■ ちかの逆噴射紀行(3) 「カンボジアを体験する」の巻

2000年12月18日


◆FCCに連れてって!            ――8月30日――

 今日は、『国際協力ワークショップ』が開かれる日です。

 この『国際協力ワークショップ』とは、高山先輩が編集している国際保健通 信が年に数回開催しているもので、今回は、ここプノンペンに通信の読者たち が集まって意見交換をすることになっているそうです。話によれば、海外で活 発に動いている学生や社会人の方々が顔を出すらしく、はっきり言って私は、 楽しみというより、数日前からかなり緊張していました。

 緊張していたから、というのは言い訳ですが、私は寝坊して高山先輩との待 ち合わせ時間に完璧に遅刻してしまいました。

「午後1時開催だから、お前は12時に会場のFCCに来て掃除を手伝うよう に」

 こう先輩に言われてたのに、宿を飛び出したときには、すでに12時をまわっ ていました。

 バイクタクシーを引っ捕まえて「できるだけ早くFCCに行って!!」と叫 びました。バイクの兄ちゃんは笑顔でうなずき、軽快に走り出しました... が、 どうやら方向が違います。

「FCCはあっちでしょ!」
「うん、その前に僕の家を見に来てよ」

 こう言いながら、バイクの兄ちゃんは、カンボジア人独特の人懐っこい笑顔 です。

「だめぇ FCCに急いでるのぉ!」

 真剣に私は言ったんですが、兄ちゃんはケラケラ笑って、はしゃぎまくって いました。どうやら日本人の女の子を乗せたことで有頂天になってしまってい て、私の急いでいる様子が伝わらないみたいです。

 私は「だめだめ! 戻ってちょうだい!」と繰り返していましたが、結局、 バイクはお寺の境内へと到着し、中へと入っていきました。

「ここに僕の家があるんだよ。僕は8年間お坊さんをやっていたからね」

 そんなことに今の私は何の関心もなかったんですが、兄ちゃんは自己紹介を はじめてしまって、人のいい私は(ほんとにアホみたい)ウンウンと頷いてい ました。

 そうするうちにお寺からお坊さんや子供たちがワラワラと出てきて、私の周 りを取り囲みました。みんな笑顔で、日本人の私が珍しくって仕方がないって 感じです。英語が話せる人が何人かいて、片言で質問をしてきました。

「ナマエハナンデスカ?」
「ちかです」
「シカ?」
「ちがいます。ちかです」
「オー、チカ!」
「シュミハナンデスカ?」
「絵を描くことです」

 ちょっと待って! こんなとこで国際親善している場合じゃないのに! 私 は「お願い! FCCに戻って!」とバイクの兄ちゃんの背中を叩きつづけま した。でも、子供たちは握手を求めてくるし、握手してあげるとほんとに嬉し そうにしています。私は泣きそうになっていました。

「あのね、今日は忙しいの。ほんとにごめんなさい。明日、また来るからね。 だから、今日はFCCに連れてって!」

 こう私が言ったら、とうとう兄ちゃんは納得してくれて、バイクのエンジン を始動してくれました。そんなわけで、FCCに着いたのは、ワークショップ 開催時刻の直前、12時45分のことだったのです。

◆自己紹介は苦手

 「高山先輩から殺される〜」。こう思いながら、会場に入って行きました。 掃除はあらかた終わっていました。

 さいわい高山先輩は、私の青ざめた顔から何かを察してくれたのか、「アホ かお前は... 」と一言いって、「果物を適当に20人前買って来い」と言って くれました。「果物って、どこに売ってんですか?」と聞いたら、「知るかい。 探すのもコミで15分だ」と先輩らしい答え。なるほどと納得して行こうとし たら、先輩が呼び止めてこう言いました。

「そうそう、ちか。ワークショップでは、自己紹介をじっくりやるからね。買 い物しながら、5分程度の自己紹介を考えておくように。<私はどこそこに住ん でいて、なになにの学生です> みたいなのは駄目だぞ。自分の外側の枠組みで なく、自分の内側を5分間で表現するんだ。わかったな」

 「うわ〜 これは極めつけだ」と思いました。ただでさえ緊張しているのに...

