■ ちかの逆噴射紀行(2) 「揺さ振られるわたし」の巻

2000年10月26日


◆知識が足りない                ――8月28日――

 タイからカンボジアへ、オンボロのプロペラ機でしたが、飛行機は1時間足 らずで着陸してしまいました。飛行機からはカンボジアの国土がみえましたが、 ところどころが洪水のように水没していました。そして、太陽の光が反射して、 きらきらと光っています。

 飛行機から見下ろしていると、それは何だか、映画のワンシーンのようで、 遠い世界の出来事のように思われました。でも、だんだん機体が降下してゆく につれ、その別世界に引き込まれてゆくような、そんな不思議な感じがしたの です。

 着陸した空港は平屋建ての小さなターミナルでした。私たちは、空港の敷地 を歩いて横断し、大通りへと向かいました。すると、そこにはバイクタクシー の運転手が数人いて、市内へと連れてってもらうことになりました。

 はっきり言って、プノンペンは、日本で私がイメージしていたとおりの町で した。木造の傾きかけたようなボロボロの家、でこぼこの道、車線なんておか まいなしで行き来する車、バイク、人力車。ただ、緑が少ないのは予想外でし た。すごい砂埃。ようやく、キャピタル・ゲストハウスに着いたときには、顔 じゅうが砂っぽくなっていました。でも、それが気持ち悪いってよりは、どち らかというと「あぁ、とうとうこんな国に来たんだなぁ」という印象でした。

 まずは、ゲストハウスにチェックイン。1泊4ドルでした。ちょうどお昼の 御飯どきだったので、メコン河沿いのレストランに行くことになりました。

 レストランからは、川というより大きな長〜い湖のようなメコンが見渡せて、 とても雄大でした。それでも支流にすぎないと聞いて驚きました。

 ところで、このレストランで私としてはちょっとショックな事件がありま した。

 高山先輩が、カンボジアへの国際協力の現状について解説してくれていたの ですが、ふと、「ちか。もしかしてお前、ODAって意味、分かってないの?」 と聞かれたのです。たぶん、私が分かってない顔をしていたんですね。ちょっ と、ただならぬ雰囲気がその場に流れたんですが、私が正直に「知りません」 と答えたら、高山先輩が河に転がり落ちるぐらい、ぐったりしてしまいました。 そして、土方先輩とえりかさんも、「あれ〜」みたいな感じで、その場を見守っ ていました。

 とにかく、その頃の私にとって高山先輩は「こわーい」の一言に尽きます。 叱られて、それでも私が頑張って這い上がってくるとモグラたたき≠ンたい に次のハンマーが降りてきます。いっつもダラダラしているように見えるけど、 臨機応変にピシッと変わる。私はその変化についていけなくって怒られる。も ちろん待ってくれたりはせずに、構わず先にスタスタ行ってしまいます。

 もっとも、あとになって分かるんですが、先輩は完全に行ってしまうことは なくって、ある程度の距離まで行ってしまってから待ってくれてるんですね。 「どうやら、奥の方は優しい人なんだろうなぁ」というのが、旅の中盤からの 印象でした。そうそう、あんまり関係ないけど、ほんと女の子のことが良く分 かってる人でもありました。言ってみれば、私の足のムダ毛を抜いてくれそう な感じ。だって、日本で「ノンノ」を定期購読していたぐらいですから...

 それはさておき、とにかく、その時の私は怖くって、「しまったー」と固まっ てしまいました。高山先輩は「お前なぁ。大学生なんだからね。たまには新聞 ぐらい読めよな」と言って、しばらく説教まじりでODAについて説明してく れました。しかも、それは結構長い解説で、私はパエリアを注文していたんで すが、食べるわけにもいかず、スプーンでこねくり回していたら、どんどんネ トネトしていきました。

 私への説教に燃焼し終わった高山先輩がトイレに立ったすきに、冷めたパエ リアを急いでパクパク食べました。そして、土方先輩に「センパイ、ODAっ て知ってました?」って聞いたら、私を気遣うような口調で「まあねぇ」と言っ たのです。それで、私は「まずいなぁ」と思いました。これからワークショッ プとかありますし、こんなに知識がなくって大丈夫なのか不安になりました。 それは、胃が痛くなるぐらいの不安で、「ほんと、どうしよ〜」とズシーと重 くのしかかるぐらいでした。

 日本にいるときは、ODAなんて知らなくても、何の問題もないし、実際、 困ったことなんて一度もありませんでした。でも、カンボジアでは、ODAを 知らないせいでパエリアがネトネトしてしまうのです。「帰国したら、もっと 新聞とか読まなきゃいけないなぁ」って心底思いました。一度、カンボジアに 来ているし、きっとイメージしながら記事が読めるはずです。これは、無知な 私に釘をさす、重大な事件となりました。

