ミトコンドリア糖尿病の1例

坂下厚生総合病院内科 江川雅巳


要約

糖尿病,感音性難聴,肥大型心筋症,骨格筋萎縮および尿細管障害があり,ミトコンドリア遺伝子3243(A-G)変異を有する57才男性に対し,有酸素運動療法を4週間行い,前後にinsulin分泌能およびinsulin感受性を評価した.

l-arginine 負荷試験時血清IRIは頂値が9.7から12.1μU/mlに改善傾向を示した.

insulin 負荷試験時Kittは2.5から4.0%/minへ改善し,IRIの半減期は8.2から4.8minに短縮した.

また,安静時血清乳酸は19.3から13.1mg/dlへ低下し,運動療法を中止した退院後は22〜25mg/dlへ再上昇した.

ミトコンドリア糖尿病における運動療法の効果については一定の見解を得られていないが,少なくとも本例では軽い運動が有益であると考えられた.


ミトコンドリアの基礎知識

動植物の細胞内に多数存在.(ヒト肝細胞1個あたり 1,000〜 3,000個,植物細胞1個あたり 100〜200個.)

ヒト受精卵のミトコンドリアは母親由来.

遺伝子(mtDNA)は環状2本鎖で,核DNAと別個に存在する.

mtDNA と核DNA のいずれの異常でも,ミトコンドリアの障害が起こりうる.

クエン酸回路と電子伝達系の場.細胞のエネルギーのほとんどを産生する.


症例呈示

症 例

57才,男,無職(もと土木建築作業員).

 

主 訴

高血糖の治療.

 

家族歴

∴ 糖尿病,難聴の母系遺伝が示唆された.

 

嗜 好

喫煙20本/日x40年.飲酒5勺/日x30年.

 

既往歴

特記すべき事なし.

 

現病歴

52才,口渇および労作時の動悸・息切れが出現し,検診で初めて高血糖を指摘された.A病院で糖尿病と診断され,SU剤を処方された.

間もなく転居したためB医院へ紹介されたが,HbA1cが 8.9〜11.0% であった.

53才,聴力低下が出現し,56才時聾となった.

57才の7月23日,住民検診で FPGが 650mg/dl と高く,高度尿糖も指摘された.

8月21日,当科を紹介され受診した.

 

理学所見

身長 159 cm,体重 34 kg.(BMI 13.4 kg/mm2.

血圧 89/64 mmHg.脈拍数 95 /分.

高度難聴.

心雑音なし.呼吸音正常.

四肢腱反射は減弱〜消失.

振動覚は正常.

ミオクローヌスを認めない.

眼底正常.外眼筋麻痺なし.

 

画像検査

心エコー: 対称性心著明肥大(IVS 20.0 mm,LVPW 17.3 mm).EF 55.8 %.

腹部エコーおよび腹部CTは正常.

 

血液・尿一般検査

BSR 12 mm/h     GOT 114 IU/l     FPG 734 mg/dl
30 mm/2h GPT 89 IU/l 総ケトン体 32 uM (N < 130)
CRP 0.3 mg/dl ALP 388 IU/l  アセト酢酸 10 uM (N < 55)
LDH 657 IU/l  3-OH-酪酸 22 uM (N <85)
WBC 5400 /mm3 LAP 124 IU/l
 Ne. 74.2 % T.Bil 0.85 mg/dl 動脈血
 lym. 24.2 % CPK 170 IU/l  pH 7.39
 mo. 0.8 %  PaCO2 43.6 mmHg
 eos. 0.3 % TP 5.9 g/dl  PaO2 93.6 mmHg
 bas. 0.5 %  分画 正常  HCO3- 25.8 mM
RBC 407 万/mm3 TC 204 mg/dl  BE +1.1 mM
 Hb 11.9 g/dl HDL-C 51 mg/dl  Anion gap 17.9 mEq/l
 Hct 36.1 % TG 217 mg/dl
PLT 27 万/mm3 尿
BUN 18.7 mg/dl  pH 6.0
HBsAg (-) Creati 0.6 mg/dl  SG 1.010
HCVAb (-) UA 4.3 mg/dl  蛋白 (-)
STS (-) Na 130 mEq/l  糖 5.6 g/dl
K 5.7 mEq/l  ウロビリノーゲン 1.0
便 Cl 92 mEq/l  アセトン体 (-)
 潜血 (-) Ca 9.0 mg/dl  潜血 (-)

 

その他の検査

○ 聴力障害について

   聴力は完全に消失.(耳鼻科では”特発性進行性両側性感音難聴”と診断.)

○ 腎機能

    Ccr 93.5 ml/min, PSP (15') 17 %, (30') 30 %, FCT 1.013 (尿糖陰性時).

    尿中Alb 108 mg/g・Cr (n < 10)

      ※ 尿細管に優位の軽度の障害.

○ 肺機能

    VC 58.7%,FEV1.0 75%.

      ※ 拘束性呼吸障害に分類されるが,呼吸筋力低下が示唆された.

