■ 「債務帳消し」は国際協力か?

2000年7月29日


◆援助じゃないね、投資だよ

 昨年の6月、トルファンの安宿で韓国人青年と相部屋となったことがある。

 チョルと名乗る彼と僕は、やがて意気投合して、それから4日間、一緒に中国西域を旅することになった。互いの国にいるときと違って、縛られるものがないのか、いろいろな話を本音で語り合うことができた。朝鮮統一、台湾情勢、慰安婦問題・・・。

 そんななか、一番、印象に残っている彼の言葉は、

「援助じゃないね、投資だよ。そう考えないと危険だ」

というものだった。戦後、日本が果たした韓国へのODAの成果について、僕が「援助」という言葉を用いて言及した直後のコメントである。

 アジアの成長は、日本の将来を明るくするものだ。日本にとって、過去最大のODA供与国である韓国が、現在良きライバルとして成長したことは、日本の国際競争力を高める効果をもたらしただろう。そして、第2の供与国インドネシアが原油開発に成功したことも、石油ショックからの日本の立ち直りに大きな貢献となったはずだ。プラザ合意による円高ドル安の継続によって、日本の産業は円高不況に悩みはじめたが、そのころ東南アジアの社会インフラが確実な地歩についてきたことで、日本の産業は海外進出をはじめることで結果的に乗り越えることができたと言えるかもしれない。

 途上国の教育、保健、社会整備は、先進国にとって「未来への投資」である。もちろん、実体のない投機に走らぬよう監視する必要はあるが、こうした投資は今後も地道に進められなければならないはずだ。

◆債務削減問題とは何か

 IT革命が焦点とされた九州・沖縄サミットだったが、もうひとつの焦点として注目されていたものに、『重債務貧困国の債務削減問題』があった。

 1970年代以来、政府開発援助(ODA)として、先進諸国は途上国に対して支援を続けてきたが、その多くは利子を含めて返済するという約束になっていた。ところが、いくつかの国では、内戦によって軍事費に転用されたり、計画がずさんでプロジェクトが失敗したり、一次産品の価格が国際市場で暴落したりして、返済不能に陥ってしまっている。なかには独裁者の私服を肥やす結果となっているケースもある。

 このような、不良債権化してしまった債務を抱えている国をどう救済するのか、ということが問題となっている。重債務貧困国には、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の認定によれば40ヶ国。ほとんどがアフリカ諸国だが、アジアではミャンマー、ラオス、ベトナム、イエメンの4ヶ国が挙げられている。

 そして、重債務貧困国に対する債権の約3割がサミット参加国で占められているため、サミットにおけるこの問題の討議は、他の先進諸国にとっても、また途上国にとっても重大な関心事であったわけだ。

サミット参加国の対重債務貧困国債権(概算)
日  本90億ドル
フランス50億ドル
ド イ ツ30億ドル
アメリカ22億ドル
イタリア11億ドル
イギリス1千万ドル

◆ジュビリー2000がめざすもの

 この債務問題について、積極的に活動している団体に『ジュビリー2000』(本部・イギリス)がある。同団体は、「最貧諸国の債務を2000年末までに一切帳消しにしよう」と提言しており、これには10億の信者を抱えるローマ法王とカトリック教会をはじめ、プロテスタントの世界キリスト教会協議会、国際自由労連、国際的なNGOなどが参加しており、かの「地雷廃絶キャンペーン」を思い起こさせる規模の世界的なキャンペーンに発展しつつあるようだ。

 そもそもジュビリーJubileeとは、旧約聖書に記された「解放(ヨベル)の年」に由来している。史実かどうかは明らかではないが、50年ごとに訪れるヨベルの年に、古代イスラエルではすべての債務が帳消しになり、奴隷も解放されたということだ。

 ジュビリー2000とは、これを現代に復活させようというキャンペーンであり、昨年のケルンサミットで5万人による「人間の鎖」を成功させたことをきっかけにして、国際的な注目を集めるようになっていた。とりわけ、ミレニアムに宗教的な意義を見出しているキリスト教世界では、独特の熱気をもってジュビリーを望む雰囲気があるようだ。

 そして、今年2000年、いわば約束の年にあたるわけだが、これがたまたま最大の債権国である日本でサミットが開催されることになった。このことはジュビリー2000にとっても、格好の活動機会として待たれたわけである。

◆債務サミット

 ジュビリー2000は、『ITサミット』という側面に対抗して、沖縄サミットを『債務サミット』と呼んで活動を展開した。

 まず、サミット首脳会議直前の19日から3日間、『沖縄国際会議』を那覇市内の市民劇場で開幕した。会場には、ウガンダやハイチなど重債務貧困国の代表や国内外のNGOメンバーなど約400人が参加。困窮している最貧国の現状が報告され、とりわけ重い債務の返済から彼らを解放する必要性を訴えた。

 そして、開催当日の21日、ジュビリー2000の代表者らは「貧しい人々を犠牲にしないと返済できない債務はすべて帳消しにする」などの要請書を森首相に直接手渡し、メンバーら約100人で名護、那覇両市内をデモ行進した。

 このようなキャンペーンが、先進国首脳たちにどれほど圧力となったかは不明だが、首脳会合でも、債務問題はひとつのハイライトとして確かに取り上げられている。貧困の悪循環へ危惧を抱く首脳らの発言が相次ぎ、この救済方法についての討議が、会合中で最も長かったという。

