■ 医療の危機管理(3) 災害医療における機動性

2001年4月17日


◆地下鉄サリン事件

 1995年3月20日午前8時6分、日比谷線築地駅に到着した中目黒行き 電車3両目より、ドアが開くと同時に乗客たちがホームへどっと走り出た。乗 客たちは駅員に手を振りながら「助けて」と絶叫していた。日本中を混乱に陥 れた「地下鉄サリン事件」の幕開けである。ここから先は、災害医療の側面を 中心とし、時系列で事件の流れを追ってみたい。

 8時35分。自衛隊内において、自衛隊中央病院など関係部署に、出動待機 命令が出された。このときに、人員、資材、携行薬剤の準備も命令されている。 阪神淡路大震災の体験より、必ず自衛隊の応援派遣があると判断されたためで ある。

 8時40分。聖路加国際病院に最初の患者が到着。医師ら全職員160人に 集結命令が出された。玄関には「大事件発生のため、外来診療を中止します」 の看板が掲げられた。

 8時50分。防衛庁に、警視庁捜査一課から「毒ガスらしきものがまかれる 事件が発生した」と、化学専門要員の派遣要請が入った。なお、この要請の法 的根拠になったのは、前回紹介した「災害対策基本法」ではなかった。「国家 行政組織法第2条」の「官庁間協力」である。

 9時20分。警察庁より、医官派遣要請が自衛隊に出された(医官とは、自 衛隊の階級を持つ医師である)。これも、「官庁間協力」が法的根拠となって いる。この要請により、自衛隊中央病院および衛生学校より、医官21名、看 護官19名が、警察病院、聖路加国際病院など8病院に派遣された。

 9時30分。さらに、警視庁からの要請に基づき、全国自衛隊化学防護班に 緊急待機命令が出された。その後、陸幕の佐官級専門家がガスマスクを片手に 霞ヶ関駅へ向かった。

 11時15分。地下鉄駅構内にて除染作業が開始される。警視庁は、松本サ リン事件の教訓を活かし、毒ガス事件が発生したときの自衛隊化学防護隊との 協力要請を打ち合わせていたのである。

◆機能しはじめた危機管理

 すべての人々を救命できなかったという反省はもちろん残るが、この地下鉄 サリン事件での緊急医療は、阪神大震災の経験が良く活かされていたと高く評 価されている。

 まず、阪神大震災と比較しても、自衛隊の機動性がよく活用されていた。

 実は、災害対策基本法に基づく、都知事から自衛隊への正式出動要請は12 時50分、さらに千葉県知事の正式出動要請は17時5分であった。しかし、 上述のように官庁間協力に法的根拠を持つ、危機管理担当省庁間でのショート サーキットにより、8時50分、すなわち事件発生後44分という要請を実現 させていた。そして、防衛庁長官の決断を受け、陸幕長の電話口頭指示により、 自衛隊が出動したのは11時のことであり、これはサリンテロの被害を小さく 抑えられることに少なからぬ貢献となっていたはずだ。

 初期治療の最大の舞台となったのは、聖路加国際病院である。ここに自衛隊 より派遣された医官、看護官は計6名であった。診察を開始した医官のうち1 名は、すぐに原因がサリン中毒であることを直感したという。ちょうど、この 医官は、大量傷者治療と化学生物兵器の負傷者治療法の教育などが行われる 「幹部上級課程教育」を終了したばかりであった。教官との電話やFAXで確 認しあったうえで、上述の医官は、聖路加病院副院長にこれがサリン中毒症で あること、特効薬がアトロピン又はパムであること、さらに米軍やNATO軍 の「対化学兵器治療マニュアル」に基づいた早急な治療を実施するよう、意見 具申したということだ。

 また、ニュースを見た信州大付属病院の柳沢信夫院長が「松本の事件に似て いる」と感じ、聖路加国際病院の日野原重明院長に電話していた。そして、 「サリンならばこちらの経験が役立つ」と応急措置マニュアルをFAXで送付 されていた。こうして、日野原重明院長の判断により、アトロピン治療の方針 が打ち出されたのであった。結果、5000名を越える中毒症状患者のうち、 第1日目の死者が6名、事後の死亡者を含めても12名と、被害の拡大をかな り抑え込むことに成功したのである。

 もう一点、聖路加国際病院の危機管理能力の高さも、この事件ではフルに発 揮されていた。たとえば、500床の聖路加国際病院が、事件発生後3時間に 640人もの被災者を受け入れている。どうしてそのようなことが可能になっ たのであろうか。

 実は、聖路加国際病院は、第2の関東大震災が起こる可能性を想定し、備え をしていたのである。現在の聖路加国際病院の病棟建設は1992年のことで あるが、その数年前から新病棟建設の計画にあたってスイスとスウェーデンの 病院を視察したということだ。中立国というのは、自分の側から積極的に戦争 を仕掛けることはないだろうが、「いつ何時にミサイルが飛んでくるとも知れ ない」という危機感を忘れてはいない。このため、これらの国では、有事に対 する防御態勢が整えられている。地下に手術室があり、また廊下の壁には配管 が施されてあり、すぐに病室になるようになっているのである。

