■ 戦略から行動へ世界女性会議

1995年09月15日


 第4回世界女性会議が、9月15日閉幕する。すでに閉幕しているNGOフォーラムと併せると、世界各国から4万人もの人が参加することになるようだ。

 北京会議がことのほか注目されたのは、85年のナイロビ会議以来10年ぶりの会議であり、この間、東西冷戦の瓦解という変化があったからである。冷戦の終焉により、地球規模で問題に取り組むことができるようになった一方、勃発する民族紛争は女性への暴力を引き起こしている。また、経済体制の移行は女性の過剰労働を要求している。このような、新たな国際情勢をにらんで、根強く残る女性差別にどう行動を起こしていけるのか、議論がされている。

 開発途上国の女性問題は深刻である。国連によると、アジア・アフリカの多くの国において、25歳以上の女性の4分の3が読み書きができない。また、50万人近くの女性が、妊娠に関する病気で毎年死亡している。

 また、先進国においては「男は外、女は内」という不平等な性別分業体制が改められつつあり、女性の社会進出、「女も外」の方向に進んでいるように見受けられる。しかし、実は「女は内」という構造そのものは改善しておらず。女性は、家庭の内と外で二重の負担を負うことになっている。

 女性の前に立ちふさがる、こうした様々な問題を討議した後、最終日には具体策を盛り込んだ「行動綱領」を採択する。これまで、世界女性会議は各種世界会議の中でも、最も成功した例の一つといわれている。世界規模でみられる女性差別に起因する暴力、侵害、貧困などの抑止に有効な手立てを示せるかどうか注目される。

 ところで、この重要な会議には、日本からも約5700人が参加した。しかし、何しろ英語をしゃべれない人がほとんどで、日本人の日本語による勉強会をして帰るグループが多かったという。ちなみに誰の"ため"だったのかは定かではないらしい。各国の女性が集まって「平和における女性の役割」を激論している隣のテントで、茶会を催していた婦人会もあったとか。

 また、観光旅行のため、いなくなってしまうNGOも多く、31日には約30あった日本のNGO主催のワークショップも、2日後には一ケタになってしまった。たとえば、220人の富山県派遣団はチャーター機で北京入りしたが、開会式翌日には西安に向かったという。

【高山義浩・山口大学医学部学生】


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