英国に来て,英語について考えたことはもちろん山ほどある.日本の英語教育では,何年かけても日常会話が出来ないとよく批判されるが,僕は日本の英語教育に対して,基本的には感謝している.読み書きでは中学、高校と学んだ英語が随分と役に立った。
会話力に関しては,確かに読み書きの力と解離があったが,僕はこれは仕方がないと思っている.なぜならば,日本は欧州大陸とか旧英国植民地の人々よりも,日常生活における英語の要求度がはるかに低いからだ.
”ガイジン”に道を聞かれた時のためにとか,今度外国旅行をするのでとか,そういった程度の極めて薄弱な動機で学ぶ人間と,勤務先の同僚や上司と話をするのには英語でないと通じないとか,自分の国が内乱で国外に逃げて行かなくてはならないといった,切羽詰まった状況下の人間とでは,英語の修得に決定的な差が出るのは当然である.会話は生活していくのに必要な状況下で学べばいいのだし、またそういう状況でないと絶対に身につかないものだ。
しかし、英和辞書に腹の立つことはしばしばあった。辞書は外国語学習者にとってやはり命綱だが、この辞書を作った奴は本当に英語を使ったことがあるのかと思うくらいひどい訳語が使われていることがある。それが日常頻繁に使う言葉に対しての訳語だと余計に腹立たしくなる。僕が知る限りそういう単語は最低3つある。
一つは"embarassed"。これは”はずかしい”という訳語でほとんど事足りるのに、英和辞書に載っている訳語と言えば、わけの判らない”当惑させる”という言葉が真っ先に載っている。"ashamed"という言葉は本当に道徳的、道義的に恥かしい時に限ってのみ使い、日常的に”ばつが悪い”の意味で使う時は"embarassed"である。
二つ目のに"upset"も”頭にきた””憤慨している””かっとなって”などの意味で頻繁に使われるにもかかわらず、英和辞書には,”ひっくり返った”,”混乱した”といった,的外れの訳語が羅列してあるだけだ.
3つ目は"pathetic"である.”嘆かわしい”、”情けない”の意味で使われるのだが、これも英和辞書には,決まって”悲しみを誘う”という,意味不明の訳語が当てられている。
問題なのはこれらの訳語の改善の努力が20年,30年たっても全く見られないということである。この傾向は人気のある”老舗”の英和辞書の出版社のものに強い。つまり黙っていても売れるのをいいことに、古い辞書をほとんど丸写しにして、表紙だけを取替えて売るからこういうことになるのである。このような怠惰な辞書作りの横行は日本の英語教育ののレベルの低さをそのまま反映している。読者から全く批判の声が聞えてこないから、かびの生えた間違った訳語をほっぽらかしにして、”新しい辞書”として平気で店頭に出すという厚かましい裏切行為がなくならないのだ。