 だいたい私は《自己紹介》というのが苦手で、そういうのはさらりと流した いんですね。まして「自分の考えを述べよ」みたいのは怖いんです。ていうか、 海に石を放り込むみたいで、何の意味もないような気がするんです。「自分の 考えを述べよ」とか言われても、相手は述べさせることが目的だし、聞く耳は ないじゃないですか。自分の考えを言っても、別に政治は変わらないし、学校 は変わらないし、「ほんと無駄だなぁ」と思ってしまいます。せいぜい、「甘 い」とか「間違ってる」とか訂正されて終わりですから... それくらいなら適 当に済ませるのが一番だと考えてしまうのは自然なことでしょう。

 まわりの親しい人たちには、理解してもらいたいから、自分の話をするけど、 知らない人たちにまで自分の話はしたくない。実は、これが本音だったんです。 ともかく、私は「困ったなぁ」と思いながら買い物に専念していました。

◆いろんな意見がある

 ワークショップは予定通り《自己紹介》で始まりました。参加者は21人で したが、ほんとに様々な若者がいることを知って、びっくりしました。

 チェロを弾いて国際親善をしている人、外務省で仕事してたけど、もういち ど大学院に入りなおした人、高校時代にタイに留学していたという女性、フィ リピンで生まれて、インドネシアとか世界各地を転々としていて、平和のため に仕事をしたいと考えている女性、カンボジアの精神障害者のために仕事をは じめようと考えている人、などなど。

 私よりも年下の人もいたけど、みんな主体的に活動していて、つまり、やり たいことをやっていて、きちんと自分の考えを述べていました。そして、ひと りひとりの《自己紹介》のなかに、問題提起のようなものがあって、それがきっ かけで議論が自然にはじまるんですね。これは、正直、驚きでした。

 いままで議論とかがあっても、みんな同じことを言っているようで、くりか えしになりますが「無駄だなぁ」と思っていました。たとえば、ある意見が出 ても、たくさんの人が「私もそう思う」と思ってんです。だから、私の意見だっ て、みんな「私もそう思う」と思うだろうから、言っても無駄。

 結局、でしゃばりな人が、みんなが思っていることを言って、それで揚げ足 をとる人がいて、その揚げ足をとり返して... それが議論。でも、言ってるこ とは、みんな同じ。

 ところが、ワークショップでみんながしゃべっているのを聞いたら、それぞ れに個性的で、ほんとに新鮮な意見が出てくるんです。しかも、それには体験 が基礎にあったり、心がこもってたりして、「みんなの意見は人生観のうえに 成り立っているんだなぁ」という印象がありました。

 みんなそれぞれに違う意見があるから、発言している、議論している。よく 考えたら、当たり前のことですが、意見を言うことの大切さを感じました。私 が、議論を無駄だと考えていたのは、自分らしい意見がなかったからかもしれ ません。みんなと同じような考えしかなければ、私には議論をすることができ ないのでしょう。

 これはいけないと思って、自分のこれまでを振り返りながら、手帳に書き込 みはじめました。幸い、私の番はほとんど最後です。議論に耳を傾けながら、 「私はなぜここにいるのか?」を自分の問題として、考え直すことにしたので す。

◆私なりの自己紹介

 はじめまして。山口大学医学部3年生の小笠原ちかです。

 カンボジアはもちろん、途上国と呼ばれる国に来るのは初めてのことです。 それに、みなさんのように、NGOのこととか、ODAのこととか、ほとんど 何も知らないので、議論に参加したくてもできなくって、ちょっと残念でした。

 でも、ワークショップに参加して良かったと思っています。それは、これま で私の中でぐるぐる回っていて、うまく抜け出せなかったことが、どうやら抜 け出せそうだからです。

 今回、私がカンボジアに来たのは、とにかく自分の中にあった葛藤を解決し たかったからでもありました。その葛藤というのは、「国際協力って、どうやっ たらはじめられるんだろう」ということです。

 子供のころ、『国境なき医師団』に参加してみたいなと思っていました。で、 それを6つ年上のお姉ちゃんに言ったら、「それって、自分が満足するためじゃ ないの。中途半端なことなら、やらない方がマシよ」とバシッと言われて、とっ てもびっくりしたんです。そのとき、私は小学生で、言われたことを客観的に 考えられませんでした。なんだか、私自身が偽善者だと非難されたみたいで、 すごく恥ずかしかったんです。

 それからも、国際協力にずっと興味があったんですが、「人生をかけてやる ものだから」と思って、まっすぐに国際協力のことを考えることができなくなっ てしまいました。興味はあるけど、私にはその資格はない。こう理解している ことは、とても辛かったです。

 でも、今回、みなさんのお話を聞いていて、自分があれこれ考えていただけ で、何も知らないままだし、行動もしていなかったことに気がつきました。

 「何かやりたい」という気持ちがあるなら、よくその周囲の状況を学んだり、 行動して体験してみたりすることが、とても大切なんだと思いました。みなさ んにも、確たる自信はないんだと思います。だからこそ、こうして意見を言っ たり、議論しているんでしょう。それでもなお、「何かやりたい」という情熱 があれば怖くないはずです。そして、情熱があれば、迷いながらやることにも 意味があるような気がしました。

 もっとカンボジアのこと、そして日本のことをよく勉強して、また来年、こ こに来ようと思っています。そして、その時には、自分の意見をきちんと言え るだけの生き方を身に付けておかなければならないと思います。