 それを参考として、聖路加国際病院の新病棟では、ラウンジであれチャペル であれ待合室であれ、可能な場所各所に酸素吸入とサクションのバイビングが 施されている。これが500床の病院でありながら、640人もの患者を受け 入れることができた理由であった。そして、対応も迅速であった。「地下鉄で 異常事態」の報道が入った直後、日野原重明院長は、そのときに行われていた 会議を中止し、院内放送で当時手術中の医師、看護婦以外全員を非常召集し、 非常緊急治療体制を敷いたのである。

 「医師は集まれ、緊急に集まれ」という意味の暗号「スタットコール、スタッ トコール」を放送が流れた。そして、病院の目の前の寄宿舎に泊まっている研 修医40人はもちろん、その放送で約100人の医師、300人のナース、助 手らがすぐに集まったという。さらに、その後もニュースをみた医師がどんど ん駆けつけた。結局、外来を含め事件発生後1週間に治療した患者は1300 人にのぼったが、病院は混乱に陥ることはなかった。

 このように、院長の一声で医療スタッフが集まる体制が、聖路加国際病院に はできていた。「地下鉄サリン事件」における聖路加国際病院の対応例は、今 後の医療の危機管理を考えるうえで、大いに参考となるだろう。

◆機動性の次に求められるもの

 災害現場は、大抵の場合、劣悪な環境が広がっている。例えば、地震後であ れば、道路は寸断され、電気の送電はストップしているという状況が考えられ る。また、多くの人が、瓦礫の下に埋められていることも想定されなければな らない。この劣悪な環境下において、より早く傷病者を救出し、そして、治療 を行うことは災害医療の基本となっている。

 より早く、傷病者を救出するという観点からいくと、阪神大震災から2年後 の1997年、日本で初めて大震災を想定したハイパーレスキュー隊(126 人)が東京消防庁に誕生した。ショベルカーや20トンクレーン車などの重機 をそろえた、国内唯一の救助隊である。部隊長によると「国内であれば、72 時間以内に駆けつけられる」とのことである。さらに各都道府県に、このハイ パーレスキュー隊のような大規模災害専門の救助部隊が整備されつつある。

 また、傷病者への治療は、できる限り早い段階で行った方が、より多くの人 を救うことになる。そのため、医療従事者がより危険な地帯に赴き、劣悪な環 境の中で医療活動を行うことになるのである。傷病者が病院にたどり着く前に、 傷病者に対して行われる医療、プレ・ホスピタルケアのレベル向上のためには、 強力なパラメディック陣(救急救命士など)、医療器具の整備、また現場の人 間がよりよい医療を行えるような法律・システムの整備などが必要となってく る。

 危機管理先進国である米国では、1987年より、都市災害で捜索救助チー ムと医療チームが連携して活動するUSAR(Urban Search and Rescue) 構想が開始され、1990年以降、FEMAを中心にUSARが検討されてい る。そして、1991年には、総数28チームが全米の主要都市を中心に組織 されている(1チームは62名)。

 しかし、日本には、米国のように、捜索救助チームと医療チームが連携して 災害救助活動にあたるような組織は存在しない。より早く傷病者を救出し、か つ治療を行うためには、この様な捜索救助チームと医療チームが連携して活動 することは、有意義なことであろう。米国では、プレ・ホスピタルケアの手が、 災害地の瓦礫の下にまで及ぼうとしているのである。このことは、瓦礫の下の 医療(Confined Space Medicine:CSM)と呼ばれている。

 この「瓦礫の下」での治療活動は困難を極める。まず、瓦礫の下に潜り込む わけであるから、病院内で治療を行うような体位では、治療は行えない。さら に、手元が暗いことも予想される。加えて、傷病者の体の一部しか目にするこ とがない状況では、所見をとることも難しいことが予想される。また、礫の下 から救い出した途端に、心不全を来たすクラッシュ症候群や、浮遊ダストによ る気道障害など、災害現場に特徴的な疾患も存在する。

 阪神大震災では、瓦礫の下に閉じこめられ、亡くなった方は、440名にも のぼるとされている。プレ・ホスピタルケアのレベル向上ということから考え ると、この瓦礫の下の医療をはじめ、捜索救助チームと医療チームが連携して 災害救助活動を行うことは、大きな意義があるといえるだろう。

 日本においても、徐々にプレ・ホスピタルケアのための研究や活動が推進さ れはじめている。2000年2月に催された日本集団災害医療学会では、国立 病院東京災害医療センターと東京消防庁の主催で、「瓦礫の下の医療」に関す るデモンストレーションと訓練が行われた。

 機動性をある程度、示すことができるようになった日本の災害医療に次に求 められるようになっているのは、効率性と言えるのではないだろうか。すなわ ち、プレ・ホスピタルケアのレベル向上が医療の危機管理の次なる課題という ことになるのだろう。

【松本佳久・防衛大学医科大学校学生】


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