感染症トピックス 研究会目次


ダニ媒介性脳炎の国内外での状況
 
北海道大学大学院獣医学研究科環境獣医科学講座公衆衛生学講座  高島 郁夫
 
要約
 ダニ媒介性脳炎はウイルス感染マダニ吸血により罹患する致死率の高い(最大で30%)ウイルス性感染症である。これまで本症はヨーロッパと極東アジアを中心に毎年10,000人ほどの患者が報告されている。1993年に日本でも国内で初めての本症の患者が発見され、原因ウイルスが分離されたことから、ダニ媒介性脳炎ウイルスが日本に定着していることが明らかとなった。2001年には日本人男性がオーストリアのザルツブルグに滞在中にダニ媒介性脳炎に罹患し死亡した。このような状況から国内流行地の住民と海外の流行地への旅行者に対する情報の提供とワクチン接種による予防対策の実施が急務となっている。
 
関連情報:感染症衛生週報 2002年第4号 (国立感染症研究所) http://idsc.nih.go.jp/kanja/idwr/idwr-j.html
 
I 病気の概要

  ダニ媒介性脳炎はフラビウイルスによる人畜共通伝染病で、マダニ科Ixodiaeに属する各種のマダニにより伝播される。ダニ媒介性フラビウイルス(ダニ媒介性脳炎群ウイルス)が原因となる疾患としてロシア春夏脳炎、中央ヨーロッパ型ダニ脳炎、跳躍病、キャサヌール森林熱、オムスク出血熱、ポアサン脳炎等があり、ともに高い致命率で重篤に経過する特徴を有する。

 
II 病原体

  ダニ媒介性脳炎群のウイルスはフラビウイルス科フラビウイルス属に属する。ウイルス粒子は球形で40〜50mmの直径を持ち、分子量約4×106ダルトンのプラス鎖の1本鎖RNAと3種の構造蛋白を含む。エンベロープ糖蛋白は分子量51,000〜59,000で、M蛋白(7,000〜9,000)とともにエンベロープを構成する。カプシド(C)蛋白は分子量13,000〜16,000で粒子内部に存在する。ウイルスの感染性は乾燥や熱(72℃10秒)により容易に失活し、またプロテアーゼ、ホルマリン、βープロピオラクトン、過酸化水素、エーテル、デオキシコレート、TritonX-100等によっても失われる。

 
III 疫学ならびに生態
1) 患者発生状況
  世界におけるダニ媒介性脳炎の患者発生数は、患者数の集計が整った1990年以降、毎年6,000人以上であり、1993年と1994年には10,000人前後に増加している。ロシアにおける患者数は全体の50%以上を占めており、さらに1995年には4,038名、1996年には5554名、1997年には9,592名と依然多発傾向にある。
 
2) ウイルスの生態
  ウイルスの感染環は、以下の様である。病原巣動物となる小型野生哺乳類や鳥類から幼ダニと若ダニは吸血によりウイルスを獲得する。ウイルスは経齢間伝達と経卵巣伝達によりダニの間で維持されている。成ダニ、若ダニの吸血を受け、ヒト・家畜および大中野生哺乳類はウイルスに感染し、その一部は発症する。各ウイルスごとにまた地域ごとに媒介マダニと病原巣動物の種類は異なっている。

  ロシア春夏脳炎ウイルスはソ連のシベリア地域およびソ連極東地域の針葉樹林帯に生息するマダニ Ixodes persulcatus (シュルツェマダニ)により主として媒介される。 Ixodes persulcatus は幼虫と若虫の発育期に森林に生息する小齧歯類と小型鳥類に寄生し、成虫期に大型の野生動物や家畜に寄生する。このうち齧歯類と燕雀類のトリから、頻回にウイルス分離のみられることから、これらが病原巣動物として重要視されている。 Ixodes persulcatus おいては卵を介した本ウイルスの垂直伝達(経卵巣伝達)と各発育期を通じたウイルスの伝達(齢間伝達)の起こることが証明されている。

