■ さまようチベット問題

1999年1月15日


 昨年はチベット問題が再び関心を呼んだ年であった。『セブン・イヤーズ・イン・チベット』などハリウッド映画の題材となるなど、市民レベルでも新たな議論がはじまった。そしてこれは、硬直化していた問題を再検討する良い機会となったようである。

 実際、クリントン大統領が積極的に仲裁に入り、昨年末までには実はかなりの伸展が見られたのである。

 6月、クリントン大統領が訪中、江沢民主席との共同記者会見の席で、「チベットが中国の一部であることに同意する」と述べたのに対し、江主席は「ダライ・ラマが、チベットが中国の一部であることを認めれば、対話のドアは開かれている」と答え、最初のボールが投げられた。

 11月、今度はダライ・ラマが訪米しクリントン大統領と会談、ここで「チベットの分離、独立は求めない。チベット人のアイデンティティーと生活様式が守られる真の自治を望む」と述べ、江主席に応えた。これで、チベット問題解決に向けて大きく前進するかに思われた。

 ところが、中国側は「ダライ・ラマは国家の分裂をたくらんできた」と冷たく応じ、さらに、先月12月、ダライ・ラマが、パリでの世界人権宣言50周年式典に招かれたことに、強い不快感を示し、「ダライ・ラマが統治していた時代のチベットは、奴隷制度を有する僧侶の独裁で成り立っていた。彼に人権行事に参加する資格はない」と批判した。

 こうして、この半年の対話は挫折し、もとの批判合戦に逆戻りしてしまった。

 残念ながら、アメリカの仲裁は火に油を注ぐものだったのかもしれない。天安門事件以来、アメリカは中国に対して人権問題を外交カードとして利用しつづけている。そして、中国側には、ダライ・ラマへの不信感もさる事ながら、人権問題を利用し、自らは痛むことなく相手から譲歩を引き出そうというアメリカの外交戦略への不快感も少なくないのである。

 中国は今年、建国50周年を迎え、マカオも祖国復帰する。チベット問題の解決をめざすきっかけはまだまだあるようだ。

 今年は日本が長年の懸案に終止符を打つべく、尽力してはどうだろうか。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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