■ カンボジアレポート(2) ボランティアの憂鬱

2000年7月22日


◆時代のリアル

 たしかにカンボジアは、20世紀のリアルに満ち満ちていた。

 カンボジアとの接点をもつことになった僕は、いわばカンボジアという胎盤を通じて、刺激され栄養され、そして胎動しはじめていた。訪問を繰り返すたびに、僕は「現代を生きる」という実感を深めていった。そして、カンボジアは、どこへ行っても僕の可能性が潜んでいる、宝島のようなところだった。

 たとえば、プノンペン郊外を散歩しながら『小児病院』という看板を見つけたときのことだ。

 柳の並木を抜けたその先に、崩れかけた兵舎のような平屋建ての病棟が2,3並んでみえる。それだけで、僕の鼓動は早まってしまう。ふらりと立ち寄り、院長と笑顔を交わすだけで、確実に≠ネにか新しい事態が展開するのだから。  事実、そこで僕は4日間にわたり院長のもとで下働きをすることになった。そして、ここで得たあるヒントをもとに、2年後、僕は卒業論文をまとめることになってゆく(この話はいずれするだろう)。

 一方、日本での生活にも変化が生まれはじめた。

 自衛隊のPKO派遣によって、カンボジアは注目されるようになり、少なからぬ人々が現地の生の情報を求めていた。そして、僕が「カンボジアとの交流をしている」というだけで、取材が来たり、講演依頼が舞い込んできたりするようになったのだ。

 実にいろいろな人々に会うようになった。そして、多くの人たちの前で話をした。僕は情報≠ニいうものの力を思い知るとともに、ネットワークというものが、いかにして作られていくのかを実感していた。

 しかし、カンボジアを語りながら、語れば語るほどに、僕は逆にこの時代のリアルから取り残されるような不安感に襲われはじめた。いや、それは焦燥感にも似たものだった。なぜなら、そのカンボジアの物語の中で、いつも僕は端役にしかすぎなかったからだ。カンボジアでは、カンボジア人こそが主人公だ。どんなにカンボジアに詳しくなろうとも、あるいは、そこでどんなに活躍できたとしても、僕はアウトローの語り部∴ネ上になれはしない。だから、僕にとっての新たな問題は、「自分自身のリアリティーをいかにして見つけるのか」ということになりはじめていた。

 僕のリアルは、どうあがこうと生活の舞台である日本で築いていかなければならない。カンボジアで完結してしまうとすれば、僕は端役のままなのだ。つまり、少し大袈裟かもしれないが、「僕は何者であり、何をしようとしているのか?」そういう問題が、僕につきつけられていたということかもしれない。

◆ボランティアの憂鬱

 さて、そのころ日本での僕はといえば、ボランティア≠ニみなされたりするようになっていて、少々厄介なことになりはじめていた。僕を中途半端に知る人から、品行方正を求められるようになったからである。

 たとえば、合コンに行くと気をつかわれるようになって、行きづらくなってしまった。飲んだくれて騒ぐなどもってのほかである。下心も「この人はボランティアしてる人だから大丈夫」という思想には手も足も出ない。「夜も遅いし、送っていくよ」という言葉すらボランティア化してしまうのだ。

 さらに、学食で食べ残しをして、流しに棄てていると「気になんないんですか」と聞かれる。こんなときは「べつに」と軽く流してしまえばよいのだが、話を聞きに来てくれた女の子が、脂汗を流しながら、僕の手前、必死で食べ残すまいと頑張っている姿をみると、こっちは冷汗が出る。

 やがて、批判も耳に入ってくるようになった。いわく「単位落として何がボランティアだ」、「片手間にやるとかえって迷惑じゃないの」、「専門家に任せるべきだ」、ついには「お前は目立ちたがり屋だ」とくる。

「いつ、俺がボランティアやってて、いい人で、世界の役に立ってる、と言ったってんだ!」

 こう言い返したいところだったが、僕は押し黙っていた。「じゃあ、どうしてやってんの?」という、その次の問いに答えられる自信がなかったからだ。ボランティアは寡黙で、排他的だといわれることがあるが、こうした態度や批判を浴びせられるからではなかろうか。そして、僕もまた、カンボジアの話をするとき、少々神経質になりはじめていた。

 ある時、数人の大学生が「カンボジアに行くので話を聞かせて下さい」とやって来たことがある。彼らは、企画書を持参して僕に見せてくれた。題して『ドキドキ ハラハラ カンボジアふれあいの旅』とある。つづけて、次のような目的がならべられていた。


 1)カンボジアの普通の人々と交流をする。
 2)NGO、救援活動、自衛隊の活動をつぶさに見る。
 3)歌・踊り・料理・折り紙などを通してカンボジアの人々と出会う。
 4)同じ眼線で人々と話し、「国際貢献」のあり方を肌を通して考える。
 5)「街角で100人に聞きました」式のカンボジア語アンケートをとる。

 すぐに、「なんだか軽はずみだな」と思った。そこには、安易に「国際貢献」という言葉を口にする、世界の田舎者の態度がすけてみえた。そして、いろいろ文句をつけてしまったように思う。正直なところ、同じことに関心を持った同世代がいたことに大喜びしていたはずだったのだけれど。「なぜ、こんなことするの?」、「なんになるの?」、こんな言葉が口をついて出てきたのだ。完全に自分のことは棚にあげてしまって...

