■ カンボジアレポート(5) 思い出としての遊女たち

2000年9月13日


 ティンスララゥ村に滞在していて、当然のことながら僕は、多くの異文化に 直面して戸惑うことがしばしばだった。それが鼻につくこともあれば、滑稽な こともある。しかし、村に慣れてきて、僕の中にあった猜疑心を取りのぞき終 われば、「ああ、なるほど」と合点がいくものである。

 しかし、なかなか理解できず、馴染むことができなかったことがある。それ は、売春婦たちをめぐる村の"文化"についてであった。

◆ソムナンさんの店

 この話をはじめる前に、村のソムナンさんを紹介しておきたい。

 39歳の彼女の月収は約500ドル。僕の調べた限りにおいて、村の所得番 付第1位だった。1995年当時で、公務員の月収がだいたい12ドルぐらい。 バイクタクシーの運転手で20ドル、村のそばにある採石場の労働者が高収入 とされていて月収50ドルだ。つまり、この月収500ドルがいかに莫大であ るか想像がつくだろう。

 ソムナンさんは、村内で飲み屋を経営している。もちろん、ただの飲み屋で 荒稼ぎは難しい。ソムナンさんは売春の斡旋を主たる家業としているのだ。6 畳ほどの土間のような店内に木机が4つある。そこで客は、もっぱらウィスキー をコーラで割って飲んでいる。頼めば、生ぬるいビールか出てくるが、これは 150円ぐらいする。つまり贅沢な飲み物だ。それよりも店に出入りしている 6人の女の子を吟味して、1人を連れ出したほうがいいのかもしれない。店で 人気の16歳のボパーちゃんでも、一晩160円で買春することができるから だ。

 客の多くはトラックドライバーだった。ティンスララゥ村は、カンボジア最 大の港町シアヌークビルと首都プノンペンを結ぶ国道4号線沿いにある。沿道 にある村で、ドライバーたちがあえて一夜を明かすのには理由がある。都会よ りも格段に安い値段で、若くて無垢な娘を手に入れることができるからだ。彼 らは、ソムナンさんの店で酒を飲み、そして女の子をトラックの運転席に連れ 込んでゆく。ことが済んだら、女の子は店に戻り、ドライバーは朝までぐっす りと眠るというわけだ。

 道徳的なことはさておき、これは僕にも理解できる話である。僕が理解に苦 しんだのは、これとは別の客層のこと。すなわち、ソムナンさんの店に足しげ く出入りしている村人たちことだった。

 120世帯に過ぎない村である。しかも、カンボジアの村人たちは噂話が大 好きで、まあ、ほとんど隠し事など通用しない。どこそこの息子がボパーちゃ んに熱をあげているかなんて話は、瞬時に村を駆け巡り、すべての村人の知る ところになる。日本的な感覚でいえば、この噂の渦中になることは、かなり恥 ずかしいことであり、避けるべきことじゃないだろうか。ところが村では、本 人を含めて、家族もまた、あまりそのことを気にしていないようなのである。

 それどころか、母親が息子の相手であるボパーちゃんと仲良くなっていたり する。あるとき、その息子の家に立ち寄ったら、誰もおらず、ただボパーちゃ んだけが赤ん坊をあやしていたことがあった。「なにしてんの?」と聞いたら、 「農作業に行ってるあいだ、赤ちゃんの面倒をみてって頼まれたの」という返 事。うーん、やっぱり理解できない。ただ、むかし読んだバルザックの「至る ところ自宅同然という特権は、君主か遊女か泥棒にしか属さない」という一節 を、僕はふと思い出していた。

◆遊ぶ女たち

 アジアの売春には2つのスタイルがある。それは、都市と農村の区別、もっ と正確に言うと、「都市中心の近代型娼婦」と「農村中心の伝統型遊女」の区 別である。

 ティンスララゥ村に僕がみた売春形態は、遊女的性格を色濃く残していた。 ソムナンさんの店にいた女の子たちは、そこを拠点としているだけで、ソムナ ンさんの所有ではなかった。つまり、店で客をみつけた場合は、客がソムナン さんに斡旋料を支払うが、女の子には負担がない。そして、女の子は望むとき だけ店に顔を出し、他所で客を引くことも可能だった。

 都市の娼婦と違って、農村における遊女には所属がない。それゆえに彼女た ちは、村人の生活に深い関わりを有することができていると僕は感じている。 たとえば、ボパーちゃんは、村人を相手に160円で春を売る。一方で、昼間 は忙しい村人のかわりに子守りを手伝ったりして重宝されており、独特のかた ちで村社会に溶け込んでいた。これは、近代型娼婦になじんでしまっている僕 らには、なかなか理解しにくい状況である。自分の夫と、あるいは自分の息子 と関係をもつ遊女が、ひとつの小さな村の中にいて、それでいて和を形成して いるのである。

 さて、こうした伝統型遊女らを僕らが理解してゆくためには、僕ら自身、 「性」が「聖」であった時代にまでさかのぼってみる必要があるだろう。その 時代、つまり日本にも遊女が息づいていた時代へ。

