2003/09/10

感染症トピックス 研究会目次


ペストとプレーリードッグ
 
東京大学大学院農学生命科学研究科 吉川泰弘
 
はじめに
  1999年の感染症新法制定の際、動物由来感染症が始めてヒトの感染症法の対象になった。最も厳しい対応を必要とする第1類感染症としてエボラ出血熱、マールブルグ病、クリミア・コンゴ出血熱、ラッサ熱のウイルス性出血熱と細菌感染症であるペストが対象となった。これらはいずれも動物由来感染症であるが、このときの政令ではサル類のエボラ出血熱とマールブルグ病が指定動物および指定感染症として定められ、輸入禁止・法定検疫の対象とされた。
  ペストに関しては1999年11月 CDCがわが国に輸入されるプレーリードッグにペスト感染のリスクがあることを伝え、国立感染症研究所と厚生省(現厚生労働省)に検討会・調整会が置かれた。 1999年と2001年に厚生科学研究費で輸入プレーリードッグのリスク評価が行われ、輸入規制の必要性が提言された。他方、2001年から財務省がげっ歯類の輸入統計を開始し、2002年4月に年間1万3千頭以上が輸入されていることが明らかになった。 2002年7月輸入動物に関する規制検討委員会が発足し、また厚生科学審議会感染症分科会感染症部会に動物由来感染症ワーキング・グループ(WG)が設置された。このWGは、1999年に施行された感染症法の5年後見直しのための検討を進める目的で組織されたものである。2002年8月米国のプレーリードッグ輸出施設で野兎病が発生し、CDCは国立感染症研究所に連絡してきた。厚生労働省は国内の輸入業者に連絡し自治体の協力を得て調査し、異常がないことを確認したが、個人に販売されたプレーリードッグの行方を把握することは困難であった。
プレーリードッグ

  野兎病はダニ等により媒介される細菌性の動物由来感染症である。ペストはノミによって媒介されるが、輸出施設で野兎病が発生したことは、同じ節足動物で媒介されるペストのコントロールが出来ていないことを意味する。 WGはリスクの大きさを考え、感染症部会を介して厚生労働省にプレーリードッグのペストを政令で指定動物と指定感染症の対象にし、輸入禁止措置をとるべきであることを提言した。この提案は2003年1月末の閣議で了承され、2003年3月 1日からプレーリードッグの輸入禁止措置が取られることとなった。

 
I ペストとは?古くて新しい感染症
  ペストは中世に黒死病と恐れられたあのペストである。ペストの歴史を振り返ると、その大流行は世界史上3回知られている。流行はいずれも中国を起源にしていると考えられる。6〜7世紀シルクロードを介してヨーロッパに広がった古典型〔Antiqua〕、14世紀の中世の大流行を起こした地中海型( Medievalis),および、19世紀以降の世界貿易の進歩に伴いネズミと共に世界中に拡散した東洋型( Orientalis)である。現在の世界各地で見られる流行株はこのときの株である。病原性は一番古い流行株が最も強く、最後の流行株が最も弱い。いずれの株も中国の中西部に現存している。
  ペストの原因菌はエルシニア・ペスティ(Yersinia pesti) で、先祖は反芻動物のヨーネ病(肉眼病変の類似性から偽結核とも言われる)の原因菌であるYersinia pseudotuberculosis と考えられている。この菌は水系感染(水路を介した伝播)を起こすが、ペスト菌は血液中でよく増殖できるように新たなプラスミドを獲得した。そのため砂漠近郊に生息するげっ歯類を宿主としノミを媒介動物として新たな生態系を確立したと考えられている。

  ペストは決して過去の疾病ではない。現在でも世界の多くの国々で発生している。 1991年から2000年の間に、アフリカ大陸ではマダガスカルの9,000人、タンザニアの4,700人をはじめ、モザンビーク、コンゴ、ナムビアなどで1,000人以上の患者が出ている。アジア大陸ではベトナムの2,900人、インドの900人の他に、ミヤンマー、モンゴル、中国、カザフスタン、インドネシアなどで発生が見られている。アメリカ大陸では米国が100人、南米ではペルーの1,300人、ブラジルの60人の他、エクアドル、ボリビアで流行が見られた。決して過去の疾病ではない。幸いペスト菌は多くの抗生物質(ストレプトマイシン、テトラサイクリン、クロラムフェニコールおよびニューキノロン系)に感受性であるが、治療が遅れると非常に高い致死率を示す。また肺ペストの場合はエロゾールで感染が拡がるので注意が必要である。

