■ 国際保健への招待(2) プライマリ・ヘルスケアの5つの原則

1999年4月15日


 国際保健活動は,ヘルスケアを世界の人々に持続的に提供することを具体的な目標としている。このヘルスケアというのは,病人を治療することを主眼としているメディカルケアとは本質的に異なり,地域の人々の治療のみならず,疾病予防や健康増進にまで配慮し,その向上をねらったものである。メディカルケアが病院を城とした「待ちの健康戦略」とするなら,ヘルスケアは地域社会に入っていく「攻めの健康戦略」と言えるだろう。

 国際保健活動におけるヘルスケアの特徴はもう1つある。それは,活動の中心を都市ではなく農村などの地方へと定めていることだ。

 現在の世界人口は約58億人だが,そのうち約46億人が発展途上国に住んでいる。そして,その多くが地方の農村で生活し,先進医療とは無縁でいる。現代の先進医療は世界の2,3割程度の人々のためにしか機能していない。健康を世界の人々の権利として公平に考えるならば,国際保健が地方の農村のヘルスケアについて重点的に活動していることにも納得がいくだろう。

◆地域社会に健康を

 こうした国際保健活動の中心となる戦略としてプライマリ・ヘルスケア(PHC)が掲げられている。このPHCとは,最初に述べたヘルスケアをさらに住民主体のもの,つまり住民の自助と自決のもとに運営していこうという考え方であり,1978年アルマアタでの国際会議で注目された。これまでのヘルスケアが,医師や看護婦などの専門家が地域に足を伸ばすことで実現していたとすれば,PHCという新たな概念は,その地域の人々が,自分たちのイニシアティブと積極的参加でヘルスケアシステムを実現させることを目標としていると言える。このPHCが注目され,いまも国際保健の重要な指針となっている背景には,先進国のヘルスケアシステムがそのまま途上国には根づかなかったという反省,医療の専門家だけでは地域社会に健康を広げることが不可能だとの現実があったようだ。

 それでは,PHCとは具体的に,どのように実践されるのだろうか。ここでは,PHCの基本的な柱とされる5つの原則を通じて,国際保健活動の実際を紹介したい。

◆その1 住民の主体的参加

 住民にとってPHCは与えられるものではない。住民自らが,自分たちにとって重要な健康問題は何であるかを発見し,かつその解決には何が必要なのかを考えなければならない。さらに,そうした手作りの保健医療サービスを自分たちで維持,管理していかなければならないのである。ここでは,基本的な医薬品を常備するプロジェクトを例にあげてみよう。

 無医村であっても,医薬品がその村に常備されていれば,村の健康問題は大きく改善されるものと期待される。しかし,これを実現させるためには,その医薬品を確保するための資金を捻出し,医薬品を管理し,簡単な診断と投薬ができるヘルスワーカーの育成などがその村の課題となる。PHCとは,「地域による,地域のためのヘルスケア」であり,どのようなプロジェクトであれ,常に住民の参加が前提となる。国際保健活動とは,このようなシステムの有効性を地域住民に教育し,定着するようアドバイスしていくことになる。

◆その2 住民のニーズ指向性

 ラオスでPHC活動を展開されていた小川寿美子先生(国際協力事業団の長期派遣専門家;本紙1997年7月14日付2248号「医学生・研修医版」参照)は,自らのプロジェクトを開始するにあたり次のような方法を取った。小川先生は,まず対象となる村々を3か月かけて,「何が村の健康改善にあたり必要なのか」をアンケート調査して回った。そして,その結果とプロジェクト実施側ができることを照らし合わせた上で,地域の人々の要望にあがっていた「初期治療レベルの医薬品」を村に配備することから協力を開始することにしたのだ。このように,住民の参加が条件となるPHC活動では,当然,一方的にプロジェクトを決めてしまうことはできない。まず,住民のニーズを把握することから始めることになる。

