■ 新潟中越地震における医療支援活動(前編) 小千谷市における医療支援の経緯

2005年10月23日


◆はじめに

 平成16年10月23日、新潟県中越地方を震源とする地震があり、同県小千谷市 ほかで震度6強を観測した。小千谷市は人口4万人余りの町だが、この地震と その後の余震により最大規模の被害を受けた。JA長野厚生連佐久総合病院は、 24日朝、新潟中越地震医療対策本部を設置し、小千谷市内にあるJA新潟厚生 連魚沼病院の要請を受けて後方支援を行なった。また、地元保健師と連携して 避難所の巡回診療を実施した。

 私は、佐久総合病院としては最終となる第9次医療支援チームに参加させて いただき、現地での医療支援活動に参加したほか、これまでの佐久総合病院の 支援活動を評価する目的で、地元の方々との面談を行なった。

 あれから1年が経過した。このシリーズの前編では、まず震災後の医療復興 の経緯を振り返る。そして後編では、佐久総合病院の活動を紹介しながら、プ ライマリ・ケア医療支援について検討してみたいと思う。

◆新潟県中越地震の経緯と佐久総合病院の動き(小千谷市を中心に)

 平成16年10月23日午後5時56分ごろ、新潟県中越地方を震源とする地震があ り、同県川口町で震度7、小千谷市、山古志村、小国町で震度6強を観測した。 気象庁によると、震源の深さは13km。マグニチュードは6.8と推定された。そ の後も余震が続き、小千谷市では震度6強を連続して観測した。小千谷市によ ると、直後の震災被害による市内の死亡者は11名。この他に730人余りが負傷 した。

 厚生労働省は午後7時05分に災害対策本部を設置。国立病院機構災害医療セ ンター、国立国際医療センターほか、各地の医療センター、病院より医療班を 現地に派遣。医療支援活動を実施するよう指示した。

 小千谷市には20の病院・診療所があるが、すべて何らかの被害を受けた。地 域医療の中核を担ってきたのは、小千谷総合病院とJA新潟厚生連魚沼病院 (以下、魚沼病院)であったが、小千谷総合病院は配管が壊れたり、支柱が曲 がるなどの被害に遭い、入院していた219人を長岡市内の病院や介護老人保健 施設などに転院させる事態になった。また、同院は市内で唯一、人工透析ので きる施設であったが、停電や断水で装置が使用不要となり、透析患者は長岡市 などに転送された。一方、魚沼病院は電気、ガス、水道が止まったものの建物 自体の損傷は軽度であり、順次病院機能を回復させた。救急外来を受診する患 者は外傷主体であり、ある魚沼病院の医師は「こんなに昼夜を問わず縫合し続 けたことはなかった」と述懐している。

 10月24日午前5時ごろ、日本赤十字社(以下、日赤)は、避難所となった小 千谷市総合体育館に「救護所」を開設、診療を開始した。また、地元の医師ら は連絡を取り合い、各自の診療をできるだけ速やかに再開すること、自分の患 者と早く連絡をとって健康状態を確認することを申し合わせた。JA長野厚生 連佐久総合病院(以下、佐久総合病院)の副院長(盛岡正博医師)が、小千谷 市内にある魚沼病院に電話をかけたところ、同院院長(斎藤六温医師)が出ら れ「何がどうなっているか分からない、とにかく現場を見てくれ」との要請を 受けた。すぐに、佐久総合病院内に新潟中越地震医療対策本部が設置され、同 日夕方に第1次医療支援チームが現地入りとなった。

 10月25日になると、続々と医療支援チームが到着しはじめ、小千谷市の災害 対策本部は、医療支援の全体像がつかめなくなった。

 10月26日、震災による避難者数は全体で103178人となり、この日がピークで あった。この頃より魚沼病院の外来患者は、外傷より内科慢性疾患へとシフト しはじめた。主な疾患は、高齢者の脱水や肺炎、小児成人の喘息発作などであっ た。このため、佐久総合病院では、医療支援チームを内科系中心に再編成した。 日赤を中心とした救護所を運営する医療支援チームが集合地元の医師らと活動 状況を交換して、受診者数の動向や、症例提示を行い、地元と支援団体との情 報共有を続けることで合意した。

 10月27日より避難所のトイレ環境が急速に悪化したため、県内外の応援を得 て、バキューム車による定期的なくみ取りが開始された。この日、自衛隊によ る入浴支援活動が開始された。小千谷市の避難者数は、ピークの29243人となっ た。市の健康センターの要請により、この日より佐久総合病院による避難所巡 回診療が開始となった。

