2種類の「わからない」

「わからない」には,大きく分けて2種類ある.

一つは,不安が整理できないゆえの「わからない」.もう一つは,「わからないことがわかった」結果としての「わからない」です.後者には不安心理が伴わない.逆に安心感が生まれる.

どこまでわかったか?その限界の設定は妥当か?様々な観点から,わかる限界の妥当性を検討し,遺漏がないことを確認する作業を丹念に繰り返す.その結果はじめて,「わからない」範囲が明らかとなる.そこで安心感が生まれる.

この作業は1人ではとてもやりきれないので,仲間(患者,家族,看護師,同僚,指導医・・・)に助けてもらう.それが普段我々のやっている診療だ.

ただし、前者の「わからない」がまるきり使い物にならない、「悪い」「わからない」かというと、そうでもない。

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大学の先生もそうなんですが,医師も,「自分は正しい答えを知っている」という信憑が基本的にあるし,それがないとやっていけない職業です。だから,中腰で我慢するというあり方は難しいのかもしれない。

 しかし,知性は正しい判断を下すこともあるし,間違えることもある。だからもし正しい知性のあり方というのが存在するとすれば,それは正しい判断をくだせない時に「よくわかりません」と言えることだろうと思います。しかし中腰で我慢できない人というのは,それを,すごく嫌うんですよね。
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対談 内田樹×春日武彦中腰で待つ援助論ー時が流れ出し,ケアがはじまる より)

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