高校時代,石川達三の”四十八歳の抵抗”を読んだ.あと三十年生き延びるとこうなるのか.三島はそれが嫌だったのか.三島でさえ嫌ったものを自分が受け入れられるだろうか.ままよ,自分があと三十年生きられる保証はどこにもない.ニューギニアで野垂れ死ぬ確率の方が高いかもしれないのに,無駄な心配だ.四十八歳なんてただの死に損ないじゃねえか.死に損なってようやく四十八になるんだ.あと三十年生きることを今から心配するほど,俺は馬鹿じゃない.そう自負していた.
確かに三十年前はそうだった.しかし,事此処に至れり.
駆け出しの医者は,大病を患っている患者から,言葉の形ではないにせよ,”どうせ若くて健康なあなたには,私の気持ちなどわからないでしょう”というメッセージしばしばを受け取る.まともな医者というのは,そういう感受性を持っている.信州で内科勤務医を続けながら売文業を両立させている,”急な青空”(下記参照)の著者,南木佳士は,かつて,その感受性が強すぎて,健康や若さという負い目,後ろめたさに耐え切れず,うつ病になった.
鈍感さでは人後に落ちない私でさえも,外来に来る患者さんたちに対して,”医者が不養生で病気になってはお役立てませんから”などと,苦し紛れの言い訳をして,その場をごまかし続けてきた.しかし,四十七になり,加齢という平凡な障害を負いつつある身になって,ようやくその後ろめたさから逃げ込めそうな場を見つけた感がある.もう死に損ないの仲間入りだ.四十八歳になるにあたって,抵抗するつもりなんぞ全くない.
うつ病を患い,五十を越え,命の終わりを他人事と考えなくなった南木は,もうその後ろめたさを感じる必要のない安全地帯に逃げ込んだ.死に損ないになって初めて青空が見えたというわけだ.本書には,そういった安心感が随所に見て取れる.もう死に損ないの仲間入りをした人にも,まだの人にも,お勧めの本である.