 変な話ですが、みなさんの意見を聞いて楽になれました。ありがとうござい ました。

◆体験を自分のものにすること

 この自己紹介で、思っていたことを言えたし、私としては「あ〜 ワークショッ プ、もう十分」という感じでした。ただ、最後に、岩間さんの自己紹介があっ て、その話には、ちょっと考えさせられたので、書いておこうと思います。

 はじめ、岩間さんは、クーデターに巻き込まれたときの体験を話してくださ いました。岩間さんの家から、数百メートル離れたところに政府要人の家があっ て、何度も砲撃がくりかえされていて、激しい地響きと爆音で恐ろしかったそ うです。

 それから、どういう流れだったか、「物乞いの子供にお金をあげるべきかど うか」という話題になりました。

 私は、「かわいそうだと思って、子供にお金を与えるのは失礼なんじゃない かな」と考えていたのですが、いろんな意見があるようでした。たとえば、 「自立心を奪うから与えるべきではない」という人もいました。一方、「行政 システムに福祉が存在しない段階では、市民レベルでの福祉意識が命綱となる」 と言う人もいました。

 そういう意見を聞きながら、岩間さんは、自分の体験をもとにこのように言っ ていました。

「私はですね。あげるときもあれば、あげないときもある。つまり、あんまり 考えていないです。たとえば、小銭をお釣りで受け取ったとき、たまたま物乞 いの子供が来て、しかも、たまたま私がそれを財布にしまうのが面倒だったら、 それをあげてしまいます。別に、いいことだとも思わないし、悪いことをした とも思わない。そういう援助に、あまり理論とか、計画性とかいった発想は私 にはありません」

 なるほど、「普通の生活の延長線上に価値観があるんだなぁ」としみじみ思 いました。協力とは、気負ってしまうほど特別なものではないのかもしれませ ん。

 つづけて、岩間さんは、このような話をしました。

「私が知っている男の子で、新聞売りをしている子がいます。顔なじみになる と、やはり彼から買ってしまうものです。ところで、彼のことで、ときどき感 心させられるのが、その行動半径の広さです。車で、この町の北はずれに行っ たとき、新聞を売り歩いている彼を見かけることがあります。遠い南のほうに 出かけたときでも、新聞を持って歩く彼を見ることがあります。いや、すごい なぁと感心させられますね。でも、これは物乞いでも同じなんですよ。物乞い の子供でも、ほんとうに驚くほど遠い距離を歩きながら、いわば働いているん です。新聞売りの彼とひけをとらないほどですよ。私は物乞いだって、立派な 労働だと思っています。自立心を奪うという考え方は、物乞いが怠け者で働い ていない、という発想から来るのかもしれませんが、稼ぎのいい物乞いは、そ れだけ一生懸命歩き回っています。彼らはそのうち、車の窓磨きを覚えるかも しれません。あるいは、新聞を売ることを覚えるかもしれない。それは、物乞 いの延長線上であって、物乞いとは大差ないと思いますね。新聞売りが卑しい という意味ではなく、物乞いは立派な労働だという意味でです」

 岩間さんのこの話にはすごい納得させられました。話の内容にも感動しまし たけど、同時に、体験を蓄積させて自分の考えにすることの素晴らしさを学ん だような気がしました。そして、「体験してみたい」と、はじめて本気で思い ました。「逃げちゃ駄目だぞ」と自分に言い聞かながら...

◆ソフィアとの出会い             ――8月31日――

 翌日、午後1時。元お坊さんというバイクの兄ちゃんに連れられて、約束ど おり、私は彼の家へと向かいました。

「僕の名はソフィア! 君はチカ、だったよね」
「えぇ。ソフィアは何歳なの?」
「28歳だよ。チカは?」 「私は23歳」

 バイクは上手に路面のでこぼこを避けながら、昨日来た道をたどり、お寺へ とふたたび入ってゆきました。

 プノンペンの喧騒を少し忘れたように、境内には木立があって、その右手に 10世帯ぐらいの長屋があります。それが、ソフィアの家でした。

 家の中はとても暗くって、土間でしばらく目が慣れるのを待たなければなら ないほどでした。だって、外は熱帯の日差しだったんですから...

