■ ちかの逆噴射紀行(1) 「アジア初上陸」の巻

2000年10月13日


◆はじめに

 何がきっかけだったかは分かりません。ただ、漠然と「アジアを旅してみた いな」と中学生の頃から考えていました。

 当時、私は三重県の勢和村という田舎の中学生で、遊びに行くところもなかっ たし、とにかく学校と自宅を行き来する毎日でした。そうそう、学校から桜並 木の急な坂を下ったところに駄菓子屋さんがあって、よく寄り道をしていまし た。そこでは、駄菓子屋のおっちゃんがプラスチックの椅子にいつも腰掛けて いて、ちょっとエッチな話を聞かせてくれたりして、たまにお菓子をおごって くれたりして... そんな日常がくるくる回っていたんです。

 それで、「国境なき医師団が国際救援のため出動」というニュースを見て、 ただなんとなく感動したり...

 それから医学部に進学し、そして大学3年になっても、結局、アジアを旅す る機会はめぐってきていませんでした。

 そんなとき、活発にアジアを旅しているという大学の先輩が「カンボジアに 行く」という話をしてくれたんです。これは、大学3年生の私にとって、よう やくめぐってきたチャンスでもありました。

 先輩に頼み込んで、アジアを一緒に連れて行ってもらうことになりました。 旅なれた人が聞けば笑うかもしれませんが、これは私にとって貴重な第一歩だっ たんです。

◆初めてのアジアへ               ――8月26日――

 「高山先輩に連れて行ってもらう」というのに安心していたのは、実は、大 きな間違いでした。その意味は、これから徐々に理解してもらえると思います が、とにかく「高山先輩について行く」が正しい表現です。

 高山先輩の行動半径の広いこと。歩くスピードの速いこと。そして、「いつ でも捨てていくからな」と高山先輩は平然として言います。

 最初の飛行機からそうでした。

 一緒に福岡空港を飛び立ち、台北経由でバンコクに行く予定だったのに、何 と高山先輩は直前になって1日予定を早めて、1人でバンコクに行ってしまっ たのです。そういうわけで、いきなり最初から私は高山先輩を追いかけてバン コクに行く羽目になりました。はじめての国際線一人旅で、なんとか台北乗り 換えを果たし、あまり関係ないけど、となりのお坊さんに説教されながらバン コクのドンムアン空港にたどり着きました。

 空港では税関の出口が分からず右往左往。「緑色の看板を出るんだぞ」とい う高山先輩の言葉を信じて、入ってみたらそれはトイレだったりと、かれこれ 約1時間。ようやく外に出たら、待ちくたびれていたらしい高山先輩から「お せーんだよ、このタコ」という言葉とともに頭をはたかれました。

 この旅行には、あと2人の先輩が合流することになっていたので、それぞれ の飛行機の到着を空港で待ちました。

 聖路加看護大学の伊東えりかさんは、なんと到着時刻から15分で入国審査 と税関を駆け抜けて出てきました。たしかに、これに1時間かけた私は遅かっ たんでしょう。でも、えりかさんは世界中を飛び回って国際協力活動に参加さ れている先輩で、中田賞という賞まで受けたことのある方です。比べるほうが 無理があります。

 次いで、高山先輩の同級生で土方希(ひじかたのぞみ)先輩が到着しました。 土方先輩もさっさと出てきました。まあ、あまり重要なことではないんですが、 なんだか実力の差を見たような気がしました。

 この4人がそろったのは、もう夜の10時ごろでした。タクシーでカオサン 通りという旅行者が集まるらしい地区へと移動し、降りてから騒がしいバーと か、夜店などをかき分けながら、バーンタイ・ゲストハウスへと入りました。 ここは高山先輩の定宿らしく、オーナーのおばあさんがニコニコしながら出て きて、高山先輩と話していました。どうやら、ここは1人1泊300円ぐらい のようです。

 てきぱきと部屋割りが終わると、高山先輩が「さぁて、飲みに行くぞぉ」と 叫んでいました。でも、私は高山先輩にここまでついて来るのがやっとで、疲 れ果てていて、「すいません、寝させてください」と言って寝てしまいました。

 アジア初日の印象? えーと、とにかく高山先輩について行くのがやっとで、 それは明日からの課題です。

◆いきなり売春街へ               ――8月27日――

 翌朝、先輩たちより早く目が覚めて、外にあるシャワーを浴びに行きました。 はじめての水シャワーは冷たかったけど、浴びているうちに慣れてきて、体を タオルで拭くとサッパリして、ようやくタイにいるんだという実感が湧いてき ました。

 やがて起きてきた先輩たちと、朝昼兼用の御飯を食べに出かけました。メニューは旅行者用に英語で書かれていたのですが、どうもよく分かりません。先輩た ちがさっさと注文したので、ちょっとせかされたように適当に指差したら、こ れが野菜炒め。先輩たちは、朝粥とか、チャーハンとか、それらしい食事をし ているのに、私だけ「野菜炒め」。ちょっと悲しかった。

 それから、カオサン通りで、旅行用にラフなスカートとサンダルを買いまし た。高山先輩から出発前に荷物チェックを受けて、どんどん減らされたので、 本当に着るものがなかったんです。持ってきたのは、ズボン1着とシャツ3枚 だけでしたから...

