後発品問題は存在しない
ーただでさえ忙しいのだから、評論家気取りは暇人に任せて、あなたは目の前の患者に集中しよう。ー

後発品について口角泡を飛ばして議論をするのは愚か者のやることだ。先発品と後発品の直接比較試験がない以上、どこがどう同じだの違うといった議論は無意味である。いつもデータをもとにして議論しろと言いながら、データ無しで議論している。そういう人間を愚か者という。

後発品問題の議論は、厚労省をお上とあがめてべったり依存する医師達と、その依存心に迎合することによって余計な仕事を作り出し、ポジションと予算を獲得してきた役所との間の不毛な論争の典型例である。

厚労省が言えるのは、「後発品は贋物ではありません」。ただそれだけだ。あとのことは、「わかりません」 そう正直に言えばいいだけだ。それなのに、わからないことを、さもわかったようなふりをしなければならない。そこに厚労省の不幸(そして真骨頂)がある。

たとえば、厚労省は後発品には効能追加を認めない。先発品と後発品は同じと言いながら、違うと言っている。厚労省だってそんな二重基準は採りたくないだろうに、そんな無理を強いているのは誰か?

それは医者である。彼らは、薬の専門家を自称しながら、薬のことなど何も知らない。つまり彼らも二重基準だ。医者が薬のことなど何も知らないとの私の主張には明白な根拠がある。彼らは、審査報告書など、一度も読んだことがないどころか、審査報告書って何?という水準にとどまっている。そんな連中が後発品のことになると、やれ品質だの何だのと偉そうに言うのだから片腹痛い。薬の素人と言われて悔しかったら、先発品の審査報告書を読んでから物を言ってみろ。

彼らは、薬のことなど何も知らないから、厚労省に薬のことを全面的に依存し、何でもかんでも担保を求め、いつまでたってもオムツが取れない幼子として振舞う。厚労省は(よしときゃいいのに)、その依存心に全面的に迎合する結果、自己矛盾に満ちた行動に走る。すなわち、根拠となるデータがないのに、後発品使用促進が医療費抑制になるという妄想に囚われる。その結果、生物学的同等性試験しかデータがないのに、値段以外のあらゆる点で、先発品と後発品は同じかのような発言を繰り返す。別の場面では、臨床試験データに基づき追加の効能効果を承認するという国是を曲げるわけにいかないので、先発品は後発品とは違うと宣言する。

「後発品は贋物ではありません」 厚労省は、それだけ断言すればよい。「あとは現場で判断なさってください。現場の先生方は薬の専門家でいらっしゃるんでしょうから」。そうやって医者を育てていかないから、医者達は、「ぼくちゃんたち、先発品と、後発品と、どっちがいいのかわかりませーん。なんでもかんでも教えてくださーい」とばかりに、いつまでたってもオムツが取れない。「後発品メーカーはMRがいないから使わない」なんて輩に至っては言語道断。MR未満の見識しかない奴に医師免許持たせちゃいかんのよ。

賢く成熟した医者には、実は、審査報告書も、厚労省の通知も全く必要はない。「後発品は贋物ではない」 それだけわかれば十分だ。後は、いつもの患者との共同作業だ。つまり、臨床試験データ以外に、現場で生じる様々な因子を勘案しながら、落しどころを決めていく。

何年も飲みつづけ、血中濃度が安定していることが要求される抗てんかん薬と、3日間服用すればおしまいの抗菌薬とでは、後発品か先発品かの選択がアウトカムに与える影響が大きく異なる。患者の「使用感」だって現場では重要な因子だし、患者のブランド嗜好の強弱だって考慮するだろう。金ならいくらでも出すというお大尽ばかり来る病院と、生活保護者の割合が圧倒的に多い診療所で、後発品と先発品の処方割合が全く異なるのも当然だ。

ここで面白いのは、先発品と後発品の関係は、安かろう悪かろうではないことだ。一番確実に言える事は、「わからない」。だってそうだろ。比較するデータがないんだもの。不確実性の中で、多くの因子を勘案しながら、患者との共同作業で判断していく。先発品・後発品の選択は、そんないつもの地道な作業の一つに過ぎない。そこには厚労省の通知とは全く無縁の、日常臨床という名の聖域がある。

そもそも安かろう悪かろうがきれいに成り立つのだったら、医者なんていらねえじゃねえか。そうじゃないから、医者は商売やってられるんだろ。「後発品は贋物ではない。それ以外はわかりません」と謙虚に認める厚労省は医者が商売やってられる余地を残してくれているんだ。厚労省に対して有難いって思わなくっちゃあ、罰が当たるぜ。

このように、巷で言われているような先発品か後発品かの二者択一という観点からは、議論に値する問題は存在しない。後発品問題が存在するとしたら、それは医師、薬剤師、患者のリテラシーが問われているという観点においてだ。何度でも繰り返すが、厚労省に対する非難は、厚労省に対する依存と自らのリテラシー欠如の裏返しに過ぎない。厚労省はけしからん→厚労省さん、もっと働いてください→厚労省様、頼りにしています。私は、職業人として自立できない未成熟な人間です。

「厚労省は現場を知らない」という非難は意味がない。なぜなら、「厚労省が現場を知らない」のは当たり前だからだ。問題は、職業人として自立を放棄して、その現場を知らない厚労省に自分達が全面的に依存してしまっていること、つまり、医師個人の最も大切な仕事である、目の前の患者との共同作業にまで、お上の判断を仰ぐことにある。「厚労省は現場を知らない」という非難は、その現場を知らないお役所に依存している自分に気づけない本人から発せられる。

あなたに後発品問題全般の評論家になってくれとは誰も言っていない。ただでさえ忙しいのだから、評論家になろうとするのは、臨床能力の低い暇人に任せて、審査報告書などにも目もくれず、目の前の患者に集中するがいい。後発品はイカサマ品ではないと厚労省が言ってくれているのだからそれだけで十分だ。後は、値段の安さと不確実性のトレードオフを患者と相談すればよい。命の金のトレードオフ。あなたが目の前の患者といつもやっている作業ではないか。

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