■ インドシナ難民問題が公式決着

1995年11月15日


◆ 忘れられゆくインドシナ難民問題

 1975年にインドシナ難民問題が発生して以来、180万人以上が難民として第三国に定住した。この問題は、ボートピープルがしばしば漂着するなど身近でもあり、マスコミの積極的な報道(最近は下火だが)もあって、日本人の関心も高かったように思われる。さて、このインドシナ難民問題が、来月、新たな局面を迎える。インドシナ難民への対応について、1989年に関係諸国が取り決めていた「包括的行動計画」(CPA)でそのプログラム終了期限が、今年12月31日に設定されているからである。来年からは、難民の資格審査はもとより、国際機関による難民支援も打ち切られる。そして、今後は定住の促進、または自主帰還の支援が各国政府によって進められることになる。

 しかし、実際には、いまだに難民の認定を待つ人々が約4万人おり、キャンプ生活を続けている。CPAの終結で、彼らに対して残された道は、自国への自主的帰還のみということになり、各キャンプは緊迫した雰囲気に包まれようとしている。マレーシアのスンゲイ・ベシ・キャンプ職員セシリア・アブラハムさんは「戻るくらいなら戦って死んだほうがましだといって、何をしでかすかわからないのは確かです」という。また、香港政庁の難民調整官ブライアン・ブレスニハンさんは「UNHCRが撤退して国際援助も無く置き去りにされたら、途方にくれる」という、香港は2万人以上の難民希望者をキャンプに抱えており、「たいへんな騒ぎになるだろう」と不安を隠せない。

 自主帰還は少しずつ進められてはいるが、キャンプによっては生れる数のほうが多いという。公式には難民問題が決着したにせよ、問題は山積しているようだ。

◆ 日本のインドシナ難民

 ところで、日本が受け入れたインドシナ難民は、いまどのような生活をしているのだろうか。  日本では、ベトナムから7221人、ラオスから1306人、カンボジアから1250人の合計9777人のインドシナ難民を受け入れているが、地域への定住は遅れているようだ。たとえば、難民の半数以上が職を得ておらず、定住先も決まらずセンターに留まっている人も234人(6月末現在)にのぼる。日本の難民事業本部では、今月をインドシナ難民雇用促進月間として、仕事の斡旋に力を入れている。  日本人は、遠くの難民には同情するものの、近くの難民には冷たいといわれる。また、日本が国際社会から難民を押付けられた(特に受入先の地域社会ではこの意識が強い)などと受け止めがちである。その根底には、難民は役に立たないと卑下する見方があるのかもしれない。  しかし、この見方は必ずしも正しくない。一口に難民と言っても多種多様である。高学歴者(あのアインシュタインも難民として合衆国に逃れた!)や、何らかの方面で卓越した技能を有する者も多い(特に、カンボジア紛争ではこうした人が標的とされ、国を逃れてきたことを思い出して欲しい)。日本人は、難民をせいぜい単純労働しか出来ない者と早合点し、元大学教授すら金属加工しか職をみつけられられない状況に追い込んでいる。日本で職を得た難民の実に85%が製造業、もしくは建築労務に従事している。難民を荷物だと考えれば、いつまでも確かに荷物のままであろう。しかし、異なる文化を取り込むことで、地域社会を活性化させてゆくのだという意識を持つことが出来れば、行き詰まりぎみの日本社会に新鮮な空気を送り込むことになるかもしれない。  ずいぶん昔の話だが、日本は百済・高句麗の滅亡後、多数の難民を受け入れることで、関東地方を開拓したり、仏教、医学、暦などを手にしたことがある。現代、ふたたび渡来した人々をどう生かしていくか、柔軟な理解が日本人に問われている。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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