54. 助けようという勇気
「応急手当て」とは何だろうか。応急手当ての知識や方法を習得することは大切なこ
とではあるが「けが人を助けたい。少しでも痛みを和らげてあげたい。不安な気持ちを
取り除いてやりたい。」という思いやりがなけれが、いざという時、実際に目の前で苦
しんでいる人を救うことはできない。
事故発生から病院に運ばれて2時間。緊迫していた救急室内は一変して、どう
しようもない悲しさとむなしさで静まり返った。そこには両親が駆け付けるのも待たず
息を引き取った9歳の少年が、静かにベッドに横たわっていた。やるせなく孤独で、あま
りにも早い死であった。
「交通事故でけが人が出た」との通報を受け、私たち救急隊が現場に向かったのは午
後4時。朝から雨が降り続き、視界の悪い、暗い日だった。
現場近くには人垣ができ、事故を起こした車の前には、真新しい自転車がめちゃめ
ちゃに壊れて転がっていた。
そばで運転手がぼう然と立ち尽くしているが、肝心のけが人が見つからない。「どな
たがけがをされたのですか」。私たちの問い掛けに、一人が側溝を指差し「もうだめ
だ」とばかりに首を横に振った。
慌てて側溝に掛け寄ると、そこには血まみれの少年の姿があった。うつろな目、冷た
い顔。しかし、小さな口で精いっぱい呼吸をしていた。
想像を絶する激痛。意識が朦朧としていく中で、この子は一体何を考え、訴えたかっ
たのだろうか。「お父さん、お母さん、寒いよ」と大きな声で叫んだのかもしれない。
しかし周囲の人々は、事故をあれこれ説明したり、ただ見守るばかり。少年を抱え上
げ「頑張れ、もうすぐ救急車が来るぞ」と励まし、毛布などで体をくるんでくれた人は
いなかった。
応急手当、それは危機を向かえている人に声を掛け、手を当てることだ。直接触れる
ことで身体的にも精神的にも癒(い)える。そして最も大切なことは、手を当てようと
する勇気であることを忘れないでほしい。
(秋田市城東消防署・救急救命士・菊地正人)