 

耐糖能障害関連検査

FPG 365 mg/dl     CA19-9 73 U/ml
PPG 734 mg/dl TPA 96 U/l
HbA1c 19.3 % tripsin 270 ng/ml
u-CPR 7.2〜22 μg/日 lipase 28 IU/l
amylase 70 IU/l
抗 insulin 抗体 (-) Fe 74 μg/dl
抗 GAD 抗体 (-) A/G 1.8
CAMPAS-P1 82.6 %

∴ インスリン分泌低下を伴う高血糖状態が持続しており,膵炎症性疾患や自己免疫性糖尿病は否定的.

 

耐糖能病態検査

インスリン分泌能

インスリン感受性

・インスリンは著しい低反応.

・グルカゴンは前値が高く,低反応(2倍に増加).

・成長ホルモンは前値が高く,低反応.

・インスリンの半減期は 8.2分(正常 4〜7分)と延長.

・血糖の半減期は 28.3分,

・血糖消失のK値(Kitt)は 2.4 %/minと低下傾向.

∴ インスリンの分泌能,利用能とも低下.

 

有酸素運動負荷試験

   〜 エルゴメーターを用い,15Watt x 15分 の軽い負荷をかけた.

時間(分) 乳酸 ピルビン酸 乳酸/ピルビン酸
0 13.4 0..83 16.1
5 17.4 0.97 18.0
10 20.8 1.03 20.2
15 23.3 1.15 20.3
30 21.9 1.14 19.2

∴ ミトコンドリアにおける電子伝達系障害を認めた.(ただし,高度とは言えない.)

 

右大腿四頭筋生検

     〜福島県立医科大学神経内科 杉山泰二先生

・HE染色で大小不同の筋線維が散在し,周辺が濃染.

・Gomori染色でragged-red fiber(+).

・炎症性変化は認められない.

・一部の筋線維で CCO 活性が低下.

・SDH染色で濃染する筋線維が散在.

∴ ミトコンドリア異常を伴う筋の異常が示唆された.

 

遺伝子検査

     Athena Diagnostics, Inc. ,Massachusetts, USA.

tRNALeu 3243 allele I: MELAS 3243 A - G mutation

・tRNALeu 3243 allele 2: nomal (wild type)

tRNALeu 3271 allele I: normal (wild type)

∴ ミトコンドリア遺伝子に,MELASにしばしば認められる変異が確認された.

 

最終診断

○ミトコンドリア機能異常による多臓器障害

  インスリン分泌不全による糖尿病.
  筋症.
  肥大型心筋症.
  難聴.
  間質性腎障害.

○その他の特記すべき所見:

  低肺機能.
     呼吸筋の筋力低下以外に喫煙も影響していると考えられた.


本例における運動療法の効果

ミトコンドリア筋症と運動療法の参考意見

有酸素運動は正常mtDNA を外套細胞から筋線維へ移動させ,ミトコンドリア筋症を遺伝子レベルで治療する事により,ミトコンドリア筋症において他の筋症や正常者よりも良い効果を期待できる.

Taivassalo T,et al:Muscle Nerve 1999 Sep.

ミトコンドリア筋症の56才女性に対し,口頭で運動制限を指導したところ,血糖レベルが改善した.

鴨井久司,佐々木英夫ら:糖尿病2000;43.

目的

本例における運動療法の効果を調べる.

 

方法

平日の午前と午後に,おのおの30分間有酸素運動を実施させる.

1か月後にインスリン分泌能とインスリン感受性を測定し,運動前と比較する事により運動療法の短期効果を検討する.

その後も外来で運動指導を継続し,長期効果を検討する.

 

検討項目

1) 負荷試験

  インスリン分泌能:l-アルギニン試験.

  インスリン感受性:インスリン試験.

2) 乳酸・ピルビン酸の経過を追う.

 

インスリン分泌能に対する効果

運動療法前

運動療法1か月後

∴ インスリン分泌能は僅かに改善.

 

インスリン感受性に対する効果

運動療法前

運動療法1か月後

 

IRIの半減期は(前)8.2 → (後)4.8分に著明改善.

血糖消失のK値(Kitt)も(前)2.5 → (後)4.0に著明改善.

∴ インスリンの感受性が著明改善.

 

乳酸・ピルビン酸の経過

退院後,肥大型心筋症に併発したうっ血性心不全発作を頻発したが,利尿剤などで徐々に発作回数が減少した.

心不全の増悪を機に運動を一時中断したが,家族の勧めで友人と釣りに勤しむようになった.喫煙は10本/日.

3年後の状態:体重37〜39kg.安静時血中乳酸18〜30,ピルビン酸0.6〜1.0mg/dl.昼食後血糖144〜256mg/dl,HbA1c 6.5〜8.1%程度.

4年後,炎症性疾患(確定診断はつかなかった)に罹患し,小球性貧血,(腎前性?)腎不全を併発.全身状態も弱っており死亡した.

∴ ”釣り”で’乳酸/ピルビン酸’は変化しなかった.

  インスリン補充療法 6単位/日(0.16単位/kg/日)を併用し,HbA1cはゆっくり低下した.

 

結語

本例では軽度の有酸素運動により,短期的にはインスリン感受性の改善が目立った.長期的には,ミトコンドリア機能の低下を伴わなかった.血糖レベルの改善に,ある程度寄与したと考えられた.


報告

江川雅巳,杉山泰三. ミトコンドリア病の一例. 福島農医誌43(1), 29-31. 2000.

2000年 福島糖尿病フォーラム(口演のみ)


2000/08