  ヨーロッパにおいてはロシア春夏脳炎に非常に類似した中央ヨーロッパ型ダニ媒介脳炎が存在する。本病の媒介はこれらの地域森林地帯に生息するマダニ Ixodes ricinus による。 Apodemus と Clethrionomys 属の齧歯類、モグラ、ハリネズミからウイルスが分離されており、病原巣動物とみられている。オーストリアやスイスでは齧歯類の個体密度の高い混成林に流行巣が見出される。ヒトはこのような流行巣において媒介マダニの刺咬により本病に罹患する。またヤギも感受性を有し、乳腺中で増殖したウイルスが乳汁中に移行する。ヒトが、汚染したヤギ生乳を飲用するとしばしば発病する。
 
3) 北海道におけるダニ媒介性脳炎の疫学
(1) 経過と患者発見
 これまでわが国にはダニ媒介性脳炎の存在は知られていなかったが、最近北海道においてダニ脳炎の患者が発見されさらには原因ウイルスが分離されるなどダニ脳炎ウイルスの流行巣の存在が明らかとなった。患者の発生状況および臨床症状は以下のようであった。北海道渡島支庁管内K町の一酪農家の主婦が、1993年10月27日39℃代の高熱、嘔気と頭痛を伴って発症し、2病日には複視が出現し、3日後に入院したが高熱、歩行障害、痙攣発作が現れたため挿管し人工呼吸を必要とした1)。1994年の2月に退院したがダニ脳炎に高率に見られる後遺症の上肢および頚部の麻痺が2年後においても残った。
 
(2) 患者の血清診断
  血清の日本脳炎IgG-ELISA抗体は有意に上昇したが、日本脳炎の診断に決定的なIgM-ELISA抗体は陰性であった(表1)。そこで他のフラビウイルスの感染を疑いより特異性の高い中和試験を用い抗体価を測定した。日本脳炎に対しては急性期、回復期ともに低い抗体価にとどまったが、ロシア春夏脳炎には急性期ですでに640倍と高く、回復期では2,560倍と有意に上昇した2)。これらの成績から本症例はダニ媒介性脳炎ウイルスの感染によることが、血清学的に診断された。さらに原因ウイルスは強毒型のロシア春夏脳炎ウイルスまたはそれに類似したウイルスによると推定された。
 
(3) 患者発生地区における疫学調査
  1995年には当地区においてイヌを歩哨動物として疫学調査を実施した(表2)。患者発生農家の隣接農家でイヌ10頭を放し飼いにし4月22日から毎週一回採血し中和抗体の測定とウイルス分離に供した。4月22日では全例中和抗体10倍以下の陰性であったが、5月4日には2頭が陽転し、5月27日には5頭が抗体陽性となった。イヌの血液につき哺乳マウスの脳内接種法でウイルス分離を試みたところ、3頭からウイルスが分離された3)
  1996年4月と5月に調査地区において植生上から採集したヤマトマダニ成虫のメス300匹、オス300匹の計600匹をウイルス分離に供した。メスの15プール計300匹から2株のウイルスが分離され、マダニの最小感染率は0.33%と算出された(表3) 4)

  分離ウイルスの同定のため単クローン性抗体(ウィーン大学. F. X.Heinz博士より分与)を用いた蛍光抗体法を実施した(表4)。分離株 Ohima5ー10, 5ー11, 3ー6およびダニ分離株O-I-1,O-I-2はほとんどのフラビウイルスに反応する6E2,ダニ脳炎群ウイルスに反応する2E7,ダニ媒介性脳炎ウイルスに型特異的な7G7にともに高い抗体価を示した。このことから分離されたウイルス株はダニ媒介性脳炎ウイルスと同定された。

  さらにイヌ血液から分離されたダニ媒介性脳炎ウイルスのエンベロープ蛋白遺伝子の塩基配列を決定した。分離ウイルスとロシア春夏脳炎ウイルス(Sofjin株)を比較すると、塩基配列では95.7%、アミノ酸配列では99.0%の相同性を示した(表5) 3)。このことから患者発生地区で分離されたダニ媒介性脳炎ウイルスは、ロシア春夏脳炎型と同定された。