世界のPlague患者の発生状況
 
II ペストとプレーリードッグ
  プレーリードッグはげっ歯類、リス科の動物である。北米中西部(アリゾナ、コロラド、ユタ、オクラホマなど)を中心に米国からカナダに広く分布し、オグロプレーリードッグ、オジロプレーリードッグ、ガニソンプレーリードッグ、ユタプレーリードッグ、メキシコプレーリードッグが生息している。わが国には主としてオグロプレーリードッグとオジロプレーリードッグがペットとして輸入されている。
  ペストは前述したようにげっ歯類とノミの間で維持されている。北米ではプレーリードッグの他にジリス、リチャードソンジリス、ベルディングジリス、タウンゼンドジリス、ユインタジリス、カリフォルニアジリス、キンイロジリス、シマリス、ウッドラット、リスがペストの宿主となっている。キャリアーの動物種(enzootic host)はペスト菌に対して比較的抵抗性が高く、繁殖力が高いので、ノミが通年をとおして活動し、ペスト菌を次世代の動物に移していくと考えられる。ハタネズミやシカネズミがこれにあたる。他方非常に感受性が高く、致命的でペスト菌の敗血症を起こしやすい宿主(epizootic host)は、前述したジリス、リス、ウッドラット、プレーリードッグなどである。
  米国では1970年から1994年の間に、ヒトペストの原因動物として同定されたケースはリスが44.3%プレーリードッグが5.7%、ウサギ6.9%、ネコ5.3%、その他の肉食動物2.7%などである。通常、enzootic host からヒトが感染することはなく、ヒトへの感染はepizootic host から直接、あるいは伴侶動物などの他の動物種をとおして感染する。1959年から1998年まで米国では393例のペスト患者の発生が報告されており、そのうち240例で感染源が同定されている。プレーリードッグあるいはそのノミから、ヒトに感染した例は31であった。また図のように、米国でのペスト発生州は経年的に増加しており、1995年〜97年に発生したヒトの18症例のうち5例はプレーリードッグを介したものであり、2例は死亡している。 1998年5月にはテキサス州でノミを駆除し、10日間の検疫後売買された356頭のプレーリードッグのうち 223頭が輸送後ペストを発症するというケースが報告されている。
米国におけるペストの患者数と発生州数の推移
  
III プレーリードッグのペスト
  春から夏にかけて、ノミの活動が活発なりに、その年の初子が自由に動き回る時期(3月〜5月)に流行が起こることが多い。潜伏期間は明瞭ではないが、プレーリードッグは感受性が高く1週間から2週間以内と考えられる。発症した場合はほぼ100%死亡する。特にペスト特有の臨床症状は知られていない。野生げっ歯類では行動異常が認められるという報告がある。リンパ節の腫脹、鼻出血が認められる場合もある。しかし、一般には明らかな臨床症状は示さないで、突然死亡することが多い。
  プレーリードッグはペストに対する感受性が非常に高いので、国内に輸入され、長期間飼育されている個体がペストに感染していたり、ペスト菌を保有していることはあり得ない。しかし、輸入直後に原因不明で死亡した場合にはペストも疑う必要がある。
 
診断   死亡個体に関しては直接ペスト菌の莢膜抗原(fraction 1)を蛍光抗体法(直接法)で検出する。死後時間が経過していても骨髄から材料採取すると検査に使える。確定診断はペスト菌の分離、PCR法による遺伝子検出である。検査は地方自治体の衛生研究所で可能。
  
病理   プレーリードッグのペスト病変に関する記載はほとんどない。しかし、感受性の高い他のげっ歯類と類似していると考えられる。カリフォルニアジリスの場合は急性感染では出血性リンパ節炎、脾腫などが見られる。亜急性例では壊死性リンパ節炎、肝・脾の結節性巣状壊死。治癒例では化膿性巣状壊死を伴うリンパ節腫脹が見られている。他に、肺炎、鼻出血、胸部点状出血、脾の膿瘍などが認められたケースがある。
 
おわりに
  2003年3月1日からプレーリードッグは上述の理由から輸入禁止動物となった。従って、今後プレーリードッグに由来するペストの侵入が起こることは考えられない。しかし、プレーリードッグは既にエキゾチックペットとして、安定した人気を持っており、ニーズも高い。安全な個体を飼育するには繁殖個体を購入するか、検疫が始まれば検疫済みの個体を購入することになる。輸入検疫等に必要な条件に関しては現在検討中であるが、概ね以下のようなステップが必要とされると考えられる。
輸入プレーリードッグのペスト安全対策(案)
 
参考文献 1) 渡邊治雄 ペスト 感染症の診断・治療ガイドライン pp56-59 日本医師会
2)

山田章雄、渡邊治雄 プレーリードッグのペスト 同上 日本医師会



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