特別企画
「20年を振り返る」


 核医学技術の貢献者 -日核技関東地方会を中心に-
      東邦大学医学部付属大森病院 小堺加智夫 先生



はじめに
 日本核医学技術学会関東地方会20周年を記念して、学術大会において特別企画が計画され、表題のテーマで日核技関東地方会核医学技術者の今日までの足跡を辿りながら先輩の功績を紹介するよう実行委員会から指示された。
 ここで全てを紹介することは到底無理があり、私自身がこの20年間においてご指導を頂いた先輩の方々ならびに同僚および後輩を中心に振り返って見る。また、私の不注意からご紹介が洩れた場合には、ご容赦を宜しく願う次第である。幸い、20周年記念誌に足跡をまとめる編集に携わり、その中で関東地方会の活動を中心に、年間の事業、総会・学術大会、役委員会名簿を詳しく掲載させて頂いているのでご覧下さい。
 先ずは、国外国内の黎明期を振り返り、核医学技術に関係する学会ならびに本関東地方会との拘わりの技術者を紹介しながら、本題の役目を果たしたいと考えている。

Ⅰ.黎明期の核医学
 核医学はベクレルによるベクレル線(放射能)の発見から始まり、キューリー夫妻のラジウム、
ヘベシーのトレーサー、J.キューリーの人工放射能、ラウレンスのサイクロトロン、ラッセンのスキャナー、アンガーのシンチカメラとポジトロンカメラ、そしてスペクト更にはバーソン&ャローによるラジオイムノアッセイ等が上げられる。
国内では仁科芳雄博士による理研のサイクロトロン、そして経口投与による体内循環、戦中米国によるサイクロトロン破壊、民間貿易による131Iの輸入、更に理研のサイクロトロン再開によるアイソトープの配給、それ以前に日本放射性同位元素協会協会(日本アイソトープ協会)設立、順次に完備した関係法令、医療アイソトープによる廃棄物の集荷が始まる等、核医学は益々隆盛を見、アイソトープはより短半減期に、機器はスキャナーからカメラそしてコンピュターを駆使したスペクト・ペットへと進んでいる。

Ⅱ.他の学会に関係する技術者
 技術に関係する学会は、日本放射線技術学会が早くから京都に事務局を構えて今年59回を迎
え、本家の核医学を目的とする学会では日本核医学研究会(第4回から学会)が東大に事務局(現在は日本アイソトープ協会)を置いてから43回を迎える。その日本放射線技術学会に関しては、前日本放射線技師会の中村実会長が第8回大会においてヨードを用いて「二次特性X線の利用について」を発表、その後、第17回大会で長崎大の高橋彬が「低率計数除去回路の1例」、第18回大会で東芝の西堀清美等が「リニアスキャナーの試作研究」を発表している。また日本核医学会においては、第5回大会において金沢大で共同演者として松平正道が「MUHCによる多核種シンチスキャニング」を発表している。

Ⅲ.関東地方会に関係する技術者
 関東地方会は都、県の研究会組織で活躍され、神奈川が技術者を中心とする研究会で全国最も早く設立、東京が翌年に続いている。これ等の研究会が全国組織の日本核医学技術研究会(第10回総会で学会に改称)設立に際し、関東で固いまとまりを示して来ている。同時に関東ではそれより早い1年前から東京・千葉の合同研究会が千葉で開催され、続いて東京において東京・千葉・神奈川の合同、神奈川で東京・千葉・神奈川・埼玉の合同、埼玉は東京・千葉・神奈川・埼玉の合同として第4回として開催、その翌年から1都8県で関東地方会を設立して事務局を東邦大学大橋病院に置いて、埼玉医大 関守雄会長の下に茨城の水郷でスタートしている。
これ等の内容については、記念誌に掲載されているが、更にデータを整理・追加して関東地方会における「核医学技術の貢献者」として紹介する。