■ 国際保健への招待(3) 伝統医療と現代医療と

1999年5月15日


 テインスララウ村は,カンボジアの首都プノンペンから南西に75キロ,人口700人前後の農村である。僕は4年前にここで調査をして以来,カンボジアを訪問するたびに,この村にも足を向けるようにしている。ありがたいことに村人たちも,異世界からの来客を気楽に受け入れ,僕との会話を楽しんでくれている。

◆リー先生のこと

 この村に着いて,僕が必ず挨拶に行くのが村の長老であるリー先生(71歳)のところである。リー先生は,村のクルッ・クメールであり,非常に尊敬され信頼されている人物だ。

 クルッ・クメールというのは,「バリー」という精霊の息を吹きかけることで治療を行なうカンボジアの伝統的治療師である。でも,僕がみる限り,リー先生の仕事は治療というより人生相談がメインのようだった。例えば,リー先生のところに男の子が初恋の悩みを打ち明けに来たとする。すると先生は,彼女がいまどこにいてどんな服を着ているのかを確認したあと,彼女のいる方角へ息を吹きかけ,彼女の気持ちが彼に傾くようにし向けるのだ。

 どんな場合でも,リー先生の治療行為はこの息で完結するようで,とにかく吹きまくっていた。ある時,僕はリー先生にこう尋ねた。

「それって効いてると思う?」
「さぁて,吹かないよりはましじゃろう」
「じゃあ,ドクター・ファリー(隣村の医師)と比べたらどう?」
「わしじゃったら,ファリーのところへ行くのう」
「……なんで治療してんの?」
「治療しているわけではないんじゃよ」

 リー先生を治癒能力で評価すべきではないのかもしれないが,彼の得意分野,つまり打ち身の痛み,熱射病については,僕もその能力を目の当たりにしたことを,一応記しておこう。

 リー先生の能力はバリーに与えられたものである。彼の場合は,突然バリーが,「お前はクルッ・クメールになれ」とささやいたらしい。そうすると,バリーの息を吹くことができるようになるというのだ。多くのクルッ・クメールは彼と同じ経験を経ているが,師匠から弟子へ伝えられることもある。

 ある時,僕がリー先生に,「俺もその息を吹けるようになりたい,弟子にしてくれ」と言うと,彼は笑って「5分で伝授できる」と言った。しかし続けて,「ただしじゃ,お前が少しでもこれから不誠実なことをしおったら,バリーの天罰が下るぞい。それだけではないぞ,教えたわしにも相応の報いがあるんじゃ。お前にその覚悟があるかのう」と言ったのだった。もちろん,そんな覚悟など僕には毛頭なかった。

 なるほど,クルッ・クメールが信頼されている理由が少しわかる気がした。彼らは,生きる糧を誠実さで保証しなければならないのだ。

◆選択肢としての伝統医療

 ここで,リー先生の治療風景を描写しておこう。

 患者が発生すると,まず家族が彼のもとへやってくる。そして,患者の様子を詳しく説明する。すると先生は家族に次のような指示をする。

「灰をつめたココナッツの殻と5本のろうそく,バナナの皮,そして4センを持ってきなさい」

 これらの一見ガラクタに思えるものは,時には白い布切れや精米かすというようにいろいろ変わるが,4センだけはいつも同じだ。「セン」とは古い通貨単位で,いまは使われていない。しかし,古くからバリーによって「クルッ・クメールは患者に4セン以上請求してはならない」と戒められているので仕方がない。で,結局,患者のほうが4セン以上,つまりいくらでもいいから感謝の気持ちと,フトコロの事情をかんがみて謝礼することになるのだ。これは,彼が伝統薬を処方しても同じことである。

 診療価格の決定権は,バリーによって患者と決められている。やがて患者の家族は,そのガラクタとお金を持参して患者を連れてくる。そして,先生はいつものようにバリーの息を患者に吹きかけるのだが,時には伝統薬を処方することもある。

 先生が処方する伝統薬で一番活用されているのは,村はずれに植えられている木の皮である。これは,下痢の時に煎じて飲ませる。おそらく,樹皮の成分であるタンニン酸の効果が科学的根拠であろう。

 もう1つ,転んで怪我をした子どもが来ると,先生はクモの巣を丸めてその傷口にすり込んでいた。これは,僕もはなっから馬鹿にしていたが,日本に戻り文献をあたってみて驚いた。クモの巣を傷口に付着させる民間療法は世界各地にあり,ほとんどの医師たちは,当初これを不潔で危険な処置法であるとみなしていたらしい。しかしながら,その後クモの糸に抗菌作用のある物質がみつかったという。

 「伝統医療とは,長い歴史の中の試行錯誤から熟成された,究極の癒しのテクニックである」と感傷に浸る人の気持ちがよくわかった。ただし,治癒を最優先に考えた場合,やはり現代医学こそが有効であることを感傷でかき消すべきではないだろう。

 現実をみれば,感傷に浸っている余裕などないことにすぐに気がつく。村人にとっては,いかに早く治るかが唯一の関心事である。それゆえ,村人には薬信仰のようなものがあり,とにかく薬がもらえるか否かが,医療機関選択の重要なポイントとなっているのだ。薬が最も容易に手に入るのはもちろん薬局である。そこで,風邪とか下痢のように,よくある病気の場合には,もっぱら村人は薬局に足を運ぶ。それでも軽快しない場合には,仕方なく高い診療費を払って病院へ行く。診療費が支払えなかったり,病院でも治らなかったりした時に,村人はクルッ・クメールに頼ることになるようだ。

◆ヴィラックさんに起きた奇跡?

