萩原先生ありがとう
大空の萩星に喝采そして乾杯
萩原先生を偲んで
帝京大学 喜多村道男
萩原先生お元気ですか。退屈などしていませんよね、やることの多い人でしたから、こっちでやり足りなかったことや、そろそろ始めようかなと思っていたことが沢山あったんですよね。
きっと今頃、じっくりと楽しんでいるんでしょうね。喜多さんはどう、耳元で今も聞こえるようです。こっちですか、いまんとこお見通しの通りですよ。で、思いっきり勉強もしたし、仕事も気違いのようにしたし、好きな趣味も遊びも相変わらず旺盛ですよ。そろそろ閻魔様の顔色も気になりますが、もう少しこっちで山のようにすることもあり、自分のやり方で楽しみたいと思っていますがよろしいでしょうか。どっちみち垣間見に来たこの世ですから、いずれそっちでまた核医学を一緒にやりましょう。
研究会事務局を虎の門から三井記念に移した頃でしたか。三井記念病院の7階会議室での研究会で、新設して間もない帝京大学病院産科の先生にエストロゲンレセプタ−の講演をお願いした時でした。細長い会場の後ろに萩原先生をお見かけしたのが先生との出会いのように思います。
それから幾星霜、研究会を通して人となりに触れる機会も多くなりました。年上であることや多感な面、研究会や学会への深い情熱と指導力、そして包容力や博識、人生観、趣味、家族への思いなどを知りました。小生のお手本にもってこいの生き方に共鳴し支えられました。今もお手本にしています。
何より素敵なことは優しさと強さそして勇気あるお洒落とモダン性に喝采です。先生、
痒いところに手の届かない表現で歯がゆいでしょうがお許し下さい。
思うに、凱旋門近くのコンコルド・ラ・ファイットホテル(The3rd worldcongress of nuclear medicine and biology ・Hotel Con cord Lafayette 1982)の学会では、3週間もご一緒しましたね。毎晩遊び耄けてホテルに帰ってから寝るのが惜しくて、ロビ−に降りラウンジでカクテルをオ−ダ−しましたね。(カクテルの名前がポンポン飛び出るのには驚きました、こっちは教えて貰ったダイキリを毎晩オ−ダしたのを覚えています)
小生、最初のパリでしたのでブロ−ニュの森やセ−ヌ河畔を毎朝夕ジョッキングしたり、単独行動で精力的に動き回りましたが、先生はもっと文化的な行動をしていましたね。
その後、フランス原子力庁・ロイヤルマ−スデHP(ロンドン)・ベルゲン・オスロ・カロリンスカHP(ストックホルム)などのオプショナルツア−でもご一緒しましたが驚いたことに写真がありません。レセプションの時の横顔とベルサイユ行きの列車待ちでコーヒショップでのスナップがあるだけでとても残念です。
先生、またのんびりと旅行もいいですね。大空で瞬く三ツ星の周りのアルデバラン・リゲル・シリウスあたりのツア−もいいかも。ところで先生はどの星ですか、mail教えて、必要ないですよね。こちらで思っていることや、言っていることを全て見たり聞いたりしているんでしょ。
これからも、核医学技術研究会やみんなを見守りそして幸運へお導き下さい。
大空にきらめく萩星に喝采、そして乾杯。