■ カンボジアレポート(7) 教育こそ未来への布石(後編)

2002年11月27日


◆カンボジア教育の課題

 近年、さまざまな国際会議の場で、基礎教育の重要性が再認識されるように なってきている。とりわけ、1990年に世界銀行、ユニセフ、ユネスコ、国連開 発計画の共催により、タイのジョムティエンで開催された『万人のための教育 世界会議』(ジョムティエン会議)は、途上国における教育を拡充してゆく原 動力となるものであった。ここでまとめられた宣言には、このようにある。

「教育は個人の向上と社会の改善のための不可欠な鍵であることから、基礎教 育をすべての人に与えることが必要であり、またその達成も可能である」

 教育は子供に将来への自信を与え、紛争の平和的解決の道筋を見出させる。 そして、一度獲得された教育は、親から子へと引き継がれる「財産」ともなっ ている。女性が長く教育を受けるほど乳児死亡率が減少し、子供の栄養状態も 良くなる。また、教育は未来への「投資」となる。教育の拡充は、経済社会活 動を活性化させ、長期的に個人と社会を豊かにしてゆくことに連なっている。

 ジョムティエン会議以降、先進国による二国間協力においても、NGOらの 展開においても、カンボジアへの教育支援について弾みがついた。予算も、人 材も、設備もない状態からの出発であったが、1998年現在、環境整備された (屋根と壁があり、飲用水が供給されている)小学校は5156校にまで増加。正 規の教員数も43530人となっている。また、就学年齢児童の小学校入学率は 78.3%を達成しており、カンボジアの教育水準がこれから向上してゆくで あろうことを期待させる(いずれもカンボジア教育青年スポーツ省の統計)。

 しかし、一方で、カンボジアの識字率は、男81.8%、女58.2%と途上 国のなかではかなり低い水準のままであり、男女格差も歴然としている。また、 国家予算に占める教育予算が1999年で8.3%と、アジアでは最低レベルであ り、しかも減少傾向にある。教育の質の悪さは、子供たちの学校離れを促進し ており、小学校各学年の平均退学率は、実に14.2%となっている。

 事実、カンボジアの教育システムには、問題が山積している。まず、教師の 質が悪いことがある。1993年の法改正で、小学校教員は高校を卒業しているこ とが要件とされたが、現実には、小学校を卒業して数週間で教壇に立っている 者も少なくない。現実に即さぬ法律は無いも同然となり、法全体への信頼が損 なわれ、効力を失わせてしまう。教師の安月給もまた、同じく非現実的であり、 生徒の親たちからの賄賂をむしろ正当化させる口実となっている。

 学校が足りないことは、別の大きな問題である。ここには、予算が足りない というだけでなく、カンボジア独特の背景もあるようだ。

 まず、ポル・ポト時代を生き延びた農民たちのなかには、「教育がないから こそ生き延びた」という消し難い記憶がある。とりわけ、教育を受けていない 高齢者にとって、これは立派な処世訓となってしまっている節がある。

 次いで、あの時代、学校が収容所あるいは処刑場として使われたため、カン ボジアの人々が学校について複雑な思いを抱いていることを理解しておく必要 がある。大虐殺というPTSDを抱えたカンボジアの村落は、近くに学校が建 つことを生理的に恐れてしまう。あるいは、処刑場として使われた古い学校へ、 子供を通わせることに不安を覚えてしまう。ティンスララゥ村でも、ピー(悪 霊)やネアック・タ(精霊)の存在は、生活行動に大きな影響を及ぼしていた。 カンボジア人にとっての「学校」を理解することは、外国人には極めて難しい ことだと僕は感じている。

 これらの複雑な事情が、地方で学校を建設してゆくうえで障害となっている。 そして学校不足は慢性化し、カンボジアの子供たちは1時間ときには2時間も の距離を歩いて遠くの学校へ通っているのだ。