 村のヴィラックさん(35歳)が,交通事故に遭ってやがて治癒に至る話は,村人の医療機関のイメージが反映されているようでおもしろい。

 ヴィラックさんは失業中で,姉さん女房のサレスさん(40歳)の行商による収入で生活している。行商の収入が1日2000リエル。日本円で80円ぐらいだから,年収は3万円を下まわり,そうとう苦しい部類だ。しかも子どもが4人いる。

 事故は1995年の春に起こった。ヴィラックさんが車にはねられたのである。駆けつけたサレスさんは,まずドクター・ファリーに来てもらった。するとドクター・ファリーは,「重傷だから病院に連れて行ったほうがよいだろう」とアドバイスしてくれた。そこで彼女は荷車に夫を乗せ,病院に急いだ。病院では,待つことなくすぐに医師が診てくれた。しかし医師は,足の骨が砕けていることを告げ,足の切断しかないと説明した。さらに続けて,切断したければ200ドル,つまり彼女の年収相当の医療費が必要になると言った。サレスさんは,断念するしかなかった。そして,接骨で有名なクルッ・クメール,バーン先生を尋ねることにした。

 バーン先生は,プノンペンにほど近いソムロントン郡に住むクルッ・クメールである。彼の接骨技術は確からしく,医師すら息子を彼のもとへ連れてくるという。

 さて,バーン先生はヴィラックさんを診て,なんだかんだのガラクタとココナッツオイル,そしてやはり4センをすぐに準備するよう,サレスさんに命じた。準備が整うと,バーン先生は患部にココナッツオイルを塗りながら息を吹きかけはじめた。以下は,サレスさんの言葉である。

「先生は,ココナッツオイルをぼろぼろになった夫の足に塗りつけ,そして引っ張りました。すると,プロップロッという音がして,ええ,わたしは確かに聞いたのよ。砕けていた小さな骨がプロップロップロッという音とともにつながっていったんです。プロップロッてね。そうして,州立病院の医者が切り落とすと言っていた夫の足は助かりました。しかも半月後には,夫は立って歩き出したんですよ」

 サレスさんは,感謝して20ドルの謝礼をバーン先生にしたという。

◆伝統医療に期待できること

 これは,伝統医療が非常にうまく活用された例である。ただし多くの場合,現代医学のほうが確実に治療効果を発揮する。ヴィラックさんの場合も,現代医学が機能していなかっただけで,現代医学に伝統医療が勝ったというロマンチックな話では決してないこと押えておくべきだ。だから,「コミュニティのヘルス・ケアに,このように効果的な伝統医療を現代医療とともに活用することが理想である」と考えるのは,勇み足だと僕は思う。

 伝統医療についてWHOは,地域に健康を確立していく上で,重要な役割を果たすと考えている。なぜなら,伝統医療はすでに地域住民に文化として受け入れられているヘルス・ケアだからである。そしてWHOは,伝統医療と現代医学が手を取り合って地域の健康問題に対応していくことが理想であると考えているようだ。

 僕も村での経験を通して,伝統医療の役割が大きいことに気づかされたし,今後とも,村人にとって伝統医療は必要であり続けると考えている。ただ,現代医学が伝統医療と共存はできても,協力していけるかについては懐疑的である。

 現代医療側が,伝統医療と協力を意識する時,必ずそこに科学的な分業の発想が生まれる。例えば,伝統薬と現代医療の薬を提供しあう,患者の精神的なケアを依頼する,家庭医の役割を担ってもらうというようにである。しかし,この科学的姿勢を取り入れた時点で,伝統医療は伝統医療でなくなると考えているクルッ・クメールは少なくない。伝統医療は,トータルに患者を扱ってはじめて伝統医療である。伝統治療師にとっては,患者の精神の部分とか,病気のこの部分などという概念は治療上存在しないのだ。最も保守的な場合には,現代医療の薬を服用すると伝統医療は効かなくなると考えている場合すらある。しかも,伝統治療師には,仲間と相談してよりよい医療体制を作り上げようという精神はない。あるのは,より精霊との意志疎通を完全にし,独りその能力を研鑚する努力である。だから,現代医療側が協力を望んでも,伝統医療側としては排除されなければそれでよく,そっとしておいてほしいと思うだろう。

 このように,伝統医療と現代医療には本質的な差異がある。同じ医療として,相互に協力するには大きすぎる違いではなかろうか。もちろん協力は理想だが,互いに尊重しあい,社会的共存をめざすのが現実的な道だと僕は思う。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


記事の目次へ    |   トップページへ
国際保健通信の記事・写真の無断転載を禁じます。