私は学生に対して、「物知りがでかい面をする時代は終わった」と常々言っている。
知識だけならいつでもどこでもいくらでも検索できる。今時公開していないのはいかがわしい言い伝えだけだ。もし、その知識や知恵が有用だと考えるならば、公開・共有して広く活用してもらいたい、あるいは有用性を第三者に検討してもらいたいと思って、公開するだろう。
「先祖代々伝わる秘伝の処方で金儲け」なんて、とっくの昔に牧歌的なおとぎ話になってしまった。エビデンスがない処方なんて、今や見向きもされない。
専門医継続の単位取得のために学会が主催する講演会での講演内容も、講演者だけが知っている秘事口伝ではないだろうに。
そんな時代の「専門医」って、一体どんな人だろう?
なあんて他人事みたいに言っていないで、自分の事を考えてみる。
そもそも専門医のはるか手前の医師国家試験で、合格点が取れないことは確信できる。
専門医試験だって、総合内科専門医にせよ、神経内科専門医にせよ、不合格に決まっている。
それでも、総合内科専門医でござい、神経内科専門医でございと、でかい面していながら、少なくともその点に関してはどこからいちゃもんがつかないのは、必ずしも私が強面だからという訳だけではないだろう。
「物知りがでかい面をする時代は終わった」のだから、私が物知りだからでかい面ができているという訳でもないだろう。私のでかい面は私特有の図々しさゆえだと言う人はいるだろうが、それは私が生来持っている性質であって、専門医資格とは何の関係もない。
この種の不思議は「臓器別」専門医の認定だけではなく、「総合医」の認定にも当然当てはまるのだよ、若人達よ。
昔々、「これからは博士号よりも専門医資格」とか言われていた時代があったが、君達は知るまい。もう、誰もそんな台詞は使わない。なぜなら、博士号にまつわる不思議と専門医資格にまつわる不思議は、本質的に何ら変わることがないことがわかってしまったからだ。
君達の多くが目指しているのは、このような不思議な「資格」なのだよ。
神経内科専門医は神経疾患以外のことを教えてもらえる権利だ という私の主張に君が納得してくれる理由はそこにあるのだよ。