  次に、患者発生地区において野ネズミを捕獲しウイルス分離に供したところ、エゾヤチネズミとエゾアカネズミからそれぞれ1株のダニ媒介性脳炎ウイルスが分離された5)。またウイルスの汚染地区を特定するため道内各地からウマとイヌの血清を集め、血清疫学調査と実施したところ14支庁の中、渡島、檜山、胆振および後志の道南の4支庁において抗体陽性の個体が発見されこれらの地区にウイルスの汚染が広がっていることが判明した5)
 
4)オーストリアにおける日本人男性の感染・死亡例

  61歳の日本人男性がオーストリアに住む娘さんを訪ねたが、2001年6月2日に田舎においてダニに刺された。その後6月19日には髄膜炎を生じてオーストリアで入院となっている。病状は急速に髄膜脳炎ヘと進展し、6月22日にはダニ媒介性脳炎(TBE)の診断が付いたが、四肢麻痺、意識障害(会話不可能)を生じ、器械的人工呼吸が必要となり、9月6日には右大脳半球の出血にて死亡した。

 
IV 臨床症状と病原性
  ロシア春夏脳炎のヒトにおける症状は、頭痛、発熱、悪心および嘔吐に始まり、発症極期には精神錯乱、昏睡、痙攣および麻痺などの脳炎症状の出現することもある。致死率は30%で、回復しても多くの例で麻痺が残る。
  中央ヨーロッパ型ダニ媒介性脳炎の病型はロシア春夏脳炎のそれに非常に似ているが2峰性の熱型を特徴とし、症状が比較的軽く、致死率も1-2%と低い。
 
V 診断
  ダニ媒介性脳炎の実験室内診断には、酵素抗体法、赤血球凝集抑制反応、補体結合反応、中和反応を用いてウィルス特異的抗体を検出する。特に急性期に特異的なIgM抗体の検出されること、または回復期血清の抗体価が3〜4倍に増加することが血清診断の決め手になる。
 
VI 治療
  ダニの咬着を受けダニ媒介性脳炎を疑う場合には、ダニ媒介性脳炎特異的人免疫グロブリンによって患者を治療する。本免疫グロブリンの投与により病状が軽減することが示されている。脳膜炎型の患者でも、免疫グロブリンの多量投与を受けた場合は9-10日で正常な状態に回復するとされている。本免疫グロブリン製剤はオーストリアのIMMUNOAG 社から市販されている。
 
VII 予防
  感染マダニやウイルス保有動物との接触を避けることが重要である。ヤギの乳を充分に加熱殺菌してから飲むことが中央ヨーロッパ型ダニ媒介性脳炎の腸管感染の予防において重要である。

中央ヨーロッパ型ダニ媒介性脳炎ではワクチンが開発されオーストリアのIMMUNOAG社から市販されている。接種スケジュールとしては、1ヶ月間隔で2回接種し、1年後に3回目の追加接種を行う。本ワクチンは中央ヨーロッパダニ媒介性脳炎に99.0%以上の防御効果を示すことが野外試験で示されており、またロシア春夏脳炎にも有効と報告されている。我々は本ワクチンのダニ媒介性脳炎ウイルス北海道株に対する効果をマウスモデルにおける感染実験とヒトにおける中和抗体産生能をもとに評価したところ、マウスの感染死を防止するとともに良好な中和抗体の産生がみられ北海道株に有効なことが示された7)

  しかし本ワクチンは日本では許可されておらず、これを接種するためにはIMMNUNOAG社から直接輸入しなければならず、その手続きは非常に繁雑である。わが国でも北海道にダニ脳炎ウイルスが定着していることが判明し、上述のようにオーストリアでは日本人の死者が出た。またシベリアなどの流行地に赴く日本人が増加し毎年7,000人を越えている。このような状況下で国内の流行地区の住民と国外の流行地に旅行する日本人を対象としたダニ脳炎予防のためのワクチンの実用化が緊急の課題となっている。
 
文 献
1)

竹澤周子ほか:ロシア春夏脳炎の一例、神経内科、43: 251-155, 1995.