 僕ら日本人を含めてアジア全般には、放埓な性的交渉が豊穣と多産につなが るという農耕民の信仰があった。禁欲的な仏教やキリスト教が到来する前のこ とである。創造の行いである性的行為は神聖な行為であった。たとえば、日本 の農耕儀礼であった「田遊び」では、翁面と媼面をつけた男女の交わりによっ て、豊作が祝われた。また、「巫娼」と呼ばれる、遊女でもあった巫女の存在。 鎮魂儀礼をとりおこなう「遊部」という制度。そして、芸能と遊びを兼ね備え た「白拍子」や「熊野比丘尼」らが築いた独特の社会的地位。ここに遊女の起 源があった。

 こうした遊女たちには、僕らが売春婦に抱きがちな悲惨なイメージは当ては まらない。それでは、僕たち日本人は「遊女」に何をみていたのだろうか。こ のことを物語る象徴的な遊女が2人いる。


1) 中ごろ、花の都にて、一条の院の御時、和泉式部と申して、やさしき遊女あり。

2) そもそも清和の頃、内裏に小町という色好みの遊女あり。


 前者は、御伽草紙『和泉式部』の始まりの一節、後者は、同じく『小町草紙』 の始まりである。和泉式部は、数々の男たちと情熱的な浮名を流していた人物 である。それどころか、彼女は父母の孝養のため、千人の男性と契りを結んだ という伝承も残されている。一方、小野小町は言わずと知れた美貌の持ち主、 そして和歌の天才である。観音の化身とも評された彼女も、やはり「男に逢う こと、まず千人」であった。彼女らを通して、僕らは「遊女」が「自ら遊ぶ女」 であったことに気がつく。そして、その多情性は決して軽蔑の対象ではなかっ た。

 こうした、おおらかな性の風土を原点にして、農村でも性の文化が形成され てきた。折口信夫は『巫女と遊女と』で、日本の農村には宗教的な遊女がいて、 村の青年に性の手ほどきをしていたと述べている。そして、近代にいたるまで この文化は継承されてきたと考えられている。

 カンボジア農村にみた売春婦たちの背景にも、これがあるのではないかと僕 は理解するようになった。もちろん、平安の世にみた遊女たちが、そのままあ てはまるではない。しかし、村の様々な家庭に自由に出入りし、気ままに生き ている彼女たちと話していると、どうしてもあの遊女たちがダブって見えるの だ。もちろん、村のなかにだって彼女たちへの軽蔑の感情はある。しかし一方 で、明らかに彼女たちは村人から信頼されていた。隣家には頼めないようなこ とでも、彼女たちには気軽に頼まれていた。そして、そのお礼として、彼女た ちは家庭のなかで夕食を共にしていたのである。

◆幻の国

 しかし、彼女たちと出会って、アルカイックな思い出にひたっているわけに はいかないだろう。カンボジアは急速な経済発展のさなかである。そして、現 代資本主義は、あらゆるものを商品化し、貨幣価値ですべてを算定しようする。 このことは売春において、極めて直裁かつ過酷に実現されてゆく。性の商品化 と売春の産業化である。

 とりわけ、現代カンボジアの売春産業の発達には目を見張るものがある。プ ノンペン郊外にあったうらびれた赤線地帯が、コンクリート建ての売春街へと 成長し、クラブやバーには客の数よりも多くの娼婦たちでごったがえしはじめ ている。

 1996年7月のことだ。ついにプノンペンにゴーゴーバー、つまり、番号 札を付けた女の子が舞台の上でショーを繰り広げ、指名を待つシステムのバー の1号店が開店した。開店して2週目というときに、僕はそこを訪れた。1階 がダンスホールになっているそのビルの階段を上ってゆく。まず2階は、おそ らく連れ込み部屋であろう、ドアがずらりと並んでいる。さらに、3階にのぼ ると、はたして情報通りゴーゴーバーが薄汚いドアの向こうにあった。開店間 もない同店には、客はまったくなかった。

 店長によると、この店は、踊り子のトレーニングのための仮営業で、いずれ は目立つ場所に進出するつもりらしい。なるほど、女の子たちの下着の脱ぎ方 にはぎこちなさがかなりある。また、踊りも露出した部分をひたすら隠しなが らのもので、可哀相なだけで、淫靡さはない。そこに店長の怒号が飛ぶ。クメー ル語なので聞き取れないが、「もっと笑え!」とか、「手で隠さず、腰をふれ!」などと言っているのだろう。無粋なことこのうえない。店長は、日本人がター ゲットだと強調していた。「日本人は、こういったものが好きなんだろう」と 言う。

 たしかに、カンボジアでの日本人による買春行為は異常である。安い金で何 でもできると、変態日本人が集まってくる。プノンペンで会ったある日本人男 性は、「13歳の処女を1週間買ったんだ」とご満悦だった。「いくら払った んです?」と聞くと「600ドルだよ」とこれまた嬉しそうだった。彼は、持 参したセーラー服を着せて大喜びだ。カンボジアは、いま、少女とドラッグを 追いまわす日本人たちにとって「幻の国」とまで呼ばれるほどの人気を博して いる。