 買い物をしながら、気が付いたんですが、この通りは本当に賑やかで、まる で日本の縁日のようです。そして、外国人旅行者がたくさんいます。「こうい う世界もあったんだなぁ」と少し感心しました。

 夕食をチャオプラヤー河沿いで食べたあと、高山先輩は「さぁ、パッポンに 行くぞ」とトゥクトゥクに乗り込みました。トゥクトゥクとは、バイクが引っ 張る小型タクシーのような乗り物です。私は、「パッポン」の意味が分からな かったんですが、「たぶんお酒を飲みに行くんだろうなぁ」と思って、ついて 行きました。

 パッポン通り。確かに飲みに行く場所でもありましたが、もっと別の意味が ありました。そこは東南アジア最大の売春街だったのです。

 鉄の棒があって、それに女の子たちが掴まって踊っている「ゴーゴーバー」 が何軒も立ち並んでいました。そこを歩く人たちは、激しい客引き合戦にもみ くちゃになっています。高山先輩はその一軒に入っていきました。他の先輩た ちも、当然のようにどんどん入っていきます。私も客引きの満面の笑顔に引っ 張られながら入りました。「女の子が入ってもいいのかなぁ」と思いながら...

 高山先輩は舞台の最前列にかぶりついて、お酒を飲みはじめていました。私 は奥のソファーに座って固まっていました。でも、だんだん雰囲気がつかめて きました。「売春」という暗いイメージがあったんですが、どちらかというと 明るく楽しい雰囲気です。女の子たちも笑顔で楽しそうにしています。やがて、 1人の女の子がそばに座って、なにかタイ語で冗談を言ってきました。最初は その意味がわからなかったけど、私の胸をつついて、けらけら笑いながら身振 り手振りをしたので分かりました。どうやら、「アナタノムネハチイサイネ」 と笑っているようです。

 何だかそれが分かって可笑しくって、私も笑ってしまいました。それでちょっ と気が楽になりました。私が緊張していたのは、女性である私が、半裸で踊っ ている女性を見ていることに、彼女たちはどう思っているのだろうと、少し怖 かったからです。でも、逆に私の胸だって見られていたことが分かって、可笑 しかったんです。

 女の子たちは接客しているという感じではなく、どちらかというと楽しく踊っ ていました。もちろん、背景にはいろいろあるのでしょうが、その場において、 彼女たちは間違いなく楽しく過ごしていました。そんな彼女たちと、身振り手 振りで話していると、なんだか普通の同世代の女の子と一緒にいるような感じ がしました。ここにいる女の子たちは、少なくとも私にとっては売春婦ではな かったのです。

 えりかさんと土方先輩が姿を消したかなっと思ったら、なんと舞台に出て踊 り始めてしまいました。しかも、土方先輩はビキニに着替えて踊っているでは ないですか。私は初めてタイに着いた直後なので、ちょっと舞台に出るなど思 いもしなかったけれど、見ていてとても楽しかったです。他の舞台の女の子た ちも楽しそうに一緒に踊っていました。上手く説明できないけど、とても不思 議な感じがしました。私のなかで「売春」のイメージが大きく変わっていきま した。善悪の判断は別として、具体的にイメージできるようになったのは、本 当に良かったと思います。

 やがて、私たちは別の店に移動することにしました。その途中、高山先輩が このパッポン通りの歴史について説明してくれました。ベトナム戦争、民族ご との経済格差、都市と農村の格差、そんなものがパッポンを育ててきたのだと いうことです。

 2軒目の店は、高山先輩曰く、北方山岳民族が働く店だと言うことでした。 つまり、貧しい女の子たちの店です。

 たしかに違いは明らかでした。最初の店は、みんなビキニで踊っていたけれ ど、ここは皆が全裸でした。そして、女性器にいろんなものを入れたり、レズ ビアンのセックスだったりと、かなりきわどいショーを見せていました。そし て、お客さんは私たちだけでした。ここには高山先輩の昔からの友人らしいオ カマの人がいるので、私たちは安全だったんですが、何も知らずに入ってきた 旅行者の中には、お金を巻き上げられたり、パスポートを取り上げられたりと いうトラブルが絶えないようでした。売春街にもいろいろな横顔があることを 知って、少しここはショックでした。この店のことをどう考えたらいいのか、 まだ上手くまとまっていません。

 それから、ホストたちがたくさんいるディスコに行って(客の数よりホスト が多い!!)、しばらく踊り、そして宿に帰りました。この日もやはり、ぐっ たり疲れて眠りました。

【小笠原ちか・山口大学医学部学生】


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