■ ブータン難民問題とは何か

1996年7月01日


 ブータンはヒマラヤ山脈東部の小さな国である。人口は約60万人(93年世銀)で、チベット系のドゥルクパがその60%、ネパール系のロチャンパスが25%を占める。首都はティンプー(3万人)、その他、主な都市でパロ、プナカ、タシガシ等がある。ブータンの政体はワンチュク国王親政の絶対君主制で、議会はあるが政党はなく、憲法も持っていない。

 ブータン国土は、北にヒマラヤ、南にマラリアが蔓延するジャングルを抱え、長い間、人を寄せ付けなかった。しかし、17世紀にチベット人によるラマ教国が成立し、歴史が始まった。1907年には初代ワンチュク国王が国土を統一するが、帝国主義侵略の波はこの国にも及び、わずか3年後に、ブータンはイギリスの保護領となっている。47年8月、イギリスからインドが独立すると同時に、インドはブータンについてイギリスの地位を引き継いでいる。いまでも、インドはブータンに外交助言をしうる条約を維持しており、ブータンは特殊な状況下にあるといえる。

 こうした属国的状況は、ブータンを鎖国政策へと仕向け、世界に「秘境」のイメージを与える結果となっていった。しかし、16才の若さで現国王が即位した72年頃から、ブータンは属国脱却を意図し、外国に少しずつ門戸を広げはじめ、いま、近代化の道をゆっくりと歩きはじめて いる 。

 この流れが、ブータン難民発生の主要要因である。

 景気の後退が難民を発生させることは良く知られていたが、ブータン難民の例は、経済成長もまた難民発生の要因となりうることを示している。変化のそれぞれの局面に、勝者と敗者がいる。参加型民主主義が確立していない国では、特にこの差が歴然とするだろう。ブータンの場合、国王を戴くドゥルクパが勝者であった。

 ドゥルクパは、彼らの言語であるゾンカ語の普及(ネパール語教育の廃止も平行して実施している)とゾンカ服の着用を義務づける等、ロチャンパスのしめ出しにかかった。彼らドゥルクパの言い分はこうである。

 「ネパール人であるロチャンパスは、近代化に乗じてやってきた出稼ぎ不法就労者だ。いまでは、そのネパール人が人口の25%までに増大し、南部では多数派を形成しつつあるほどだ。ブータンの伝統文化を守り、環境を守るため、我々はドゥルクパを守らねばならない。」

 ドゥルクパは、ネパールの近代化状況に懸念している。すなわち、観光客の増大によりカトマンズの人口は倍増し、街は汚染されている。地方でも、木が切られ自然は失われつつある(ネパール政府の統計によれば、森林は64年に全国土の45%を占めていたが、80年には29%に激減してしまった。さらに、FAOの発表では、毎年、森林の3.4%が失われていると推計されている)。たしかに、チベット仏教徒のドゥルクパは、彼らほど自然信仰の厚くないヒンドゥー教徒のロチャンパスによって、この失敗が繰り返されるのを警戒しているともいえる。しかし、ブータン政府が最も警戒しているのは、シッキムやインドのネパール人民族主義運動の国内への波及、そして、90年のネパール本国の民主化の波がネパール系であるロチャンパスによってブータンにもたらされることであった。実際、90年以降、ブータンでもロチャンパスを中心とした民主化要求運動が活発になってきており、王政批判が強く出され、一部には学校や病院、政府機関などを襲撃する動きすら出てきていた。こうした民主化運動をドゥルクパ主導の政府が弾圧しはじめたのが、難民発生の直接の引き金であった。そして、95年2月現在、約8万6千人のロチャンパスが難民としてネパール国内に、約2万5千人がインド国内に流入している。

 ネパール政府は、難民をこれ以上受け入れたくないし、既に受け入れてきた難民もブータンへ即刻送還したいと考えている。最貧国の一つであるネパールにとって、これ以上の人口増加の要因を抱えたくないのは当然である(ブータン難民は、人種的にはネパール人であるため、容易にネパール社会に溶け込んでしまう可能性がある)。たとえば、難民キャンプ周辺の森林破壊がすすむなど環境問題が顕在化している(この問題に対処してUNHCRは、伐採された木材を補充し、難民に石油コンロと燃料を提供しはじめている。しかし、現実には、伐採はいまも続いている)。また、難民キャンプが設置されている地域は、ネパールの中でも政治的に不安定な地域であり、その地域の住民から難民キャンプへの反発が増大しているといわれ、ネパール政府が火種を抱えたくないと考えるのは当然ともいえる。さらに火に油を注ぐように、ブータン政府へ武装闘争に走るロチャンパスが増え始めている。彼らの多くは、今のところインドのアッサム、西ベンガルを拠点としているが、いつこの姿勢が不満の高まっているネパールの難民たちに飛び火しないとも限らず、ネパール政府は警戒を強めている。彼らロチャンパスは、市民権や財産権が剥奪され、迫害、拷問、強姦などの弾圧を受けたと訴えているが、ブータン政府側はこれを否定している。この事実がどの程度あったのか、今のところ裏付けはなくわかっていない。そして、このようにノン・ルフールマンの原則(いわゆる『難民条約』に示されている、「生命や自由が脅かされる場所に難民を強制的に帰還させない」という原則)が適用できるか不明確な状況では、ネパール政府の難民審査を厳しくさせることを止めることができないでいる。

 ブータン難民の前途は暗雲に包まれている。これまで述べてきたように、難民受け入れについてネパール政府側は「限界にきている」と言う。ブータン政府側は難民キャンプの人口の約30%がブータンの国民だろうと認め、「ブータンの居住者であったことが証明されれば受け入れる」としているものの、ロチャンパスのほとんどが正規の身分証明書などを所有していないのが実状である。ブータン難民キャンプが、今後も存続を余儀なくさせられるとするならば、長期化した難民キャンプ内のひずみ、地域住民の難民に対する感情、そして難民たち自身が抱く将来への展望などについてよく把握し、混乱が増大する前に対策を講じておくことが必要だ。そして、この問題を乗り越えることに成功すれば、今後、多様な形で発生すると思われる難民問題について、人類は貴重な経験を積んだことになるだろう。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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