■ ポル・ポト死亡説が意味するもの

1996年07月21日


 6月6日、カンボジアの反政府ゲリラ、ポル・ポト派の最高指導者であるポル・ポト元首相が死亡したという報道があった。ポル・ポト(推定68、または71歳)は、300万人以上の犠牲者を出したといわれるカンボジア大虐殺の主役的存在で、85年にキュー・サムファン議長に実権を譲り、16年以上も人前に姿をあらわしていないが、いまだ同派には多大な影響力を有していると考えられている。

 以前から、ポル・ポト死亡説は、日本に伝わってこないだけで頻繁に流布されており、事情通で今回の報道をまともに受け入れた者はいなかった。結局、14日、フン・セン第二首相が、コンポンスプーでの演説において、正式に死亡説を否定する見解を示したことで、この空騒ぎも終焉した。

 このニュースを流したのは、フランス国営通信(AFP)であった。AFPは、旧宗主国の強みを活かし、常にカンボジア情報で他の通信社の一歩先を行っているが、今回は勇み足であったようだ。AFP電のニュースソースは次の二つである。一つは、プノンペン発の「カンボジア政府高官に4日届いた報告」という政府側からの情報である。そして、もう一つは、アランヤプラテート発の「プノンマライ山近くの国境で、320師団の副司令官が『ポル・ポトの葬式に行く』と語った。」というポル・ポト派側からの情報である。おそらくAFPは、両サイドからの情報がそろったため至急電に踏みきったのだろう。

 この情報交錯の背景にはいくつかの見方がある。

 まず、タイ軍関係者の見方である「カンボジア政府が、ポル・ポト派兵士の投降を誘うために意図的に流した情報」というもの。先月号で報じたように、同派をぬけて投降する兵士は増え続けている。この流れを一気に加速し、同派を次の乾季攻勢までに脆弱にしておこうという戦略である。

 そのカンボジア政府は、フン・セン第二首相への権力集中を憂慮するシアヌーク国王周辺から流れてきたと指摘している。国王は昨年1月、「ポル・ポト元首相抜きなら、ポト派を合法政党として認める」と提案している。死亡説を強調し、ポル・ポトを除いたポル・ポト派との連携をほのめかすことで、フン・センをけん制する狙いがあったとの見方がある。

 また、バンコク発の『アジア国際通信』では次のように分析している。カンボジア政府は、ポル・ポトの行方、生死を見失ったため、偽情報を流して世界中の新聞社、通信社に探させたのではないか。さらに、それに反応して関係諸国の情報機関も確認作業をやってくれるわけで、ポル・ポトについての情報がたくさん浮かんでくるだろう。やがて、それらのヒントから、カンボジア政府はポル・ポトの居場所を確認し、「死亡説は根も葉もない」と発表したというのだ。

 では、ポルポト側から情報が流れたというのは、(それが本当だったとすれば)どういう訳であろう。この点については、筆者の憶測では、ポル・ポト派幹部らが、そう遠くないポル・ポトの死亡について、死亡を明らかにするタイミングを見計らっているものと思われる。ポル・ポト死亡後は、キュー・サムファンがどのように生き残りをかけてゆくかが焦点となる。キュー・サムファンとしては、ポルポト死亡後、誰がどのように振る舞うかは最も知りたいところだろう。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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