 そして、サミット後の声明にも、微妙な表現で先進諸国の主張が盛り込まれている。「重債務貧困国の債務削減のため、世界銀行などの国際金融機関が債務救済資金を早期に確保する必要性」についての文言は、債権が少なく「帳消し」に熱心な英国の主張が通っている。一方、「軍事的衝突の影響で多くの債務国の救済が遅れていることに憂慮し、紛争当時国と早期に接触する必要性」を指摘して、紛争当事国や軍事国家などに対しては債務免除などの支援の見合わせる意向については、「帳消し」に消極的な日本が何とか盛り込んだものである。

 結果として、今回のサミットで、債務問題について何ら具体的な進展はみられなかったと言えるようだ。債権の帳消しを推進するような国際機関の設置も決まらなかったし、何より2000年末までの帳消し実現は、これで絶望的になったからだ。

 ジュビリー2000の代表者は、サミットが閉幕した23日、「首脳宣言では債務問題についてまったく進展がなく、ケルン・サミットの合意より後退した」と、厳しく批判している。そして、「次は国連総会へ向け、さらなる圧力を債権国へかけてゆくつもりだ」と決意を新たにしているという。

◆誰のための帳消しなのか

 さて、ここまでサミットのひとつの焦点であった債務問題について駆け足で紹介してきた。ここから少しだけ、ジュビリー2000が主張している「債務帳消し」について、筆者の個人的な見解を述べてみようと思う。

 折しも、サミットの直前、そごうの債権問題が浮上していた。そごうの経営失敗による損失を政府が肩代わりするかどうか、ということが騒がれていたわけである。筆者は、「重債務貧困国の債務帳消し」という発想に、なんとなくこれと通じるようなイメージが拭いきれない。

 銀行が企業に融資したとき、銀行は企業が借金を返済できるように支援する責任が生じる。この責任を無視した乱発融資が、現在、不良債権問題として日本の金融にのしかかっているが、さらに「政府による損失補填」という非常識な処理策によって世界の失笑を買っていることは、いまさら言うまでもないだろう。

 たしかに、不良債権化しているケースについては、何らかの救援策が必要となるのは当然だが、だからと言って、国民から徴収した税金を注ぎ込んだ結果である債権を気軽に放棄するとは、あまりに安易過ぎるのではないだろうか。

 筆者は、投資の責任を真の意味で果たすというのは、その国が返済できるようになるまで、粘り強く対話しながら解決策を探し、そして出来ることは協力してゆくと言うことだと理解している。債権の放棄とは、責任の放棄にもつながらないだろうか。毎年の債務返済に国が苦しんでいて、開発のための資源が消えたり、貿易金融への道がふさがれているのなら、放棄ではなく、ひとまず凍結すればいいはずだ。実際、日本政府は、重債務貧困国が債務を返済すれば、同額の贈与をする(返済しなくてよい)という方針をとっている。

 重債務貧困国の問題は、「借金があること」ではなく「利子があること」である。いまさらだが、資本主義社会において、借金があるのは当たり前のことだ。資本主義は「借金」が前提である。重要なのは「その借金から発生する利子をきちんと払って、しかもその上に利潤を上げることが出来るか」ということだろう。

 だから、借金で苦しんでいるから「帳消し」にするというのは、資本主義社会での救済としては適当ではない。借金で苦しんでいるなら「返済の目処がたつまで利子を取らない」というのが、資本主義の原理にのっとっているはずだ。

 たとえば、株券がそうである。出資する側は、返してもらいたくてするのではない。その会社に大きく成長してもらいたいからだ。投資とは金貸しでもなく、慈善でもない。だから「配当」という利子もまた、その成長の度合いによって上下するしくみになっている。会社につぶれてもらっては、株主は困るから、経営を圧迫するような配当を要求することなどありえないはずなのだ。

 国と国との関係に当てはめるべきではないかもしれないが、現実問題、株主優待というサービスや、株主総会に出席しての経営者選任や経営方針に口を出す権利というのも、実は、国の健全な発展を促すためには、戦略上重要なのかもしれない。

 とにかく、債権を棒引きにするのではなく、何とか返せるようになるまで、債権者という立場で関係を維持し、そして「国民の税金を注ぎ込んだ責任」を対象国にも自国民にも果たすように努力すべきではないだろうか。もちろん、同時に、的外れな開発援助をしないようによく調査したり、その資金が軍事費に転用されたり、使途不明の多発といった構造的問題を解決するような、「投資」段階の問題も改めてゆく必要があるだろう。銀行による融資なら、あたりまえの話である。

 どんな国や地域、村、さらには家族にも可能性がある。いや、この可能性を見出せるかどうかが「国際協力のセンス」というものだ。そして、それに対して、資金的、技術的、人的な投資をすること。これを「国際協力」と呼ぶはずである。

 この可能性を見失ってしまっている債権放棄とは、もはや国際協力ではない。

 ジュビリーとは、ヘブライ語で「免罪」を意味するという。いまの重債務貧困国の苦しみの根源には、奴隷売買と環境破壊によって抑圧してきた植民地の歴史がある。そして、現在の紛争の影にも武器を供給している先進国のエゴがある。「免罪」という言葉のなかに、むしろミレニアムを清算し、債権と同時に責任も放棄しようとしているキリスト教世界の姿を垣間見るのは、筆者だけだろうか?

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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