◆成長しはじめた売春産業

 売春産業が発達する背景には、次の3つの要素が考えられる。

 まず、女性の地位や性に対する姿勢など《社会的背景》。東南アジアの上座 部仏教では、「出家」は男子の通過儀礼の一種で「出家で親孝行ができる」と 考えられている。そしてカンボジアの農村では、「出家できない女性は経済的 に親を楽にさせるのが親孝行」であり、この「親孝行」が女性の大きな負担に なっている。そして、これが女性を売春に追い込むひとつの要因にすらなって いるのだ。

 次いで《戦争》。ベトナム戦争に従軍した米兵たちが、タイやフィリピンの 売春産業を育成したことは良く知られているが、国連によるカンボジアの暫定 統治時代、PKOに参加していた兵士たちが、カンボジア性産業の発展を促し たこともまた事実である。戦争や政治不安定は、兵士をはじめとした男性たち を安易に買春に走らせる動機となる。一方で、子供を抱えた若い未亡人が増え、 彼女たちのなかには売春によって生き延びようとする者も少なくない。

 最後に《経済格差》。都市と農村の経済格差が大きければ大きいほど、農村 の少女たちを都市へと引き込むだけの"カネ"の力が発揮される。実は、内戦で 荒廃した状態では、売春産業は低迷したままである。むしろ、農村を置き去り にして、都市が開発され、快適な宿泊施設や交通手段、その他の娯楽施設など が整備されはじめることが売春産業の成長の土台となっている。タイがその良 い例であろう。

 現代カンボジアは、この3つの要素をよく満たしているのかもしれない。そ して、農村の遊女たちをして、都市にはびこる組織的売春の予備軍としている のだ。やがて、彼女たちはトラックの助手席に乗ったまま都市へと誘い込まれ、 危険な性交渉を強要されてゆくことになるのかもしれない。

◆売春のゆくえ

 こうした社会的な問題に加えて、保健医療の側面についても触れておく必要 があるだろう。言うまでもなく、売買春の合わせ鏡としての"エイズ"について である。

 東南アジアにおけるエイズの蔓延は深刻だ。タイでは、当初、薬物使用者を 中心に流行していたが、やがてその性交相手、売春婦にひろがり、さらにその 顧客、顧客の相手へとひろまっていった。また、母子感染も大きな問題となっ てきている。現在、タイ国内には20万人以上ものHIV感染者が存在してい るといわれ、その数はいまだ増加傾向にある。

 カンボジアについては、ほとんど情報がないが、プノンペンのダンスホール に何十人もの売春婦たちが集っているのをみると、すでにエイズという暗雲が 気付かれることもなく人々を覆っているであろうことを感じさせる。タイにせ よ、カンボジアにせよ、売春は合法ではないため、彼女たちを登録して、感染 回避の指導を行ったり、労働環境を改善するなどの措置を行政サイドでは十分 に取れずにいる。身動きの取れない政府に代わって、NGOが対応してゆくこ とが期待される。

 ところで、売春の非合法化は、カンボジア政府にとって、人権問題をないが しろにしていないという格好のアピールでもあった。しかし、僕はあやまった 政策だったと思う。決して無くなることのない売春産業は、非合法ゆえにマフィ アを育成し、麻薬等さまざまな犯罪の温床となる可能性をはらんでいる。僕の 知る限りのカンボジア裏社会では、政府に影響力をもつほどの強力なマフィア は育ってはいない。しかし、台湾マフィアが経営している店はいくつかあるよ うだし、カンボジア人による組織化も順調である。とくに児童売春については、 ベトナムのシンジケートが活発であり、急成長の様相を呈している。

 売春産業を許認可制にもち込むなら、本当に今しかないと僕は考えている。 彼らの資本蓄積は急速に進んでいる。厳しい審査をパスした経営者による店舗 のみを認可し、マフィアを金づるから排除するべきだ。このまま放置すれば、 やがて政治家とマフィアが黒い金で結ばれ暗黒政治がやってくることは、歴史 的にも明白なはずである。もちろん、売春産業を許認可制にすることはマフィ ア対策のみならず、様々な利点がある。第2に、売春を介したエイズ等、性感 染症の予防が徹底できる。第3には、高額の税収が期待できる。安易なプロパ ガンダによる政策を廃し、正直に売春合法の理由を説明すれば国際世論もきっ と納得するはずだ。

 ここに、カンボジア・エイズ社会調査計画による調査結果がある。これによ ると、カンボジアの若い女性のうち、およそ3分の1が性に対して開放的な行 動をとり、若い男性の9割近くが友人、売春婦との性交渉を持つという。さら に、調査対象となった男性の約1割が、男性同士の性交渉を経験していた。カ ンボジアでは急速にエイズが広がりつつあることは間違いないのだが、男性の およそ半数が「コンドームを使用していない」と回答していたという。ティン スララゥ村を訪れるドライバーたちもまた、コンドームを用いようとはしない。 彼らのなかにはHIV感染者も少なからずいる可能性を考えると、大きな不安 がよぎる。

 農村から都市へと買売春の場がシフトするにつれ、その問題の根は深くなり、 また裾野を広げつつある。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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