 結局、彼らは、がっかりして帰っていって、僕もがっかりしてしまった。

 いま思えば、こっちが勝手にボランティア=iあるいはボランティア志望)のレッテルを貼ってしまったのである。そして、自分が浴びせられて苦しんでいた言葉を、「こんなことやっちゃった後は、こんなふうに言われるんだぞ。覚悟はできてんだろーな」とそっくりそのまま相手に渡してしまったわけだ。何とも寂しい話である。

 以来、僕は反省して、ボランティア≠ニいう言葉の意味を再検討してみるようになった。是非はともかくとして、ボランティア≠ニいう言葉には、何かある一定の特殊なイメージが、日本人のあいだで確立されてしまっているように思われるからだ。たとえば、それは、清廉潔白で、真面目で、思いやりにあふれる人。あるいは、ちょっとした不正をも見逃さない、とっつきにくい正義の人。

 阪神・淡路大震災におけるボランティアの活躍で、日本人にとってもボランティアは身近になり、少しずつこうした誤解は改められつつあるようだが、依然、ボランティア≠フイメージは、ボランティアへの道をけわしくしており、ボランティア自身をも苦しめているように思われる。だから、僕は、僕とか、僕をたずねてきた学生たちのような存在をボランティア≠ニは区別しておく必要があると思うのだ。

 それでは、国際協力の狭間に楽しみを見出していた僕たちは、いったい何者だったのだろう。


 ・僕たちは未知の世界と自分の世界に橋を架けるフロンティアである。
 ・僕たちの行為は、社会をしだいに活性化させている。
 ・僕たちはボランティアとなりうる。
 ・僕たちがボランティアでないからと非難される理由はない。

 僕たちは、自分の属するコミュニティを離れて、異世界を旅するフロンティアである。そして、旅から帰ると、異世界を語りはじめる。異世界とは、タイや、カンボジアのお話、はたまたライン川沿いの長椅子で見たことでも、ホテル・リッツのトイレの使い心地のことでもいい。となり町の老人ホームがどうだったとか、今年のクリスマスは教会に行ってみたんだよ、なんてことでもいい。とにかく、未知の世界をのぞきに行く。そうした行為が少しずつ繰り返されて、世界は理解しあって和合の方角へ向かっている。

 たとえば、もし自分の最寄り駅に浮浪児がいたらやり切れない思いがするはずだ。誰だって、何かが間違っているときっと思う。ところが、なぜか多くの人にとってフィリピンのストリートチルドレンはあまり気にならない。遠い世界の話だから気にならないのだろう。しかし、フロンティアは、そんな異世界に足をのばして、そこにあるものを身近な世界の問題へと引き寄せるのだと思う。

 このような旅の繰り返しは、国際的な視点では、日本政治経済の国際的な影響力を考えると不可欠だし、国内でも、核家族化と分業化のなかで重要な役割を担っているはずではないだろうか。

 では、僕の考えるボランティア≠説明してみたい。


 ・ボランティアとは自己犠牲ではない、相互依存を自覚した行為である。
 ・ボランティアは自己申告ではなく、他者の評価である。
 ・ボランティアによって社会が大きく改善されると期待してはならない。
 ・ボランティアとはフロンティアのひとつである。

 ときに、フロンティアは異世界でなにかをしたいと思って行動する。ビジネスをはじめる人もいるだろうし、自分の出来ることでよろこんでもらおうとしたり、友達をたくさん作って遊びに行くかもしれない。そんな誰かのことについて見聞きした人が、その人をボランティアと呼び賞賛することはあるかもしれない。ただし、それは当人のあずかり知らぬことである。だから、逆に、彼のやりたくてやった行為が効果的でなかったからと非難することもできない(もちろんあんまり迷惑をかけているようなら教えてあげるべきだろうが)。彼のささやかな行為は、普通、ささやかなままだからだ。

 ところが、そうしたひとつひとつの行為を束ねて大きな力にしようとするものにNGOがある。このNGOには、旅を繰り返している僕たちや、ボランティアのような個々人レベルとは異なり、ある程度の責任が生じてくる。なぜなら、多くの場合NGOは目的を設定して、それに賛同する支持者の寄付金で運営されているからであり、また、その行為は対象となる地域社会に少なからぬ影響力を有するからである。だから、NGOは効果的な目的達成を追求する責任があると僕は思うし、活動の影響を予測したり、結果が評価できなければならなくなってくる。

 次回は、このNGOについて話をすすめてみたい。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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