梅毒の流行で思い出すこと
合衆国連邦政府が主導した人体実験
2012年までは多くても年間900件未満だった梅毒報告数が2015年には10月11日時点で1905件に達したと日経メディカルオンラインで報じられている.しかし,この梅毒の流行が主流派マスメディアで大々的に報じられることはない.梅毒の流行自体も,性感染症に対するstigmaゆえの主流派マスメディアの沈黙も,ともに深刻な問題ではあるが,梅毒について臨床的あるいは学術的な話をするにふさわしい人間は私以外にたくさんいる。梅毒と聞いて私が思い出すのは,泉谷しげるの「おー脳!!」である.
彼の代表作である「春夏秋冬」が出たのが1972年で,「おー脳!!」はその翌年1973年に出た,「春のからっ風」というシングルのB面である.放送禁止歌になったのでA面よりも「有名」になった.今聴くと何のことはない歌詞だが,当時は今より一層ひどかった,梅毒に対するstigmaゆえに「差別」された.そう思っていた。先日この歌を聴き直して新たな事実に気づくまでは。
泉谷はこの歌の中で,1972年に内部告発で発覚した合衆国連邦政府公衆衛生局による「タスキーギ梅毒実験」に言及している。そのことに,先日何十年ぶりかでこの歌を聴いていて初めて気づいた.当時から今日まで日本の主流派マスメディアはこの事件を一切報じていないが,当時からしっかり読み込んで歌っていた泉谷の炯眼に驚くとともに、この歌が放送禁止となった理由は梅毒に対するstigma以外のところにあるのかもしれないと思った。
米軍による日本軍兵士捕虜虐殺
「タスキーギ梅毒実験」についての日本における報道管制から連想した、日本の主流派マスメディアによる別の隠蔽(=我々自身に内在するネグレクト)の代表例が,連合軍による日本の捕虜の虐殺・虐待である.原爆や大空襲で本土で食糧不足にあえぐ民間人を無差別大量虐殺するぐらいだから,投降してくる軍人を捕虜にせず皆殺しにするなど朝飯前であろうことぐらいは,子供でも理解できることだが,その実態を記録した数少ない出版物の一つである,「チャールズ・リンドバーグ、孤高の鷲・リンドバーグ第二次大戦参戦記」は,絶版になっており,今の我々はその抜粋にしか触れることができない(関連記事1,関連記事2).
米軍が南太平洋で日本軍捕虜に対して行っていた行為を、ナチスが収容所でユダヤ人に行っていた行為と何ら変わるところはないと断罪する書物を絶版にしたまま放置する日本の出版界が,いくら「本が売れなくなった」と嘆いても,誰の同情も得られない.しかし、出版界だけを一方的責めるわけにもいかない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」の実態は米軍の「思いやり」だったわけだが,正に死人に口なしだから,日本人は誰も伝えられなかった.それをリンドバーグが「語り部」になってくれているのに,検察やマスメディアに対するのと同様に,GHQの亡霊に対しても我々市民が「遠慮」しているから,出版社が復刻できないのである.リンドバーグの事績は単独無着陸大西洋横断だけではない.米国に対する我々の思考停止を解除してくれる,非常に面白い人物である.ご興味のある方は,(書物が絶版になっているがゆえに)ネット上の関係資料を御覧あれ.
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