◆その3 地域資源の有効活用

 PHCでは,もともと地域に存在している利用可能な資源を最大限に活用していくことが求められている。例えば,古くから知られているような薬草,村の集会所としてのお寺。こうした物的資源のみならず,学校の先生,長老,僧侶などの人的資源もPHC活動に巻き込んでいけるかもしれない。あるいは,村の人々が一堂に会する伝統行事を健康教育の機会ととらえることも可能かもしれない。

 また,現代医学がある村にないからといって,医療がないと早合点してはならない。人々の生活の場には,必ず何らかの伝統的治療,助産などがあるはずだからだ。こうした活動に携わる人々をトレーニングすることができれば,地域のヘルスケアが自立するのはかなり早まる可能性がある。大切なことは,PHC活動とは何もない荒野を耕し,種を植えつける行為ではないということだ。よく大地を観察し,そこにある小さな芽を見つけ出す姿勢が求められる。そして,日当たりをよくし,水をあげて大切に育むのである。

◆その4 適正な技術

 単純な話,電話のない地域に救急車を援助配備しても無意味だろう。これは極端すぎる例かもしれないが,「日本から贈られたレントゲン機器が故障してしまい,以来ほこりをかぶっている」という話は耳にしたことがあるのではないだろうか。対象国のメンテナンス能力を無視した援助の結果である。あるいは,「精密な体重計を熱帯地域に援助供与したが,暑さでバネが伸びてしまい役に立たなかった」という話もある。これは,対象国の風土を無視した結果と言える。PHC活動がめざすヘルスケアは,住民が利用しうる範囲内の技術で達成されなければならない。ニーズがあっても,その技術が地域で維持管理できなければPHCは失敗となる。この失敗を回避し,適切なプロジェクトを企画するために,地域の財源や技術力,電力などのインフラストラクチャー整備状況,気候風土や文化,そして習慣など,種々の要素を十分に吟味しておかなければならない。

◆その5 他分野との連携

 PHCは単に保健医療システムの改善のみならず,社会経済発展の1つの要素としても大きく貢献しようとしている。こうした姿勢が強調される背景には,「狭い視野では国際保健の目標達成は不可能だ」という認識がある。健康問題は,政治や経済,教育,開発,宗教そして新たなテクノロジーといった他の分野と相互依存の関係にある。だからこそ,これらとの連携を深めることで総合的な発展をめざしていかなければならない。PHC活動は,自らを包括的な社会システムの発展計画の1つとして位置づけておく必要がある。

 ある人にとって健康であることは権利ではあるが義務ではない。ここに国際保健が過剰に介入することは許されない。また地域社会は,健康よりも政治,経済,宗教を優先する場合があるかもしれない。このような,国際保健は,地域社会における自らの立場を認識し,他の分野との連携の中でチャンスを見出すようにしていかなければならない。

◆国際保健への誤解と可能性

 PHCの実践を通じて国際保健活動をイメージしてみると,想像していた国際協力活動とのギャップを覚えた読者も多いかもしれない。例えば「助かる見込みのなかった途上国の患者たちを先進国の物資と技術で救済する」,あるいは「援助を待ち望んでいた途上国の人々の前にボランティアが登場し英雄となる」といった誤解である。かつて,そうした英雄的行為が賞賛された時代は確かにあったが,今ではむしろ住民の自助と自決を控え目に,ただし根気強くサポートしていく姿勢が求められている。

 このことは,視点を変えてみると,シュバイツァーのようなカリスマ性がなくとも,誰でもが国際協力活動に参加できることを意味している。住民の尊敬を集め,その先頭に立つ必要はないのである。与えられた役割とは,PHCの概念が示すように,住民の考え方や文化を尊重しながら対話を続け,共同作業で健康な社会を築き上げることなのだ。

 さて,次回からは,こうした国際保健の舞台となる世界を具体的に紹介しようと思う。実は,今回解説したようなPHC5原則も,具体的な活動を積み重ねることで獲得された概念なのだ。大切なことは,国際保健とは何かのたとえ話ではなく,原理原則があろうとなかろうと,日々実際に行なわれ続けているということだ。  独断と偏見に満ちた,筆者の体験談となるかもしれないが,この連載が終わる頃に,再び皆さんがこの5原則をイメージしていただければ幸いである。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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