 10月28日には約半数の病院・診療所が復旧。この頃から、車中泊の避難者た ちにエコノミークラス症候群による死亡例が認められはじめた。また、夜間に トイレに行かずにすむよう水分制限をしている避難者も多く、尿路感染症の患 者が多発しはじめた。小千谷市の健康センターにて保健師を中心としたミーティ ングが朝夕に開かれる体制が整えられた。避難所の巡回診療の割り振りと報告 が中心で、参加したのは佐久総合病院ら13の医療支援チーム。

 11月4日、魚沼病院は通常診療体制となり、翌5日には小千谷市内すべての医 療機関が復旧した。

 11月10日ごろより冷え込み強く、風邪をひく被災者が急増した。避難所で日 赤の診察を受けた延べ約8千人の被災者のうち、風邪と診断された患者は約3200 人であった。インフルエンザワクチンの接種も呼びかけられたが、厚生労働省 の調べで、被災地の医療機関などが保管していたワクチン2万本以上が、停電 により保冷されていなかったため使えなくなっていることが確認された。

 11月17日、小千谷市の保健師10人と、応援に来た自治体の保健師らが進めて いた被災者宅訪問が終了。対象約1万世帯のうち、不在を除く約5千世帯で調 査が実施された。約1万7千人の健康状態を調べた結果、234人が健康相談な ど何らかの支援が必要と判断された。特に「心のケア」が41%で最も多く、健 康相談(27%)、医療機関の受診(25%)、食事・トイレなどの介助(18%) と続いた。自覚症状では不眠や憂うつ、意欲低下など精神的な症状が目立つと した。

 11月20日、小千谷総合体育館にて医療支援団体による最終ミーティングが開 催され、各団体総括の発表が行われ解散となった。この日、多くの医療支援チー ムが小千谷市より撤退した。

 11月23日、震災より1ヶ月が経過した。9つの避難所に設けられていた救護 所が2ヶ所に縮小された。これらも順次縮小されてゆく見込みで、小千谷市の 医療は緊急支援より地域主体へと引き継がれる段階となった。

11月24日、佐久総合病院による第9次(最終)医療支援チームが魚沼病院よ り撤退。佐久総合病院による緊急医療支援活動も終了した。

◆災害直後の空白期間

 災害やテロ、NBCなどにより既存のシステムが破壊された場合、その社会 は非常時のシステムに速やかに移行する必要がある。しかし、どんなマニュア ルが存在するにせよ、システムの空白期間は否めない。システムが高度で、か つ隅々にまで行き渡っていればいるほど、この空白期間は長く感じられるもの だろう。むしろ、その期間をいかに乗り越えてみせるかが、これからの社会に は問われているのかもしれない。

 今回の小千谷市の場合、この空白期間で多少の混乱が認められていた。地元 医師会長の庭山昌明先生は「医療支援の人的・物的資源は充分にあったんです。 しかし、これをコーディネートできる情報力と権限のある者がいなかった。こ れが最大の反省点だったと思います」と、この混乱を大変憂慮され、災害時に は硬直しがちな行政から独立した「医療専門の指揮組織」を構築すべきだと持 論を示されていた。一方、自治体サイドの健康福祉課健康センター長の廣井哲 雄さんも、この空白期間に責任を感じておられ、お話をうかがうなかで「何と か事態を掌握し指揮せねば」というお気持ちがひしひしと伝わってきた。とく に、小千谷市の災害対策マニュアルでは「健康センターに救護所を設置し、地 元医師会さんと一緒に負傷者の治療を行うことになっていた」とのことで、日 赤をはじめ、外から医療支援グループが殺到することが予測されていなかった という点が印象的であった。阪神淡路大震災以降、佐久総合病院を含め、緊急 支援を実施する体制が各方面で整えられている。こうした支援グループとの連 携が、今後の災害対策において十分に吟味されておく必要があるのだろう。

 しかし、災害直下の自治体が、初期の混乱期から機能するはずはなく、これ を批判することはできないとも思われた。災害直後から災害対策マニュアルが 動き出すのを期待するのは酷ではないか。むしろ、直後は外来の組織がミーティ ングを重ねつつ非常事態下の医療を推進し、自治体の機能回復を支援し、そし てその機能が回復してゆくとともに権限を委譲してゆくべきだと考えられた。

 この点については、長岡市の避難所で活動しているNGO(シェア=国際保健協 力市民の会)の工藤芙美子さんの「医療支援チームのなかには、行政と一線を 画すことを主張する団体もあります。しかし、私たちはずっとここで活動を続 けるわけではなく、ゆくゆくは自治体行政が引き継いでゆくのですから、最初 から行政を巻き込んだ形で、行政の歩幅に合わせて、活動を展開してゆく努力 が私たちには求められているはずです」という言葉に説得力を感じた。同団体 は、長岡市行政と良好なパートナーシップのもとに、避難所の健康相談室を運 営されていた。

