰は折れ、何かに捉まっていなければ立ってすらいられないよ うな妻が5分後に下した判断は、経験の長い中田先生にとっても初めてのこと だったという。

 妻は心臓マッサージをしている僕のそばに、よろよろと歩いてきてこう言っ たのである。

「あの〜 すいまっせん。あたしにやらせてはもらえんとでしょうか。すいまっ せん。お願いします。教えてください」

 僕は、あっけにとられて中田先生をふりかえった。中田先生もびっくりした 顔をしていたが、一言、「教えてさしあげなさい」と僕に指示した。

 看護師が、背の低い妻のために、急いで足台を持ってきた。台に昇った妻に、 僕は手の置き場所と、力加減とタイミングを手短に教えると、「よ〜 わかり ました。これで良いですか?」と言って、弱々しくはあるけれども正確なタイ ミングで心臓マッサージを開始したのだった。白いシャツがふたたび揺れはじ めた。僕が小さく頷き、「お上手ですよ。それで結構です」と言うと、妻は満 足そうに、なんと微笑みすらこぼして、夫に語りかけはじめたのである。

「お父さん。あんたは、な〜んも自分のことができんかったけん、あたしがずっ と一緒におってやったとよ。しまいにゃ心臓すらあたしが動かしちゃらんとい かんごとなって、情けなか人やねぇ でもね、あたしは幸せやった。楽しかっ た。覚えとるね、中洲であんたが喧嘩したときのこと・・・」

 心臓マッサージを続けながら、夫に訥々(とつとつ)と語りだした妻に、救 急のスタッフたちは呆然とした。いったい何がはじまったのかと、他の仕事を していた看護師たちも集まってきたほどである。

 しかし、中田先生は片手を振って、スタッフたち全員に処置室を出ろと合図 した。人工呼吸を担当していた看護師もその場を外された。僕も彼女の後ろで あっけにとられていたが、はたと気がついて急いで外に出た。こうして、処置 室は妻と真の意味で死を迎えつつある夫だけとなった。

 それから10分ぐらいが経過しただろうか。処置室のドアが開いて妻が出て きた。そして、救急スタッフたち全員に繰り返し深々と頭を下げて、妻はこう 言った。

「御迷惑をおかけしました。もう結構です」

 妻の目には涙のあとが残されてはいたが、しかし満足そうな微笑みを浮かべ ていた。おそらく、逝ったばかりの老人もそうに違いないと、あのとき僕は思っ たのだった。     

【高山義浩】


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