2) 森田公一ほか:北海道で発生したダニ脳炎と考えられる1例、病原微生物検出情報、15:273-274,1994.
3) Takashima I., et al.: A case of tick-borne encephalitis virus in Japan and isolation of the virus. J.Clin.Microbiol, 35: 1943-19478(1997)
4) Takeda I., et al. : Isoaltion of tick-borne encephalitis virus from Ixodes ovatus (Acari: Ixodidae) in Japan. J Med. Entmol, 35: 227-231(1998)
5) Takeda T., et al.:Isolation of tick-borne encephalitis virus from wild rodents and seroepizootiological survey in Hokkaido. Am J Trop Med Hyg 60: 287-291 (1999)
6) Hayasaka D., et al, Phylogenetic and virulent analysis of Tick-borne encephalitis viruses from Japan and Far East Russia. J Gen Virol, 80:3127-3135 (1999)
7) Chiba N., et al. Protection aginst tick-borne encephalitis virus isolated in Japan by active and passive immunization. Vaccine17:779-787 (1999)
 
 
表1 血清・髄液 抗体検査成績
サンプル(病日) 抗日本脳炎抗体価 抗フラビ中和抗体価
IgG-ELISA IgM-ELISA HI 日本脳炎 ロシア春夏脳炎 根岸 アポイ
血清(6病日) 1,600 <100 20 10 640 40 <10
血清(43病日) 16,000 <100 160 20 2,560 320 10
髄液(52病日) 1,600 <10 20 NT NT NT NT
 
表2 イヌを歩哨動物としたダニ媒介性脳炎の疫学調査成績
   −感染時期の特定とウイルス分離, 1995年−
イヌNo. ダニ脳炎(ランガット)ウイルス中和抗体価
4月22日 5月4日 5月13日 5月20日 5月27日
<20  <20  <20  <20 <20
<20  <20  <20  <20 <20
<20  <20  <20  <20 <20
<20  160   80   40  80
<20 <20★  640    320  160
<20  80   80   80  80
<20  <20  <20  <20 <20
<20  <20  <20 <20★  160
<20  <20  <20 <20★  160
10 <20  <20  <20 <20 <20
★;哺乳マウス脳内接種法によりウイルスが分離された。
 
表3 植生上から採集したマダニ類からのウイルス
マダニ個体数 グループ数 陽性グループ 感染率 (%)
Ixodes ovatus 成虫 300 15 2* 2/300(0.67%)
(ヤマトマダニ) 成虫 300 15 0 0/300(0%)
総数     600 30 2 2/600(0.33%)
*,分離ウイルスは単クローン性抗体を用いた蛍光抗体法によりTBEウイルスと同定。
 
表4 単クローン性抗体を用いた蛍光抗体法による分離ウイルスの同定
  イヌ分離株 ダニ分離株
特異性Mab.No.1) IFA 2)
抗体価
日脳3) ランガット RSSE4) Oshima
-5-10
Oshiam
-5-11
Oshima
-3-6
O-I-1
0-I-2
フラビ共通6E2 >6400 1600 6400 >6400 >6400 >6400 6400 >6400
ダニ脳炎群特異的2E7 <100 >6400 6400 >6400 6400 >6400 >6400 >6400
型特異的7G7 <100 < 100 6400 1600 1600 1600 6400 6400
1)単クローン性抗体(MAb)No.  2)蛍光抗体法(IFA)  3)日本脳炎(日脳)  4)ロシア春夏脳炎(RSSE)
 
表5 分離ウイルスのダニ媒介性脳炎群ウイルスとのエンベロープ遺伝子の相同性
ウイルス 相同性(%)
核酸 アミノ酸
ロシア春夏脳炎 95.7 99.0
中央ヨーロッパダニ脳炎 84.3 95.8
跳躍病 81.9 91.3
スペイン羊脳炎 81.8 81.8
トルコ羊脳炎 81.8 93.5
キャサヌール森林熱 72.2 81.2
ポワッサン脳炎 69.8 78.9


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