◆プノンペン豪遊                ――8月29日――

 高山先輩にとってカンボジアは11回目の訪問ということで、知り合いがた くさんいるようでした。とくに、カンボジアで様々な国際協力活動を続けてこ られている岩間邦夫さんは、7年来の友人だそうです。

 私たちがカンボジアに到着した翌日からは、岩間さんとその友人のサンカー さん、カンナラさん、コサルさんという3人のカンボジア人の方々と、それこ そ毎日遊んでいました。ビリヤードをしたり、ボーリングをしたり、手巻き寿 司パーティーをしたり、ディスコに行ったり...

 サンカーさん、カンナラさん、コサルさんの3人組は、もと難民として日本 に滞在していただけに、もう日本人とまったく違いがないほど日本語が流暢で、 最初に「いえーぃ!! はっじめましてー!」と言いながら登場したときは、 あまりの周囲のカンボジアの風景とミスマッチで、混乱してしまうほどでした。 だって、私のなかでカンボジア人のイメージといったら、「静かで、遠慮がち で、5秒ぐらいたってから笑う」みたいな感じでしたから...

 それに3人が住んでいる部屋は、王宮のすぐそばのメコン河が見渡せる一等 地にあり、私の部屋よりも断然カッコよくって、びっくりしました。聞けば、 3人はカンボジア最大の建設会社のオーナーの家族で、とっても豊かなんだそ うです。

 この3人組に真っ先に適応したのが、えりかさんでした。えりかさんは、と にかくいろんな状況への適応が早い人です。異文化での振る舞いを本当によく 知っています。それに加えて、持ち前のパワーが炸裂して、どんどんその場が 盛り上がっていくんです(寝ているときはタレパンダみたいで、かわいいの に...)。なにしろ、私とは経験値が全然違います。えりかさんは、小学4年生 のときから海外を一人旅していたほどで、タイだって最初に来たのは小学5年 生のときだったそうです。だから、どこにいても、すぐに誰とでも昔からの友 達みたいに話ができる能力があるんでしょう。

 あと、土方先輩のほうは、また違った意味で周囲を巻き込む力が備わってい ました。えりかさんのそれが能力≠ネら、土方先輩のは本能≠ナすね。と にかく、周囲に合わせるというより、自分のペースのなかで、いつも優雅に振 る舞っています。たとえば、私たちがトラブルに巻き込まれて切羽つまってい ても、土方先輩の後ろだけ気高い音楽が流れています。女の私でも吸いこまれ そうな目をしていて、多くの男性を狂わす力があります。けっこうドジなとこ ろもあるんですが、先輩はあまり気にしていません。自然に周囲が助けてしま うキャラクターであることを、本能的に知ってらっしゃるんです。

 そういう2人の先輩に引っ張られるように、私も、3人組と岩間さんにすぐ に慣れることができて、楽しく遊べるようになりました。ボーリングに行った ときも、すっごくはじけて面白かったです。

 ボーリングは、男性陣、女性陣、それぞれ接戦でした。しかも、それぞれの キャラクターがよく出ていました。高山先輩は、細かい計算をしながら、常に 冷静に投球しています。3人組は、とにかくダイナミック。ボールを「うぉ りゃぁ」とピンに投げつけていました。岩間さんは、小学生のときにクラスに 必ずひとりいるって感じの人で、隣近所のダイスケ君みたいです。給食の食パ ン余ったら「俺もって帰るよー」って言ってた子。だから、スコアが悪くなる と、アイスとか食べながら調子を取り戻そうとしていました。えりかさんは キャーキャー笑いながら、土方先輩は華麗に...

 そして、私は下痢でトイレに何度も駆け込みながら投げていました。みんな にゲーリーって恥ずかしいあだ名を与えられましたけど、私は満足でした。

 最初、カンボジアに行くって決めたときは、本当は貧乏旅行を想定していた し、それに貧乏じゃなきゃダメだって思っていました。でも、「こんなふうに 現地で生活している人たちと遊ぶってのもあるんだなぁ」と気がつかされまし た。貧しい国、苦しんでいる国というのは、ひとつの側面でしかないのに、私 はそうあるべきだって先入観があったんですね。

 フロリダのディズニーワールドでは、はじけていいけど、カンボジアでは神 妙にしてなきゃいけない理由はありません。そのことに、岩間さんやサンカー さん、カンナラさん、コサルさんと出会えたことで気がつかされたんです。本 当に感謝しています。

【小笠原ちか・山口大学医学部学生】


記事の目次へ    |   トップページへ
国際保健通信の記事・写真の無断転載を禁じます。