◆教育を住民主体へ

 いま、カンボジアの基礎教育の普及のため、何が求められているのだろう。 すぐに思い浮かぶのは、小学校を建設してまわること、そして、教員養成のた めのプログラムを支援することだ。また、こうした資金を大規模に注入するこ とも必要だ。実際、いくつかの日本のNGOは、こうした活動を地道に続けて きているし、ODAもカンボジアの教育予算をバックアップしている。

 カンボジアが国際社会から注目されようとも、忘れられようとも、ずっと続 けられてきた、こうした弛(たゆ)まぬ努力は、真に賞賛されるべきものであ る。そして、彼らの活動は、多くのカンボジアの人々から感謝され、ひいては 日本とカンボジアの友好の礎となっている。

 ここでは、彼らへの敬意を表しつつ、多少の論評を僕なりに試みてみたいと 思う。やや批判的に受け取られる部分もあるかとは思うが、しかし、これはカ ンボジアの農村を流れ遊んできた旅人からの側面的なレポートであると理解し ていただきたい。

 途上国の教育をめぐっては、量の拡張と質の向上という、2つの目標が掲げ られるべきである。しかし、これは政府の財政事情を考えれば、どちらを取る かという問題へと転換してしまう。つまり、質を向上させようと考えれば、教 師や設備が一部の(都市圏の)学校に集中してしまうだろう。逆に、量を拡張 しようとすれば、貧弱な設備に眼をつぶり、教師の育成にも手が回らなくなっ てしまう。

 実のところ、カンボジアは、この量と質の狭間(はざま)で身動きが取れな くなっているようにも見受けられる。カンボジア政府としては、様々な業種で 即戦力となるエリートを養成したい。すなわち、都市圏に集中してでも質を優 先させたいと考えている。一方、援助側としては、その公平性の原則から、国 内全体の教育レベルを向上させたいと考える。そのため、すでにある小学校を 充実させることより、教育過疎の地方農村部への小学校建設と教師派遣を優先 させようとする。結果として、カンボジア政府と援助側との足並みは揃わず、 どちらも一方的な決定権がないだけに、教育復興は滞ってしまっている。

 この膠着状態に潤滑油を注ぐには、いま一度、「子供(すなわち受益者)の ニーズ」という視点から、カンボジアの教育を柔軟な姿勢で再構築してゆく必 要がある。

 結論から述べると、「地域の教育は地域へ、農村の教育は農村へ」と教育の 運営主体を戻してゆくことを僕は訴えたい。教育を運営する政府の能力が不十 分であるなら、教育を地方分権化し、親やコミュニティの身近なところで柔軟 に運営してゆくことが期待される。カンボジアのように官僚機構が不安定で、 少数民族を多数かかえる国勢であるのなら、教育の地方分権化政策は真剣に議 論されるべき選択肢ではないか。

 国家の意向に沿った公立学校で学ばなければ教育を受けたと見なされないと いう、国家による学校の独占。そして、決まった時間に決まった場所に集まり、 国家によって免許された専門家から教授されなければ、学んだとみなされない。 これは、ひとつの暴力ではないか。国家が学校を認定することは、たしかに認 定された教育機関を充実させることになるが、同時に、認定されなかった寺子 屋的教育現場を疲弊させてしまっている。

 先進諸国のように、国民すべてに教育サービスを提供するだけの技術と財力 があるならば、全国一律の国民教育を目指すという考えも支持されよう。しか し、これまで述べてきたように、教育の完全普及どころか、既存の学校を維持 管理する能力すらプノンペン政府は持ち合わせてはいない。そして、学校は疲 労し、腐敗してきている。カンボジア国民の学校教育への期待は、貧しい者た ちから順に、不信へと切り替わりつつある。

 あるいは逆に、地方農村で都市型教育を受けた子供たちは、農民としての力 をそがれ、農業ばなれを促進され、都市へと向かっている。発展途上国にみる、 スラムの増大の影には、こうした教育の失敗も見え隠れしている。

 むしろ、いま、豊かな地方風土へと教育を返してゆき、子供やコミュニティ を主体とした教育の再構築が求められているのではないか。

 カンボジアの近代教育史でも触れたが、カンボジアでは歴史的に寺院が教育 において重要な役割を果たしてきた。読み書き計算、倫理、芸能、伝統的な建 築や医療、あるいは環境に適応した農業や林業など。こうした地域に伝承され た知識を、僧侶をはじめ、村の長老や、いわゆる「○○名人」と称される人々 が喜んで教壇に立ち、村の子供たちを教育してきたのである。

