Stigmaは規制可能か?
ーという単なる暇つぶしの話題ー
stigma
は,その言葉を使う人間と受け手の人間の相互関係に依存する.さらにその時代背景・地域の事情といった時間・空間の要素にも影響される.これらの因子は第
三者による規制ではコントロールできない.それは誰にでもわかっているはずだから,下記のような論争は他の論争と同様に,やはり暇つぶしに過ぎない.こう
してこんなことを書いているのもやはり暇つぶしである.
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千葉市長が「障害者」にこだわる理由 「障がい」「障碍」論争に一石
「障害者」という言葉を「障がい者」と置き換えることには反対――。熊谷俊人・千葉市長のツイートが反響を呼んでいます。熊谷市長はどんな思いを込めたのでしょうか。(ニコニコニュース 2015/5/25)
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「障
害者」という言葉を「障がい者」と置き換えると,手間はかかるわな.パーキンソンの法則通り,何も成果が期待できない余計な仕事が増えて税金の無駄遣いに
なる.市民に対して申し訳ない.市長としては当然の心理である.次回の選挙の争点にして自分に有利な材料になるかどうかはわからないが.
字面を変えても人の心が変わるわけではない.それは誰にでもわかっているはずなのに,字面を変えただけで何かを成し遂げた気になっている連中が気にくわない.
ぼけ,痴呆を認知症と,精神分裂病を統合失調症と言い換えても,何か問題が解決するわけでもないことは臨床試験をやらなくてもわかっているはずなのに,字面を変えただけで何かを成し遂げた気になっている連中が気にくわない.そういう気持ちもあるかも知れない.
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市原悦子がNHK番組で差別語連発 有働アナ謝罪、視聴者からは擁護や評価の声(J-CAST ニュース 2015/5/23)
女
優の市原悦子さん(79)が出演したNHKの番組で「かたわ」「毛唐」という言葉を口にし、アナウンサーが後で謝罪する一幕があった。いずれも体が不自由
な人や外国人に対する表現で、メディアなどでは使用が避けられている。しかしネット上では市原さんの発言を非難する声はほとんどなく、「前後の文脈上問題
ない」「差別意識はない」と擁護する意見が多い。
(中略)
謝罪後、市原さんの表情がこわばった
番組の終盤、有働由美子アナが、 「さきほどのコーナーで『かたわ』『毛唐』という発言がありました。体の不自由な方、外国人の方を傷つける言い方でした。深くお詫びします」
と謝罪。するとツイッターなどネットには番組の対応を疑問視する意見が相次いだ。
「『当時差別された人』の文脈で使ってるんでまったく問題ないと思う」
「昔話の解釈にちなみ、あえて使った表現だろう。綺麗な表現に置き換えたら、本質が伝わらない」
「番組は見たけれど、悪意が無い分さほど気にならなかった」
など、あくまで「表現の一手法」「悪意はない」とする意見が多かった。
また有働アナの謝罪後、市原さんの表情がこわばっていたと指摘する声があり、同情する書き込みも目立った。
今回のような言葉は「放送禁止用語」などと言われるが、法規制がある訳ではなく、あくまでテレビ局などの自主規制による。たとえばNHKで「片手落ち」が使われなくなった経緯について、経済評論家で元職員の池田信夫さんは
「けしからん」
と抗議を受けたからだと2006年のブログで明かしている。NHKは「かたおち」と言い換えている例が多いようだ。
また作家の乙武洋匡さんは11年6月、ツイッターで、 「『カタワ』はNGで、『障がい者』はOKと誰が決めたのか。誰の感情に合わせた線引きなのか。まったく分からない」
と疑問を呈したことがある。なお市原さんの発言に「浅草キッド」の玉袋筋太郎さんはツイッターで「かましまくる!」とはしゃいだ。自身もデビューから15年に解禁されるまでNHK出演時に番組から自主規制で「玉ちゃん」と名乗らされていた不満があったのかもしれない。
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有
働さんは誰に向けて謝ったのか?おそらく「(受信料を払って頂いている)視聴者の皆様」という答えが返ってくるだろう.それは「片手落ち」に対して「けし
からん」と抗議の電話をかけてきた「視聴者の皆様」である.しかし,その抗議の電話をかけてきた「視聴者の皆様」はどんな素性の人間かは全く記録が残って
いないだろう.何本電話がかかってきたのかも,それが果たして一人で100通りの声色を使って500回電話をかけてきたのか,その抗議をすることによって
電話の主がどんな利益を得る立場にあったのか,どれも今からは検証できないだろう.
それに対して,「馬鹿にするな!」=自分は「片手落ち」に対し
て「けしからん」と抗議の電話をかるようなアホどものお仲間ではない!とツィッターが炎上する.そういう時代になったのである.というと,何だか新しい人
種が増えたような表現になってしまうが,実はそうではない.ネットが発達する以前も,自分は「片手落ち」に対して「けしからん」と抗議の電話をかるような
アホではない という自尊心を持った(あるいは忙しい)人々は,「片手落ち」に対して「けしからん」と抗議の電話をかるような暇人よりもはるかに数が多
かったのだが,忙しい人は暇人と喧嘩をしている暇はないので,NHKが自主規制するのを放置していただけである.
「片手落ち」に対して「けしからん」と抗議の電話をかるような暇人はネットに疎い.ネットに疎いから,実名写真入りの週刊新潮を買って,その赤字補填と週刊新潮の延命に喜んで貢献する.だから,そういう人々の寿命と週刊新潮の寿命は一蓮托生である.
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