全ては阿部先生からの手紙から始まった
いきなり史上最悪の冤罪事件の真っ只中へ
2010年1月のことである。長崎大学で マラリアやデング熱といった熱帯病のワクチンや治療薬の開発を進めていた私の元に一通の手紙が届いた。差出人は「弁護士 阿部泰雄」。見知らぬ名前だっ た。数年前までは、医療事故訴訟を考えている患者あるいはその家族から、過失の有無について意見書の依頼を受けたことはあったが、長崎に来てからは多忙を 極め、その種の依頼は断っていた。今回も同様の話だろうと決めつけて開封したが、便せんに綴られていたのは、他でもない、北陵クリニック事件第一次再審請求審への意見書依頼だった。こうして私の裁判への関わりは、史上最悪の冤罪事件を巡って、検察と裁判所の最悪でっち上げコンビとの対決、という「願ってもない」晴れの舞台から始まった。

→ 事件そのものが捏造だった北陵クリニック事件
→ 北陵クリニック事件 第一次請求審関連
→ 談合化する裁判、自壊する裁判所
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