 震災直後の医療体制を論じるうえでは、自治体の機能回復を急がせるよりも、 むしろ災害時において被災地域外の救援体制が速やかに整い、医療支援チーム が派遣されながら、自治体と共同作業で活動すべきだと考えられた。

◆医療支援団体の連携

 小千谷市の救援活動では、日赤の臨機応変な救護技術が各方面で高く評価さ れていた。その自己完結型の活動能力には、佐久総合病院としても学ぶべき点 が多いと考えられた。健康センターの廣井さんも、次のように日赤の初期対応 をとくに高く評価している。

「日赤さんはすごかったですね。地震があった10時間後には、診療できる体制 を整えていました。この頃には、すでに自然発生的に130近くの避難所が各地 にできていたのですが、そのうちの市街地にある大きな避難所を選んで、日赤 さんが救護所を設置してくださったんです。日赤さんが独自のマニュアルを持っ ていて、行政とは別働で動いてくれたことが大変助かりました。むしろ、当初 は私たちの方が、日赤さんから地域の状況について教えていただいていたほど でした」

 ただし、日赤は行政との連携を絶ち「勝手に動いていた」わけではない。日 赤は「日本赤十字社法」という法的根拠があって行動しており、同法33条に 「国の救護に関する業務の委託」というものがあり、非常災害時における国の 行う救護に関する業務が日赤に委託できることになっている。あるいは「災害 救助法」では、「政府は日本赤十字社に、政府の指揮監督の下に、救助に関し 地方公共団体以外の団体又は個人がする協力の連絡調整を行わせることができ る」(第32条の2第2項)とされている。つまり、行政システムの空白期間には、 日赤が業務を代行したり、施設の整備をすすめることが認められている。もち ろん、日赤が支弁した費用を国が補償することにもなっている。

 この他、日赤は「災害対策基本法」で指定公共機関とされており、国の災害 救護事業の一部となっている。活躍の場を「奪われた」と感じて反発している 医療支援チームもあったようだが、他の医療支援チームと単純に比較したり、 いわんや競合するべきではない。むしろ初期対応においては、今回、総合体育 館で運営されたミーティングが成果を示していたように、日赤を核とした緊急 医療支援体制として、地元医師会等も参加したチームワークを形成すべきと考 えられる。

 そして、被害の全体像が明らかになるにつれ、それぞれの特性を活かした医 療支援活動が展開されてゆくことが、混乱のない医療復興への道筋となるので はないだろうか。

◆ボランティアの健康問題

 11月中旬ごろより、魚沼病院の救急外来を受診するボランティアが散見され るようになってきた。第8次派遣の佐久総合病院医師によると、50代ボラン ティア男性の脳梗塞発症や、看護師としてボランティアを続けていた女性の重 症腎盂腎炎などが認められたという。県外からのボランティアたちには、車内 泊やテント泊を続けながら昼間のボランティア活動に専念している者が少なく ない。もちろん、被災者向けのサービス(食事や風呂、救護所など)は利用で きないため、日々の生活環境だけをみれば被災者以上に厳しい生活を送ってい るボランティアが多いようであった。

 小千谷市と地元医師会、日赤では、医療資源の節約の観点から、ボランティ アに対する健康管理は実施せず、体調不良あるときは速やかに自宅に戻るよう に指導していた。ただし、健康不安を訴える6名のボランティアについて相談 を受けた私の経験からは、「せっかく来たのに頑張って続けたい」、「発熱な どの症状がないので病気とまでは考えていない」といった思い入れのある方々 が多く、このまま本当に体調を崩すまで続けかねない印象であった。

 たとえば、ある26歳のボランティア女性は、鉄欠乏性貧血に対し鉄剤を、う つ病に対して安定剤を処方されていたが、どちらも内服を切らした状態で活動 を続けていた。身体所見は明らかに貧血様で、下肢浮腫も認められた。さらに、 全身倦怠感を自覚していたため、私は強く帰宅を勧めたが「もう少し頑張らな ければ」と言って拒否された。この女性は約2週間の車中泊を続けており、今 後も車中泊を続ける予定だとのことであった。

 被災地復興におけるボランティアの貢献を疑うことはできない。それだけに、 ボランティアの活動を下支えするような行政の対応も、今後は求められている のではないだろうか。また、支援活動の根底にあるはずの相互扶助の観点から は、医療支援チームはボランティアらへの健康管理を行って良いのではないだ ろうか。そして、ボランティアセンターと連携しながら、ときに強制力のある 指導も求められているはずだ。こうしたボランティアへの対応が、よりボラン ティア活動を活性化させ、被災地の復興促進にもひいては貢献できるのではな いかと考えられる。

【高山義浩】


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