■ カンボジア入院体験記

1997年09月01日


 "I think you have a typhoid fever"

 39度5分をさした体温計と、真っ白になった僕の舌を見ながら、医者は言った。

 その日は朝から調子が悪かった。体が重く、ベッドからぬけだすのもだるい。日本を出てから約2週間、少し疲れがたまってきてもおかしくない。しかし今日は、カンボジアで長年活動を続けている24時間テレビが運営しているカンダール州の病院見学が予定に入っている。下痢ぎみのお腹と不安な気持ちをかかえながら、朝6時半ごろ、ホテルを出た。

 24時間テレビに用意していただいた車に乗り込むとすぐに、頭が痛くなってきた。車に揺られているうちに、お腹もますます痛くなってくる。午前9時を過ぎたころだろうか、目的地である病院にたどり着いたとき、ついに限界がきた。他のみんなに迷惑はかけたくないが、もう立っていられない。病院のベッドをお借りして、しばらく休むことにした。

 与えられた解熱剤を飲んでも安静にしていてもいっこうに症状はよくならない。朦朧としたままうなっているところに、冒頭の言葉を現地のドクターから聞いたのである。

 "typhoid fever"、チフスだ。

 「チフスって法定伝染病だよね」「飛行機に乗れないんじゃないかな」「日本に帰れないよ」一緒にカンボジアを回っていた友人たちの話がぼんやり聞こえる。首都のプノンペンに戻らなければチフスの治療はできないということで、僕はよろめく足をひきずりながら車に乗り込んだ。

 僕たちは、医療システムをゼロから再建しようとしているカンボジアに関心を持ち、この国で活動している医療関係のNGOやJICAを見学するために、ここにやってきたのだ。まさか自分が患者としてベッドに横たわることになるとは、思いもよらないことであった。

 友人たちの奔走のおかげで、僕はカメルット病院というところに入院することになった。この病院はフランスが支援している病院で、プノンペンでは3本の指に入る大病院らしい。だが、そこは、やはりカンボジアだった。

 まず当然のことながら、ほとんどの病院スタッフに英語が通じない。激しい下痢が止まらず1日に10回近く通ったトイレには紙もなく、おまけに水も流れないため汚物がいっぱいにたまっている。日本なら腕の関節に刺すであろう点滴の針はいきなり手の甲に刺され、飛び上がるほど痛かった。夜になると水道の水は止まり、たびたび電気が消える。追い打ちをかけるように熱や下痢は深夜になってもおさまらず、ヴィダール反応(チフスかどうかを確かめる検査)が陰性であったにもかかわらず、医師は「チフスだろう」と言いつづける。一緒に病室にいてくれた友人たちがいなければ、精神的にまいってしまっていたかもしれない。

 さいわい、翌朝熱は37度台まで下がった。友人が調べてくれたチフスの典型的な症状と僕の症状とがかなり違うこと、さらに日本大使館の医務官の「チフスは終生免疫なのに1年間で3回もチフスになったという人もプノンペンには多い。こっちの医者は熱と下痢を見ればチフスと言っているだけだから、大丈夫だよ。」という説明を聞き、ようやくほっと胸をなでおろしたのである。退院した時にもらった診断書にははっきり「typhoid fever」と書かれていたのであるが。

 しかし、この入院体験から学ぶことは多かった。

 僕たちは、自分が苦しいときは冷静な目を失い、相手を厳しく評価しがちなものである。長時間待たされたり、診察にくる医師が何度も変わったり、優秀とはいえない技術で治療されたりしたことによって、僕は途中からこの病院をまったく信頼できなくなっていた。カンボジアの病院が取り組むべき仕事は多いと思う。だが、それはこの病院だけの問題だろうか。程度の差こそあれ、日本の病院も同じような問題をかかえているのではないだろうか。インフォームド・コンセントの徹底やカルテ、レントゲンの公開といった診察に関することから、適切な割合での予約制の導入やアメリカのような一般医を養成する制度の検討など医療システムに関することまで、医療を提供する側が問題意識をもって取り組んでいくことは、患者のニーズを満たす上で極めて重要である。

 一方で、外国にいくときに患者の側ができることもある。例えば、激しい下痢をおこしたときに必要となるORSは、水に適当な分量の塩分とグルコースを混ぜるだけでできる。すぐに病院を見つけられないような状況が予想されるときには、こういうものを準備しておいたほうがいいだろう。ただ、率直に言ってORSのまずさには閉口した。だから、これから僕は途上国では、ポカリスエットの粉袋を持ち歩こうと思っている。

 また、日本においても患者がしなければならないことはある。医療側から見て、今回の僕のようなスタッフを信頼していない患者ほど扱いにくいものはないだろう。病院スタッフが患者とよりよいコミュニケーションを築こうとするのは当然のことだが、患者も病院スタッフと信頼関係を醸成するよう努めるべきではないだろうか。例えば、自分のしてほしいことを1回にまとめてはっきり分かりやすく説明すれば、病院スタッフを過度にわずらわせることもない。一般に多くの患者を受け持っていつも時間に追われている彼らへの配慮も必要だ。病人にそこまで要求するのは酷、という意見もあるだろう。確かに本当に苦しければそんなことまで頭はまわらない。しかし、普段から備えていれば不可能なことではないし、特に入院患者の場合、24時間常にのたうちまわっているということはあまりないだろう。患者も、その時に自分にやれることはできるだけするべきだ。これが、いつ再び患者になるかもしれない1人の人間として、僕が今回学んだ教訓である。

 阪神大震災のような自然災害はめったに起こらなくても、個人のレベルでそれに匹敵するような状態におちいることはいつでもありうる。特に病気や死は、全ての人にやってくる。日本では将来起こりうる災害や病気の話を「縁起が悪い」といって避け、危機管理をなおざりにしているケースがよく見受けられるが、それは結局自分のところに返ってくるのである。ベストとはいかないまでもベターな対応ができるように、危機管理の重要性を再確認する時期がきているのではないだろうか。

 僕は入院した翌日に友人がむいてくれたオレンジの味を決して忘れない。何も食べずに1日以上をすごした後の冷えたオレンジは、甘みと酸味がよくきいていて、少々オーバーにいえば感動的な味だった。人からこういう思いやりをうけることは、誰にとってもとてもうれしいことだ。と同時に、自分がこういう思いやりを与えられるなら、それはもっと素晴らしいことだろう。だが、自分の世話ができない人が、他人の世話をすることなどできない。自らが不断の備えをしていて、はじめていざという時に他人への思いやりも生まれてくるのではないだろうか。

 いつか誰かに、違ったかたちの「オレンジ」をわたしたい。いま、そう思っている。

【西大輔・九州大学医学部学生】


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