 すべての国に適応のある単一の処方箋は存在しない。当たり前のことだが、 先進国の方法論だけが正解ではない。また、先進国が何十年、いや何百年をも かけて形作ってきた教育制度が、たかだか10年でカンボジアに根付くはずも ない。カンボジアの教育に情熱を傾ける人々は、むしろ、先進国の栄華に眩暈 (めまい)することなく、カンボジアならではの教育システムを育んでほしい と僕は思っている。そして、そのシステムの鍵となるのは、豊かな、本当に豊 かなカンボジアの地域文化ではないだろうか。このカンボジアの豊かさを認め ることができれば、きっとカンボジアの教育は予算不足であるとか、人材難だ とかに悩まされることはなくなるはずだ。

 技術的なことを言えば、まず、プノンペン政府が独占している教育の計画と 管理、財源・資源の収集と割り当て、そして意思決定権を政府の地方事務所へ 委任してゆくこと(権力分散)。そして、地方事務所のメンバーを自治体で選 任し(地方分権)、実質的な運営を地方事務所と寺院、PTAなどを含む民間 機関と共同であたることだ(民活導入)。硬直化し、非効率となっているカン ボジアの教育を再生させるためには、困難ではあるが、こうした改革を地道に 模索してゆく意義は大きい。

 もちろん、このような問題はカンボジアに限ったことではなく、世界各地の 後発国で認められている。国際社会から認められるべく、学校建設に勤しみな がら、学校教育には金がかかるという事実に追い越されてゆく。そして、建設 済みの学校の運営には無責任となり、不適切な教育が垂れ流されてしまってい る。こうしたことの原因は、「学校があれば教育がある」という安易な考えが、 中央政府と援助者にあるからかもしれない。

 とにかく、いま一度、思い出しておきたいのは、先進国型の「国民教育」だ けが教育の姿ではないということだ。

◆学校教育の限界

 第二次世界大戦以後、民主化と近代化の大きな潮流にのって、国民教育制度 は必須の要件として、すべての国家に求められるようになった。そして、学校 というシステムは爆発的に世界に普及していった。途上国に対する国際協力で も、教育支援は保健医療とならび主要な分野となっている。そして、国際機関 から、小さなNGOに至るまで、こぞって小学校を建設してまわるようになっ た。いわば「学校化社会」という趨勢を、いま僕たちは目撃している。

 確かに、いまだに読み書きのできない成人が世界に約9億人いるとされ、彼 らの生活を豊かにしたり、守ったりする情報にアクセスすることを困難にさせ ている。教育の充実は、あらゆる側面から検討しても、優先度の高い今世紀の 目標となっている。

 ただし、教育=学校であるかについては、いま一度、検討の余地があるので はないか。学校教育そのものへの十分な検討もなしに、学校建設を推進してい る現状は、近代教育史への反省があまりにも欠落している。カンボジアで言え ば、シハヌーク時代に近代教育制度が確立されながら、なぜ動乱の内戦期へと 突入してしまったのか、教育にも責任はなかったのか、ともう少し自問があっ てしかるべきである。もちろん、日本ではじまっている学校教育の見つめ直し もまた、世界へと還元されてゆくべきであろう。

 そもそも、学校教育とは、経済成長のための「投資」として重要視され、資 本主義開発モデルの一部を形成しながら発展してきたものである。20世紀の 学校とは、生産性を向上させるための「人的資本開発」の場であり、優秀な労 働力を備えた人材と大量消費を志向する経済人を輩出する場として機能してい た。

 世界各地において、基礎教育は国家によって独占され、近代化を普遍的価値 として示しながら推し進められてきた。しかし、80年代には、すでに「世界 中がアメリカ社会を実現する」などという究極の目標は破綻しており、いま世 界の学校は、目指すべき生活、基軸となる価値を見失ったまま放浪している。