 目が慣れてくると、私が立っている向こう側に八畳一間の部屋が見えてきま した。そこに、机がひとつ。せまいベッド。鮮やかなピンクのタオルケット。 ちょっとひんやりとした空気。

 ソフィアは、そのベッドに腰掛けて、「僕の家へようこそ! はじめての外 国人のお客様だ」と嬉しそうに笑いました。そして、椅子を指差して勧めてく れました。

「へー 以外に片付いてんのねぇ。男の子ってのはもっと散らかすもんじゃな いの?」 「そうかな? まあ、従兄弟が几帳面だからねぇ」
「一人暮らしじゃないの?」
「違うよ。ここで従兄弟と5歳になる弟と3人暮らしさ」

 これはちょっと意外でした。だって狭いベッドがひとつしかないし... どう やって寝ているのか気になりましたが、それを聞くのは悪いようで、やめてお きました。

「お父さんとお母さんは?」
「田舎にいるんだ。従兄弟は勉強しに、僕は仕事を探しに来たんだよ」
「ふーん」
「でも、こないだね、ようやく仕事をみつけたんだ。旅行会社の仕事さ。父さ んも母さんも喜んでくれてるよ」
「それは、おめでとう。よかったわねぇ」
「うん、英語の勉強をこつこつ続けてきて、ほんとに良かった」

 ただの軟派青年かと思ってたんですが、これもまた意外。街でバイクを走ら せている彼とは違って、部屋にいるソフィアには、なんとなく、生活感のある たくましさを感じました。

 部屋を見回すと、勉強机の真上にカンボジアの国王と王妃の写真が飾られて いました。別の壁には、上座部仏教に独特のカラフルな仏画、そしてお坊さん 姿の彼の写真がありました。

「ほんとにお坊さんだったんだ」
「そうだよ。つい最近まで8年間ね。その写真はね、シェムリアップで修行し てたときのものなんだ。アンコールワットのある街。知ってるよね」

 私はうなづいて、「えらいんだなぁ」と感心してしまいました。8年間もお 坊さんなんて、すごすぎる。

 それから、私たちはいろんな話をしました。もっとも、私の英語はたどたど しくって、話がスムーズだったとはとても言えませんでしたが... でも、他の カンボジア人たちと同じく、ソフィアもまたコミュニケーションについて、とっ ても余裕があると言うか、とにかく粘り強かったんで助かりました。

 そうそう、話をしていると蚊がいっぱい寄ってきて、私たちは足を叩きなが ら話をしてたんですが、「彼は毎日こんなふうに足を叩きながら生活してんの かなぁ」と思うと、これにもまた、粘り強さみたいなのを感じました。

「僕は日本人と結婚したいんだ」

 突然、ソフィアが言い出しました。まあ、私もそこまで純情娘ではないので、 とっくに気がついてはいましたが、それにしても、いきなり「結婚」とは... ちょっと、呆れてしまいました。

「どうして?」
「だってね、日本人と付き合っていると言うと、自慢になるんだよ」
「そんなもんなの?」
「そうだよ。プノンペンではね、日本人の友達がいるってのは一種のステータ スなんだ。そして、日本人の彼女がいるってことになったら、もう、みんなか ら羨ましがられるのは間違いなしだよ」

 これまたなんとも単刀直入で、私は吹き出しそうになりました。

「それって、日本人の女の子なら誰でもいいのぉ」
「いやぁ〜」

 ソフィアは、ようやく照れ笑いを浮かべました。

「でも、日本人の女の子は、みんな可愛いし、知的だしねぇ。それに、日本に だって行けるじゃない。きっとね」

 彼の本音を聞いて、変な話、私はちょっとホッとしました。考えてみると、 カンボジアに来て以来、カンボジア人についての私のイメージは、ずっとピン ぼけしてたんです。でも、ようやくピントが合ったような気がしたんです。

 もともと来る前は、「貧しい」とか「困ってる」みたいな、テレビのイメー ジがありました。でも、来てみると、どうやらそうでもない。貧しいのは間違 いないし、困っているかもしれない。でも、それがメインじゃない。そこにピ ントを合わせていると、いつもカンボジア人が浮かべている笑顔がぼやけてし まいます。

 今回、はじめて普通のカンボジア人の家に遊びに来たんですが、心のどこか で、私は衝撃的な貧しさを期待していました。だって、そうであれば、「カン ボジアの貧しさ」が私のなかで復権を果たしますし、街角で見かける「笑顔」 は取るに足らないものになるでしょう。

 でも、ソフィアの家は確かに貧しくはあったけど、きちんと片付いていて、 安定した生活力、それに何より「夢」がありました。うまく表現できているか どうか心配なんですが、私のピントは、その「夢」に合ったんです。そしたら、 なんだかホッとしました。「あ、そうだよね。みんな、がんばって勉強して、 いい仕事を探して、計算高い恋を夢見てんだよね」と... 「私だって、きっと そう」と...

 ソフィアとは、それから何度か会って、マーケットに行ったり、食事をした りしました。そうするうちに、だんだんカンボジア人が身近になってゆきまし た。そして、国境というのは、ゆっくりと時間をかけて越えてゆくものなんだ と、ふと気がつきました。

【小笠原ちか・山口大学医学部学生】


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