 その結果、現代の学校は、人生の価値や目標について留保したまま、ひたす らに知識を詰め込むことに没頭してしまっている。何が子供たちにとって大切 な知恵であるかを考えないまま、強引に教育を進めるがゆえ、子供たちは卒業 しても仕事をみつけられず、自分のコミュニティに価値ある居場所を見出せな いでいる。日本を含め、先進国の多くが、チャンスを掴むことも、ハードルを 乗り越えることもできない若者たちで溢れかえっている。

 たしかに、識字や算数の能力は、100年前に比して格段に高まっている。 しかし、いわゆる「生活力」は後退してきてはいないか。アジアを旅してきた 人なら、僕の言いたいことは理解してもらえると思う。学校教育がこれほどま でに徹底しているにもかかわらず、他人の意見に耳を傾け、それを尊重し、そ れぞれの潜在力を引き出して社会を豊かなものとする「ヒトとしての生活力」 は、先進国において明らかに後退してきているではないか。学校を知らぬカル カッタの子供たちの貪欲な生命力。紛争下のパレスチナ青年たちの未来への責 任感。それを横目に、日本では「小学校で円周率が 3.14 から 3 に変わった。 大丈夫か?」と騒いでいる。それが何だ。そんな所に僕たちの学校教育は問題 を抱えていたのか。

 明らかに、僕たちは「社会について学ぶ」ことは得意になったが、「社会か ら学ぶ」ことを忘れてしまっている。それは、学校が社会から遠ざかっている からではないだろうか。養成所で育成された教員だけが先生ではない、身近な 生活の場から学びはじめ、やがて世界へと目をひらいてゆく姿勢を子供たちは 身につけなければならない。そして、永遠に同世代の者たちで互いを教育して ゆくこと、すなわち学びあう姿勢を子供たちは身につけなければならない。

 こう考えれば、「教育においての主役は子供たちであり、それを支えるのは 住民であるべきだ」という僕の考えにも一理を見出していただけたのではない だろうか。これこそが、地域の文化を軸として、未来へ布石してゆく教育の実 践なのである。そして、「豊かな地域文化を育成する住民主体の学校」という 挑戦は、むしろ、先進国ではなく、豊かな地方文化を未だ見失っていないカン ボジアのような場所で創(はじ)められてゆくべきではないか―――。

 これが、強いカンボジアの日差しを浴びながら、歩き回っていた僕の思考の ひとつの到達点である。

◆カンボジアの青い空

 1995年、初秋。僕はティンスララゥ村にほど近い小さなマーケットを、 また、ひやかすように歩いていた。午後の田舎のマーケットは、行きかう人々 に土埃が舞い、屠殺されたばかりの豚や鶏の生き血の臭いが入り混じっていた。 僕が汗をぬぐうために立ち止まると、すぐに切実な目つきをした野犬たちが集 まってきて、しばらく彼らの一日の転機となるような何かを期待して僕を見上 げていたが、僕がふたたび歩き出すと、彼らは一切の興味を失ったようにどこ かへ行ってしまった。蝿の羽音がうるさい。まるで、僕の頭のなかから響いて くるかのようだった。

 僕はこの気怠るさをやりすごそうと、タバコ売りの少女を呼び止めた。それ が、半年ぶりに出会ったセンリムだった。

 彼女は、大人モノのTシャツをワンピースのように着て、それとは対照的に 腰にピッタリと濃茶色のスカートを巻きつけていた。頭にのせていたタバコ入 りの篭を小脇に抱えなおして、彼女は僕にタバコを2本渡し、僕から200リエル を受け取った。彼女の一連の動作はとても滑らかで、端正だった。

「もう、学校へ行くのはやめるかもしれない」

 僕の「学校はどうしたの?」という呼びかけに、センリムは、これだけ言っ て汗を拭い、空をふと仰いでいた。その仕草は、なにか一枚の絵のようで、い まも妙に僕の心に焼きついている。センリムの向こうに見えていたのは、宿命 的なまでに青い9月の空だった。

【高山義浩】


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